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大阪市内の下町の路地の入り口に、小さな碑があります。
その碑には『模擬原子爆弾投下跡地』と刻まれています。
広島、長崎への原子爆弾による核攻撃訓練用の模擬爆弾が、大阪市内で投下されました。
大阪府内では唯一大阪市東住吉区田辺に、長崎に使用されたプルトニウム型原爆
ファットマンに形状が似ていて、パンプキンと呼ばれる5トン爆弾が
通常の爆薬を充填されてB(ボーイング)29によって
生活を営む人間の上に落とされましたが
模擬原子爆弾は、1945年7月20日から8月14日にかけて
北は福島をはじめ、新潟、富山、茨城、静岡、東京、山口、滋賀、和歌山など、全国44地点に49発もの爆弾攻撃があり
400人以上の方が犠牲となりました。
戦後に大阪市が発表した資料によると
大阪田辺では、7人が亡くなり、73人が重軽傷、485戸の家屋が全半壊焼失し
1645人が罹災されたとあります。
爆弾投下当時から長い間、1トン爆弾が落とされたといわれていましたが
愛知県の戦争を記録する市民グループによる調査によって
様々な資料や状況から、田辺に落とされた爆弾が、模擬原爆であると突き止められますが
それは戦後46年後の1991年のことでした。
そして、その模擬原爆によって犠牲となった方の御子息によって
模擬原爆投下跡地確定から10年後の2001年に現地に慰霊碑が建立され
証言集も編纂され、慰霊祭が執り行われました。
大阪に落とされた、この模擬原爆 パンプキン爆弾に広島 長崎規模の核が搭載されていたら
この田辺を爆心地として広島、長崎の被害状況から大阪市 堺市(旧堺市規模)でほぼ家屋が全壊し
10万人以上が一瞬で亡くなっていたであろうといわれています。
※過去の新聞報道を参照
続く
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要談「大阪府・ 関西」
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