エクセルシア Season 12

大震災 原発災害 東北を忘れない

要談「琉球 沖縄県」

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5年前に掲載された あるコラムより


沖縄戦を歌った民謡の名曲「艦砲ぬ喰ぇーぬくさー」。
艦砲射撃の“喰い残し”を意味し、「生き残り」のことを指している。

68年前(現73年前)の3月下旬、米軍は沖縄に雨のように艦砲射撃を浴びせ
4月1日本島に上陸。地形が変わるほどの激しい爆撃で、住民もその犠牲になった。

先日「喰ぇーぬくさー」の一人である壮年に話を聞いた。
「壕から外に出ようとした瞬間、艦砲射撃にあいました。
もし、2、3秒早く出ていたら・・・」。
一瞬で生命が奪われる過酷な体験に、胸が締めつけられた。

「恨でぃん悔やでぃん 飽きじゃらん 子孫末代(しすんまちでー) 遺言(いぐん)さなー」。
(戦争をいくら恨んでも悔やんでも飽き足らない。子孫末代まで語り伝えなければ。

これは、曲の結びの歌詞である。
しかし今、「艦砲ぬ喰ぇーぬくさー」という言葉の存在を知る青年世代は多くない。
戦争体験の風化が課題となる中で、「子孫末代遺言さな」という歌詞が、一層、心に響いてくる。

壮年は、地域の平和教育のために戦争体験を絵にした。
「描くたびに、悲惨な状況が思い起こされ、筆が重くなった」。
それでも、筆を置かなかったのは、「遺言さな」という強い思いのゆえであろう。
その誓いを無にしてはならない。





艦砲の喰えーぬくーさー
かんぽうぬくぇーぬくさー

くぇーぬくさー 食い残し。
くぇーぬくし 食べ残し。 

語末の「あー aa」は 「・・の奴」「・・の人」と擬人化的表現。
「食い残されし者」くらいの意味。

作詞作曲 比嘉恒敏


一、若さる時ね戦争の世 若さる花ん咲ちゆさん(若さる花ん咲ちゆさん)
家ん元祖ん親兄弟 艦砲射撃の的になて着るむん喰えむんむるねえらん
スーティーチャー喰で暮らちゃんや (うんじゅん我んにん 汝ん我んにん艦砲の喰い残さ)

若い時は戦争の世の中 若い花は咲くことが出来なかった(若い花は咲くことが出来なかった) 
家もご先祖様も親兄弟も[艦砲射撃]の的になり 着るもの食べるものも全くなかった。
ソテツを食べて暮らしたよ。(あなたもわたしも 君も僕も艦砲の食い残し)


ニ、神ん仏ん頼ららん 畑やカナアミ銭ならん 
家小や風ぬうっ飛ばち戦果かたみてすびかって 
うっちぇーひっちぇーむたばって肝や誠どやたしがや

神も仏も頼られない 畑は金網(張られて)銭にはならない。
家は風が吹っ飛ばし戦果担いでしょっびかれて 
ひっくり返し返され弄ばれ 心は全く誠実だったのだがねえ


三、泥の中から立ち上がて家庭もとめて妻とめて
産子生まりて毎年産し次男三男ちんなんび
哀れの中にも童ん達が笑い声聞ち肝とめて

泥の中から立ち上がって家庭を求めて妻をめとり 
こどもも生まれて毎年産み次男三男とかたつむり(みたい)
苦労の中も子どもらの笑い声聞き心を求めて


四、平和なてから幾年か子の達んまぎさなて居しが
射やんらったるヤマシシの我が子思ゆるごとに
潮水又とんで思れ 夜の夜ながた目くふぁゆさ

平和になってから何年か 子ども達も大きくなっているが
射られたイノシシが我が子を思うように
潮が又くる(繰り返す)のだと思っては夜の夜中にねむれない


五、我親喰わたるあの戦我島喰わたるあの艦砲 
生まれて変わても忘らりゆみ誰があの様しいいんじゃちゃら 
恨でん悔やでん飽きざらん子孫末代遺言さな

私の親を食べたあの戦争 私の故郷を食べたあの艦砲射撃 
生まれ変わっても忘れることができようか?誰があのようなことをしはじめたのか 
恨んでも悔やんでも飽きたりない 子孫末代まで遺言したいねえ


歌詞 訳詞 出典
たるーの島唄まじめな研究様

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