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今日 行われた、政府主催の東日本大震災 7周年 追悼式で
福島県を代表して言葉を述べられた「五十嵐ひで子」さん。
5年前の2013年に放送された、NHK「あの日 わたしは 東日本大震災 証言記録」に出演され
翌年1月に、強い印象に残っ方の一人として、当ブログで紹介させていただいていました。
今日の追悼式でも「ひで子ーっ! ひで子ーっ! ひで子ーっ!」
と津波に流されながら、必死に妻の名を叫ぶ夫の最後の声を、五十嵐ひで子さんは 声を絞るように叫んでおられましたが
それをテレビで聴きながら、5年前に語られたことを思い出しました。
結婚されて40年近く、ひで子さんのお連れ合い利雄さんは、日頃 ひで子さんを名前で呼ぶことがなく
「おい」や「おうっ」と言っておられたと。
あの日津波に打ち上げられ、たまたま近くの松の木につかまることができたものの
利雄さんは流されてしまい、ひで子さんの名前を必死に叫びました。
その時にひで子さんは、「あれ、うちのお父さん(利雄さん)、私の名前知ってたんだ」と
頭によぎったとのこと。
ひで子さんも「お父さんっ!」と叫ばれますが、やがてひで子さんも津波にのまれ流れてしまいます。
利雄さんと叔父は21日後に御遺体で発見されました。
津波にのまれて、自分の名を叫ぶ夫の声に、そういう瞬間でもふと、日頃 おい としか言わないのに名前を知っていたんだ、と頭によぎったという、その直前まで津波は来ないと楽観視していたのに、一瞬にして現実かなにかわからない状況になったその心境がとても生々しく感じました。
追悼式で、利雄さんの最後の言葉を叫んだ、五十嵐ひで子さんの心境を色々と想像しました。
以下のリンクがその時の記事です。
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要談 「震災関連 神戸・東北」
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大切な人を何の前触れもなく突然失うということがいかに取り返しのつかない喪失感になるかあらためて考えさせられます。このような人たちに「前向きになれ」とか「いつまでも悲しんでいてはいけない」という言葉がいかに無意味で残酷なことか認識して欲しいものです。
2013年の追悼式典で岩手代表だった宮古市の山根りんさんは目の前で母親を津波に流されて犠牲になりましたが、前日に母親と口喧嘩になったことを謝ることができずにずっと後悔していると語っていました。山根さんの「明日はどうなるか分からない。今日という日を後悔しないように生きて欲しい」という言葉はとても重く、「日常」のありがたさを再認識した次第です。
2018/3/11(日) 午後 8:36 [ スタリオン ]
> スタさん
小さい頃から、苦しみ 悲しみを堪えて 我慢することが 美徳のように教えられてきて
またそのようにしてくると、苦しい人を前に
みんな大変なんだ それくらいでへこたれるな
何があっても前を向いて進め、いつまで泣いているんだ
と、なってしまうのかと感じてます。
自己責任 不寛容が蔓延しているようにも思いますが
根本はエゴイズムなのでしょうね、
山根りんさん覚えています。
同じように、前日に喧嘩をした方のお話を直接聴きました。
以来 一番の備えは、周りの人を大切にすること、その日を大切にすること、と思うようになりました。
東日本大震災は、膨大な教訓がありますね。
エゴでもいいから自分が幸福に生きたいと思うなら
東北の被災地に目を向けることだと痛感します。
2018/3/11(日) 午後 9:19