|
「絆」 「花が咲く」が分からない
毎年、繰り返される「絆」の唱和。
私には、これがさっぱり分からなかったし、今もよく分からない。
3.11直後から
この言葉の意味がよく分からなかった。
分からないあまりに、息子にその意味を尋ねたりしたものだ。
津波で
子どもを失い
妻を失い
祖父、祖母を失った者と、その死者とのつながりなのか
初めは そう考えたものだった。
死者とのつながりを 失うなということか。
であれば、死者との交信はやすらぎではある。
でも
どうやら違うらしい。
被災した者を勇気づけるための
「私たちは つながっているよ」という
一番避けたい それであった。
まさか、こんな意味で唱和するくらい
他人の不幸に鈍感になってしまったのか。
だから
この言葉を聞くたびに
とても気分が悪くなった。
無関心を装うことで、心のバランスを保つようになった。
親族を失って
たったひとりになった者が
残された人生を楽しく生きて行けるものか
前を見て生きていけるものか。
ましてや、私たちと つながっているよ
と他人が手をさしのべるのは、あまりにも失礼すぎる。
被災者の
生きるほどに
苦しくなっていく、その心が
見えないのだろうか。
家族全員を失った男が
「絆」の言葉なんか、聞きたくないという映像があった。
彼は、とにかく かまわないでほしい、と言っていた。
岩井俊二さんの「花が咲く」についても
岩井さんの歌だけに
その歌詞には戸惑ってしまった。
いつか花は咲くのであろうか。
そう思いたい気持ちは分からぬでもないが
フクシマでは
ほんとうの「花」が咲くのだろうか
咲くのかどうか
私にはどうしても分からない。
どれだけ自問自答しても分からない。
悲しみに苛まれて
生きるのが苦しくて
もうどうしようもない絶望の淵で
自死に至る方があとを絶たない。
どうしようもないことが起きたのであり
その悲しみは、容易に「前を見て」なんていえないほどに
それほど苛酷な天災であり、フクシマであったのだとしか
私には思えない。
FBFの寄稿で
松本昌次さんの記事を読ませていただいた。
松本昌次さんには「花は咲く」という歌が
戦時の「海行かば」にどうしても重なると言っている。
彼はまた
「戦争中からこれまで、いったいどれだけ死者とともに 私たちは“希望の涙”に誤魔化されてきたことか」と言い、また「あなたは、津波で家族を亡くした人や、放射能で家を追われて帰るあてもなく他郷に仮寓している人の前で、「花は咲く」を歌えますか。スタジオのマイクの前ではない。被災者の前で、「花は 花は 花は咲く」と本当に歌えるのだろうか。もし歌えるとしたら、わたしはその人の神経を疑わざる得ない」とも言っている。
絶望の悲しみが「希望の涙」に変化するその変わり身が
ファッショに繋がるという直感もそうだが、「日本人」の、乗りこえるべき「心性」が
まずは、ここにあるように思う。
かつて、障害児施設にボランティアに来た 中・高生が2週間足らずの活動で
「障がい児は、みんな一生懸命生きている、純真な心をもつ子たち」と
異口同音の感想を述べていたことに
危機感を感じたものだった。
障がい児は
一生懸命生きることを強いられ
純真な心をもつとの偏見に
ずいぶんとやられてきた歴史があるのである。
時代は大きく変わってきたというのに
毎年、3.11が近くなると
とても暗い気持ちになってしまう。
私のことはどうでもいいのだが
被災者、フクシマの悲しみを
勝手に巻きこんではいけない。
そんなことは絶対にしてはいけない、と思う。
FBより
|
要談 「震災関連 神戸・東北」
[ リスト ]






『絆』って言葉・・・・
元々の語源は犬や家畜を自分の物として?壓ぎ止める縄のことらしいです
私もあまり好きではありません・・・特に3.11の使い方ですね!
『社交辞令』や『偽善』のように使ってる方もいました・・・・・
私は半年間ボラで宮古から南相馬まで行きましたが・・・・
他人に強要されたものではなくて、自分がお手伝い出来ることをしてきただけで、
それは『絆』ではありませんでした・・・
南相馬では、ニュースワイドショーのTVキャスターが来て『絆』を叫んでました。
『絆』や『花は咲く』は復興支援の演出の一つでしょうか・・・・
2017/9/29(金) 午前 0:08
安易な「絆」や「がんばろう」「前向き」というキャンペーンは中央目線の押しつけだったので被災者には共感できなかったのではないでしょうか。
過去を振り返ったり悲しみを引きずることはネガティブなイメージを持つ人が多く、一連の言葉は便利だったのでしょうが、被災者に接することは非常にデリケートな問題だということをよく考えて欲しいものです。
2017/9/29(金) 午前 8:29 [ スタリオン ]
> こもれびさん
発災当初から感じていた違和感が、結集したのが
あの歌でした。
私も岩手から福島、同じ南相馬 小高に行かせていただきましたが
仰るように、決して絆ではありませんし
なにか言葉で表現できる ものを感じませんでした。
絆 言いかえれば 手綱のような意味合いの言葉で
心を拘束するようなことは本当に残酷で
さらに、カメラの前に出されて
絆だの 心だの 笑顔で だの 前を向いて や 逆に元気をもらったとか
そういう言葉を 浴びせられ 『ご支援ありがとうございます』と言わされている光景に 残酷さを感じました。
でも その『絆』も もともと そんなもの無かった
と感じる昨今です。
2017/9/29(金) 午後 0:37
> スタさん
自分の家が、自分の町が、故郷が津波に流される光景を目の前で見なければならなかった方々の口から
これで終わりだ 全てが終わった
と声にならない声で 発せられました。
それほどの体験をされた方々に対して
想像力を働かせる作業が無く
がんばろう 前向きに 絆 と言い放つのは
むしろ 見放す心の表れと感じて仕方ないです。
あの有名人が一輪の花を持って リレーで歌う姿に
社会はこれで大震災を忘れたと思いました。
絶望的な災害すら、こんなに美しいものにしないと受け入れられない社会なんだと思います。
2017/9/29(金) 午後 0:51