対話より圧力を好み、そして誇る政府与党
弱い立場の人を 敗者と蔑み、追い詰め、見捨てる社会が後押ししています。
改竄か忖度か、そういうものの背景がよく見てとれるようにも。
勝利、強さを追いかけ続けること自体が、人間としての弱さを感じます。
転載元 毎日新聞様
【戦争や災害やハンセン病などの被害とは何かについて、半世紀以上取材してきて見えてきたのは、
災厄は発生時の死傷だけで終わるものではなく、60年、70年たっても続くということだ。
その全体像を俯瞰(ふかん)してはじめて、非戦を誓う平和国家の建設や、災害、公害、事故の惨事、病気への偏見・差別を繰り返さない安全・安心な社会の構築のために何をなすべきか、その条件が見えてこよう。 】
・・・柳田邦男さん
戦後俳句に新境地をひらいた俳人、金子兜太(とうた)さんが今年2月に98歳で亡くなられた。戦争末期にトラック島の部隊で海軍中尉だった。爆撃や飢えで部下が死んでいく悲惨さは、生涯消えないほど深く全身に刻まれ、反戦平和の俳句を折々に詠み続けた。私の心に鋭く刺さるその代表的な一句。
水脈(みお)の果て炎天の墓碑を置きて
去る
敗戦によって島を去る船から振り返れば、戦友たちの墓碑の数々を己は見捨てるようにして、祖国へ帰る。生き残った者(サバイバー)の罪責感が伝わってくる。
私は、戦争体験者、災害・公害・事故の被害者、ハンセン病患者らの手記などを長年にわたって読んできた。いのちも心も危機に陥れる不条理な被災、被害、罹患(りかん)の中で、なぜ体験記を書くのか、その意味は何か、と問いかけながら。共通するのは、書かないではいられないという内的衝動、この苦しみを多くの人に知ってほしいという思い、こんなことは二度と繰り返さないでという願望などがエネルギー源になっていることだ。
書く本人にとって重要なのは、表現することで、受傷したトラウマ(心的外傷)に際限なく引きずり込まれないで、生き直そうとする力と日常性を取り戻すことができるようになるという点だ。
金子さんの場合、南方の島での体験が、強烈なトラウマとなったことは想像にかたくない。だが、俳句という表現活動で、トラウマを超えた自分の新しい人生をひらいていった。
だが、表現の手段を持つということは、庶民の暮らしの中ではたやすいことではない。
一昨年秋、熊本県内のハンセン病患者の療養所で100歳を迎えた男性が県からの長寿祝いを拒否し、絶食に入った。人権も人生も剥奪した国家からの祝福など、どうして受けられるかと、自らのいのちを自分で決着させたのだ。生を根底から揺るがすトラウマは、100歳になっても消えないのだ。
金子さんが亡くなった2月20日、福島地裁は東京電力福島第1原発事故に関する一つの判決を下した。2011年4月、福島県飯舘村が全村避難の対象になるとのニュースを聞いた同村の102歳になる大久保文雄さんが「故郷を離れたくない」と自殺した。遺族が東電に求めた損害賠償請求を裁判所が認めたのだ。「高齢の大久保さんは村に帰還できずに最期を迎える可能性が高く、耐え難い苦痛を与えた」と、判決は論述した。
戦争や災害などの体験記から、惨禍の実相をとらえようとする私の作業は、精神医学の視点からのトラウマ研究に関心を広げさせた。その問題意識から、私が疑問を抱いていたことがある。なぜ日本では、苛烈な戦場体験や往年の大災害の中で発生した深刻なトラウマや精神障害についての精神医学的な取り組みや記録がほとんどないに等しいのかということだ。
米国では、第二次世界大戦中の前線で、精神科医が臨床研究と診療に従事し、当時既に精神医学者、A・カーディナーが「戦争ストレスと神経症」を出版していた。私は最近、中井久夫・神戸大名誉教授の翻訳本(みすず書房刊)を読み、異常な体験によるトラウマへの日本の対応の遅れを痛感した。
この問題に光を当てる研究書が、最近、やっと刊行されるようになった。筆頭は、戦時中の陸軍病院などの診療記録や日誌を分析して、日本軍兵士のトラウマと精神障害について研究を進めてきた中村江里・一橋大特任講師の「戦争とトラウマ 不可視化された日本兵の戦争神経症」(吉川弘文館)だ。
なぜこの国で戦争神経症がなかったかのように不可視化されてきたのかという理由について、この本が挙げる理由は次の通りだ。
(1)実態を記録すべき精神科医が前線に送られなかった(2)精神に変調をきたした兵士の大部分は前線に置き去りにされ、多くが亡くなり、生き残って帰国しても生存者としての罪責感もあって話せなかった(3)兵役の半ばで傷病により兵役免除になるのは「立派な男」としてのアイデンティティーを失うことだった(4)銃後の人々のまなざしは「立派な死に様」(軍国美談)を求め、傷病兵には価値を置かなかった−−などだ。今、この国は、こうした社会と人間のゆがみを払拭(ふっしょく)しているだろうかという思いが去来する。
さらに、沖縄戦が沖縄の住民に与えた心の傷について、戦後半世紀以上を経ての診療活動から明らかにした精神科医・蟻塚亮二氏がまとめた「沖縄戦と心の傷トラウマ診療の現場から」(大月書店)と、沖縄戦によって受けた被害の国家賠償を求める住民訴訟の裁判記録「法廷で裁かれる沖縄戦 訴状編」「同被害編」(高文研)がある。
蟻塚氏は、沖縄の住民で戦争体験のある高齢者の中に、明らかに沖縄戦のトラウマの後遺症と見られる特異な症状を示す人たちがいることを発見した。その数は100人を超えた。症状は、アウシュビッツからの生還者の精神症状に酷似する過覚醒型不眠をはじめ、戦時記憶の増大、不安発作などだ。これらの症状は、その後も確認され、戦後70年以上たった今も、現在進行形で続いているという。
戦争や災害やハンセン病などの被害とは何かについて、半世紀以上取材してきて見えてきたのは、災厄は発生時の死傷だけで終わるものではなく、60年、70年たっても続くということだ。その全体像を俯瞰(ふかん)してはじめて、非戦を誓う平和国家の建設や、災害、公害、事故の惨事、病気への偏見・差別を繰り返さない安全・安心な社会の構築のために何をなすべきか、その条件が見えてこよう。
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