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承前
先の転載記事、「差別の中 協力を強いられ」の冒頭
障害者は古来「前世や先祖の悪行の報いを受けている」という因果応報思想からくる差別を受けていた。
と述べておられます。
これは現在も根強く残り、他人の苦しみや悩み 病気や障がい、貧困、社会に適合できない人などに対して
「あなたは業が深い、過去世に正法(ただしい教え)を悪く罵った、その報いで今の苦しいのだ、あなたはその罪を詫びて、罪を滅していきなさい」
と、誰にも見えない「過去世」などを持ち出して、もはや脅迫としか思えない
この因果応報思想、因果論、宿業論というもので、自己責任を押し付けて突き放すという蛮行が行われています。
自己責任で突き放すことは、その相手に関わることをする必要もなく楽であり
なによりも、権力者にとって、庶民を押さえつけるのにとても都合のよい思想でもありますが
こうした、宿業論や因果論というものは仏教だと思っている人が、あまりにも多いのも現実で、仏教を信仰している人の中にも多い。
社会の中で、生きづらい思いをしている人や、苦しい立場、弱い立場に追い詰められている人に寄り添い、支援している人たちの共通認識が
この自己責任論によって、より追い詰められ、苦しんでいる、ということです。
日本人が忘れてはならない世界に類をみないハンセン病患者隔離政策
この時も、仏教僧侶に、過去の罪業によって今がある、と説き伏せて、あきらめさせ
人間扱いしない隔離施設に閉じ込めました。 ハンセン病の方に加え、被差別部落の方、心身に障がいがある人に対して
「それは君たちが過去に行ってきた悪業の罪なのだ。悪いのは君たちだ。お上は何もしなくてもよい。ただ君たちは来世のため、お上に刃向かってこれ以上の悪業を積まぬようにしなさい」
と抑制し、そして一般にその考えが浸透していきました。
過去の罪業によって次の人生が決まるというのは、古代インドのバラモン教で説かれており、輪廻(りんね)という生まれ変わりというのもバラモンの教えであり
しかも、それは差別と関係をもってきます。
バラモンとは今のヒンドゥにつながる、古代インドの思想で
白系騎馬民族が、インドの地域を支配し、厳格な身分制度強いて差別秩序で国を支配するために生みだされた思想で
白系民族の中に最上級のバラモン司祭、そして貴族や騎士、一般市民と続き
その下に有色系先住民族の奴隷、そして人間ではない人間という階級を強いて
反抗を抑え、差別 身分制度を合理化しました。
そこに生まれたのは、過去の行いが悪いからだ、という因果論は支配者、権力者には都合のよい思想です。
それが、釈迦の時代のあとに、様々な経典が綴られていく過程で
過去現在因果経などにバラモンの考えが混入されていったり
日本では江戸時代の幕府の政策など、様々な要因で、因果論と仏教が結びついた経緯があります。
バラモンは何を説き、ブッダはなにに抗ったのか
先月亡くなられた、元自衛官でアクティビストの泥憲和さんが、亡くなられる直前に
自身の信仰である浄土真宗をとりあげ、宗教観、仏教観、人生、社会について、連載で綴られておられ、泥さんの行動や思想に、そうした反差別、反権力、非暴力の平和主義という仏教に根ざしていたことに深い感銘を受けました。
泥さんの投稿には
◆バラモン教とはどういう教えなのか とても分かり易く書かれていました。
●もうすこし踏み込みますと
因果論、業報因果論・宿業論、こうした業論は部派仏教にみられるようですが
ブッダはむしろ、因果からの解放を説きました。
専門的になりますが、ある書籍からの引用です。
バラモン教の聖典中、最も重視されているウパニシャッドの一つ、『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』で、ある王が次のように述べています。
「この世において、行いの好ましい人々は、来世において好ましい母胎に入る。 生まれることに対して、私たちは自己決定権はありません。
物心がつき、気づいてみると今の境遇に生まれていたのです。
それを過去世の罪業だとして、差別してゆく。差別が存在するのは差別する社会に問題があるのではなく、差別される側に過去の悪業があり、差別されて当然だ、というのです。
しかも、この因果論には、バラモンは上、賎民は下等という大前提があるのです。
ブッダの立場は違いました。ある時バラモンの修行と哲学を修めたアッサラーヤナとい う青年がブッダに質 問をします(マッジマ・ニカーヤ93)。
「バラモンたちは『バラモンこそが最高の階級で、他は劣っている。バラモンだけが白い階級で、他は黒い階級である。バラモンだけが清らかな階級であり、他は汚れた階級である』と言います。あなたはどう考えますか」 ブッダの回答はこうです。
「違います。バラモンの妻であっても、バラモンが不浄とする月経があるでしょう。妊娠もするし、赤ちゃんに授乳もします。他の階級の人間とどこに違いがあるでしょうか。ともに母から生まれた人間なのです」
明確です。皆母から生まれた人間なのです。問題はその等しい立場の人間として、憎しみの心を持つのか、友愛の心を持つのかなのです。憎しみの心を持つか、友愛の心を持つかについては、私たちには自己決定権があります。ブッダが問うのはそこなのです。
別の話も記録されています(サンユッタ・ニカーヤⅠ・7)。 スッディカ・バーラドヴァージャというバラモンがいました。彼は悩んでいました。清浄なはずのバラモンたちがさまざまな欲望の虜になっているのです。その疑問を彼はブッダにぶつけました。ブッダは言います。 「たくさんの呪文をぶつぶつとバラモンは唱えている。そのような呪文をいくら唱えても、人は生まれによってバラモン(ここでは身 分としてのバラモン ではなく、聖者というほどの意味)になるのではない。その者たちの心は汚物に汚れ、虚偽に満ちている。 これがブッダの立場でした。ブッダは宣言します。「人が生まれた階級を誇り、財産を誇り、家系を誇り、親戚すらも軽べつするならば、それは破滅の兆しである」(スッタニパータ104) |
放談「文化・歴史」
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