このイメージ図を作成するために、何度も会議を行っています。 転載元 小さな命を考える会様 ブログ
先日、NHK 証言記録 あの日わたしは に2度目の出演をされた佐藤敏郎さん
その中で、「今も(大川小学校の)校舎があることで、子どもたちが楽しい日常を過ごしていたことを
よりリアルに伝えることができる」と仰ると。
年間10万人の人が訪れる大川小学校が、伝承から外れているのは
普通に違和感でしかないです。
佐藤さんは訪れた神戸の若い教員の研修者に こう伝えていました。
「今 ここは特別な場所になってしまいました。『あの大川小学校』と言われます。
でも特別な場所でも何でもなくて、普通に子どもたちが笑って泣いて学び遊んでいた場所です。
特別じゃない時に特別じゃない場所に災害がやってきます。
西日本豪雨だって大阪の地震だって、阪神大震災だって関東大震災だって
被災地と呼ばれる前までは、特別な日じゃない、特別ななじゃない場所だったわけで
そこに(災害が)来るんです」
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要談「大川小学校」
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震災について詳しくない人でも大川小学校の惨事は多くの人が知っていますし、校舎が現存していることもあって今も多くの人が訪れています。そこがなぜ伝承施設とならないのか関係者に問うてみたいものです。
また、文科省もこのことを学校の防災に活かそうとする気配すらなく、むしろ恣意的に封印しようと考えているのではないかと勘ぐりたくなります。犠牲になった生徒や教職員の死は一体何だったのかよく考えてほしいものです。
2018/12/12(水) 午後 1:38 [ スタリオン ]
> スタさん
ほんとうに その通りで
妙ですよね。
上記の図を見て、あれだけのラインナップで
大川小学校が入っていないのは、恣意的としか思えないです。
門脇小学校同様 遺構保存整備の調査も進んでいないとのこと。
役所は必ずそれらしい言い訳をしますが
わたしたちは、いつまでも大川小学校を訪れますし
伝え続けていくことには変わりませんね。
2018/12/12(水) 午後 2:50
知人に「釜石の奇跡」と言われた鵜住居小学校で唯一亡くなられた事務員のご主人の親戚がいます。
訴訟や揉めたケースは除外しているのかなと思いました。
2018/12/12(水) 午後 8:45 [ 崖際 ]
> 崖際さん
一人職員室に残られた方でしたね、新聞でお連れ合いの手記を読んで忘れられないでいます。
ご指摘のように本当に 除外しているとしか思えないです。
静かに従っていろ と言わんばかりの仕打ちが 次から次へ
という印象ばかりです。
2018/12/12(水) 午後 9:55