|
田老と言えば、大阪人の私でも、大震災前から防浪(潮)堤のイメージがありました。
その田老の防浪堤ですが、ご存じのように、先人によってはじめに作られたものは(第一防潮堤)
津波を受け流す形に作られ、2011年の大津波ではほとんど破壊されませんでした。
しかし、宅地造成のために後付けされて、津波に抗うX字に作られた新しい堤防は破壊されました。
防浪堤は「万里の長城」とも呼ばれていましたが、それは長い形状とともに
中国大陸を横断する万里の長城のように、凸凸凸の形にも由来しています。
その凸は、防浪堤建設のきっかけとなった、昭和三陸津波の犠牲者911人を追悼する墓標でした。
時代とともに、それが一つの説に成り下がってしまいましたが
大震災後に数を調査したところ、昭和三陸津波の犠牲者の人数に符号したとのことで
ほぼ間違いないと言われています。
しかし、その墓標は現在12基だけ残っており
それは津波によってではなく、修復工事のために、墓標が引っこ抜かれ、コンクリートの壁になりました。
墓標との指摘を受けて、途中で工事をやめたと・・・
先人の「こころ」が継承されないことは、こういうことも引き起こしてしまう。
2015年撮影
|
要談「宮古市・田野畑村」
[ リスト ]





