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5年前に書いた駄文から。
『自然災害で大切な人を失った方、被災した方が、自身の気持ちをブログなどで表現する時
愚痴でごめんなさい 弱音吐いてごめんなさい こんな自分でごめんなさい こんな話し聞かせて迷惑でしょうね などと書かれます。 むしろ書かせてしまってます。 疑心暗鬼にさせてしまってます。 私たちの社会が、追い詰めていると思います。 気仙沼で『家族を失った子どもたち』の喪失体験を考えサポートするための集いがありました。 世界中の戦争や災害で、家族を失った子どもが集うNGOの創立者の講演の内容の結論を言うと 災害や大津波で、悲しく辛い体験をした人(子ども)に必要なのは、励ましてくれる人ではなく、一緒に泣いてくれる人です。 津波が怖かったと泣いてる時に、「そうだったね、怖かったね」と記憶を共有して一緒に泣いてくれる人。 「怖かったでしょうね、かわいそうに」という人でももちろん良いのですが あの怖い体験を自分もした人で、自身の体験を思い出して一緒に泣いてくれる人が、一番必要です。
家族を失った子どもは、同じ経験をして同じ経験から同じく泣いてくれる人を亡くしてます。 家族にはなれないけど、一緒に泣いてくれる周囲を再構築していくことが大切であるとの結論。 まさに、同苦し共感を呼び覚ます作業ですね。 きちんと悲しむ環境を私たちが再構築すること。 そして、また重要なのは 大きな社会の誤解を解消すること。 誤解とは、悲しい体験は時間が解決してくれるという誤解。 たしかに、時間が経てば少なくなるのは確かですが 「もう2年半以上経ったんだからわすれましょう」 「いつまでメソメソしてるの?」 「もう前を向いて歩もうよ」 とか、これらは最悪です。 なぜなら、発災からずっと前向きだったからだと思います。 あそこに逃げよう、段ボールを立て掛けて工夫してプライバシーを守ろう。 会えない家族の消息をつかみに、あちこちの体育館などを周り、通い続けた。 明日は仮設住宅の説明会、抽選会に行こう、その前に貯金通帳の再発行に行かねば。 体育館は寒いから布団のしたに段ボールを敷こう。 そうして対応することが沢山ありすぎて、常に前に向いて歩んで来られた。 また、頑張って新しい家を建てよう、だからそれまでさらに頑張らねば。 子どものために泣いていられない、泣いた顔を見せられないと、前を向いてきた。 だから、ここへきて、やっとあの日を振り返ったり、時間的余裕ができはじめてた。(行政に携わる人はまだまだその余裕が無い人もいますが) その人に、「いつまでも悲しんでいたら、亡くなった方が悲しむから、元気を出して前向きに頑張ろう」とは言ってはいけないです。 そういう、悲しむのはマイナス思考、悪という誤解が、励ましてしまいます。
大事なのは、安心して悲しむ、悲しむ感情をきちんと表現できる環境を整えること。 学問的な裏付けをすれば トラウマとグリーフは違うからです。 トラウマ反応は、体が硬直したり、心が反応しなくなるから、すぐにカウンセリングを受けて治す必要がありますが グリーフは治すものではないからです。 グリーフ、つまり大事な人を失って悲しくなる反応は、治すものではなく、むしろ正常で健康的な反応だから むしろきちんと悲しむことが必要なんです。 だから、ありのままでいいんです。 「声仏事を成す」という言葉がありますが
苦しい 悲しい 弱音 愚痴 そういうSOSを聴き取り
行動をすることが仏の行いを成すという意味で
大層な修行や自己啓発のような行動や、上から目線で救う とかが仏の行いではなく
一緒に悲しみ 苦しみを半分でも背負いたい その心からくる行動が功徳と言い、仏と同じことを成してますよということです。
愚痴 弱音 大いに吐ける そういう環境作り
こういうと、何か運動みたいなことを想起する人もいますが
なんのことはなく、自分が縁した人の伴走者になればいいだけですね。
運動は同調圧力が働きますから、運動家より伴走者が良いなあ。
自分もそうだし、自分にとっての伴走者がいること自体が救いになってます。』
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座談
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これまでは(今でもですが)ネガティブ=悪、ポジティブ=良 として括られてきましたが、自分は以前から漠然とした違和感がありました。これは震災直後の「頑張ろう〇〇」の連呼で決定的になり、はっきりと「それはおかしいだろう」と思うようになりました。遺族の方々の証言を見聞してもこうした風潮が苦痛でしかないと言われます。
こちらでは(場所は失念しましたが)宗派を越えた僧侶の会が苦しみや悩みを抱える人たちの思いを吐露する場を設けているそうですが、そのような人に対して決してアドバイスをしない、話を聞くことに徹するというルールがあるとのことです。まさに的を得た対応ではないかと思いましたね。
2018/4/16(月) 午後 10:25 [ スタリオン ]
> スタさん
スタさんのように「違和感」というものを抱くことも大切だと思っていますが
それが現場 現実に触れて それはおかしいことだという気づきが、本当に大事だなあと、スタさんのレポートを含めて
当事者の方々の声なき声から感じています。
以前 夏ばっぱこと宮本信子さんが、芝居に対して、ベテランになっても常に、こうじゃないな そうじゃないな という違和感の積み重ねと仰っていて、とても共感しました。
僧侶のみなさんの取り組みは素晴らしですね。
日本は宗派仏教ですが、宗派を超えてということも大事ですね。
宗派にこだわり、批判や攻撃して自宗の正統性を誇示している場合ではないですね。
東日本大震災でボランティアをしてきた各宗派の僧侶の集まりで
一箇所に人を集めて説法垂れる宗教は古い
今はアウェイ型 もっと社会の中で人々の声を聞き行動するのが宗教だと口々に語っていました。
本来そうだと思いますが、現場に触れて、今まで信じていたことに違和感を抱いていったのでしょうね。
そういうことがやはり大事なんだなあと感じました。
2018/4/16(月) 午後 11:04
> 午後 10:43 さん
さんは 私にいつも伴走してくれてはると感じてます。
ブロ友さんに恵まれて みなさん 言葉にせずとも いつも見守ってくれてはりますが
内緒さんは その大変さが分かる と言葉にしてくれるのは 伝わるから ありがたいです。
ちゃんと 胸のうちを吐き出せたのに
聴き手は 頭ごなしにアドバイスとか 激励とか指導とか 傷口を責めるようなことをしたらあきませんね。
もう言えなくなってしまう。
笑顔で頑張っている人より
その苦しみ分かるよ って一緒に心を傷めてくれる人が かけがえのない存在です。
2018/4/16(月) 午後 11:38
記事に、全く、同感です。
改めて、教えられました。
ありがとうございました。
2018/4/17(火) 午前 5:26 [ lin*d*e15 ]
> lin*d*e15さん
こちらこそありがとうございます。
教えられているのは いつも私です。
明治以降の富国強兵の影響が今も残り
社会は厳しい 甘ったれるな という風潮が 多くの人を追い詰め 命を奪ってます。
2018/4/17(火) 午前 7:10