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2011年は岩手県 福島県でボランティアに参加させていただいてました。
翌年、南相馬市に行く前に、宮城を見ておきたいと一人で、歩いてまわりました。
夜行バスで仙台駅に着き、早朝仙石線に乗り、松島公園駅で代行バスに乗り矢本まで。
松島 奥松島を走るバスから見える光景は
一階が津波に流された家々
かつては松林であったであろうところどころの松
津波に流された車やボートがまだそこかしこに残っていました。
バスに乗車してくる現地の方々、高校生を見ながら
あの津波を経験されてきた人たちなんだな、と一人一人の顔を胸に刻むように見ていたのを覚えています。
やっと石巻駅に着き、まず日和山公園へ。
朝の8時でしたが、そこから6時間 歩きたおしました。
宮城県は岩手に行く際に通過だけでしたので
この時がほぼ初めてでした。
ここで思ったのは、一年前に、岩手で一旦おもだったガテン系のボランティアが収束して
その状態から一年経っても何も変わっていない、津波流出物 はほぼそのままだと。
この時に初めて、ブログにそのまま状態で画像を載せました。これは発信して多く知ってもらいたい
と痛切に思いました。
津波残存物の撤去が早く収束したので、阪神 淡路大震災のイメージで、町の復興は早いと思っていましたが
2011年の夏ごろの光景からほとんど変わっていないのは
とてもショックでした。
この時点で津波流出物残存物は石巻市で440万トン
市だけで処分しようとすると80年かかる計算。
しかし、大阪などからは、汚染ガレキなどと呼んで、焼却の協力を拒否する運動がありました。
「東北のことまで私たちは関係ない、大阪は大阪でやっていけば良い」と
いわゆるガレキ焼却の是非を問う集会で、焼却に反対する人たちからの発言です。
東北のことなど知ったこっちゃない
多くの大阪人から発せられた言葉です。
感情論かもしれませんが
だから大阪の地震があった時、支援を訴える情報は一切書きませんでした。
大阪で被災された方々が悪いわけではないし
子どもっぽいか感情かもしれませんけどね。
ただ東北のことなど知ったこっちゃないと言わしめた同じ大阪人として、
原発の電気を一番使ってきた関西人として
今もうしろめたい感情を抱いています。
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要談「石巻市」
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たしか宮城、岩手南部は2013年頃になるとこうした生々しい光景は見られなくなり、更地やかさ上げ中の光景に変わってしまったようなイメージがあります。
日本は災害列島と言われて久しいですが、それでも自分の身に降りかからなければ所詮は他人事でしかないのでしょう。「同苦を供にする」という思いやりは忘却の彼方に行ってしまったのでしょう。
2018/7/11(水) 午後 9:26 [ スタリオン ]
> スタさん
たしかに、そうでした。
13年4月には、例えば陸前高田市高田町の
ほとんどの建築物が解体されて、松原跡には盛り土が海を隠していました。
他人事を自分事とするかどうか
これだけ自然災害が続くと、実はそれが一番の備えということが見えてきました。
ただ、起こったことに対して、それみたことか
ではなく、どう手を差し伸べるか、それも大切ですね。
同苦を供にする
支援なども、能動的ではなく、受動的が実は大切で
そこに同苦の心が現れるように思います。
2018/7/12(木) 午後 8:13