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原発というのは、だいたい立地自治体などの名前がついていますが
島根と福島は県の名前がついているので、事故が起こった時に、風評が県全体に一気に押し寄せたように感じます。
柏崎刈羽原発は新潟県。
昨年、大飯原発再稼働の時、柏崎刈羽原発の再稼働が真の目的と指摘されていましたが
世界一厳しい新規制基準を踏まえて、東京電力が柏崎刈羽原発の安全確認申請
実質的に再稼働申請をしました。
この原発は、東電が事故を起こした原発と同じ、沸騰水型軽水炉。
伺ったところ、メルトダウンすると出力から考えられる被害範囲は、半径300km
つまり、首都圏、東北南部、中部地方まで及び
フォッサマグナの東端の構造線にも立地している以上、早急に廃炉を進めるべきとの意見もあります。
地元にはブルボンなどの企業もあり、交付金を目当てにせずとも、町はやっていけるとの見方も。
▼まず、原発事故の当事者の東京電力が申請をしているということが、大きな問題であり
原発事故を起こし、汚染水の処理もできず、賠償と事故の対応の費用は10兆円以上さらにもっと増える。
税金も大量に投入。
電気料金の値上げで脅していることからも、再稼働申請は収支改善目的が明白
▼忘れてならないのは
日本は被爆国ということ
原発事故によって避難を強いられている人が15万人以上
風評差別にさらされてる200万人の人々。
そして、原発事故で亡くなった方も増え続けていること
それらのすべてに目を閉ざして、技術的な規制基準だけが優先されて、再稼働が語られることに
非常に愚かさを感じます。
原発事故の悲劇は
セシウムがOOベクレルとか、ストロンチウム・・・という核や放射能の脅威だけではなく
今、福島県内外に住む、県民1人1人の苦しみ、悩みだと思います。
昨日の投稿で紹介させていただいた声は以下のブログにあります。
ドイツのメルケル首相が、原発推進から脱原発に舵を切り替えた時
首相の諮問機関として、原発を社会学的、倫理学的にどう捉えるかという、倫理員会を作りました。
原子力の技術に背を向けずに、倫理上の在り方を社会に問いました。
こういうことが、今の日本には欠落していることが、最大の問題です。
だから、事故から2年ちょっとで、平気で再稼働を申請できると思います。
弱い立場の人々に寄り添えず、自己責任、自助強要を押し進め
結局、経済最優先に陥ってしまう。
ここを変えないと、10年、20年も過ぎれば、あちこちで再稼働されていることでしょう。
原爆の被爆者をよそに、50基以上の原発が作られ
日本は世界一の技術大国だとはしゃいでいたように。
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今日、参院選が公示になり、ネット選挙運動も初めて解禁されます。
「ネット選挙」という言葉に、ネット投票と混同する人もいるようですが、あくまで「選挙運動」であり
電子メールを除く投票の呼びかけの解禁で、なりすましや、嘘、事実に基づかない中傷などを取り締まれないことから、禁止事項もあるので、よく精査していきたいものです。
ちなみに、解禁時間は10時ころです。
個人的に選挙期間に限って「ネット選挙運動」をする気などなく、そもそも選挙を語る気もありません。
とくに今回は参議院議員選挙ですしね。
東日本大震災発生以後、東北沿岸部に何度か行かせていただき、
(数十万人の被災者のうちの数十人からしか話をきけていませんが)
特に福島県、また日本最大のスラム大阪市西成区の釜ヶ崎
あるいは生活保護などの現場に関わってきて思うのは、そこに存在する問題よりも
それらに対する社会の眼差し、弱い立場の人に寄り添えない、社会からの眼差しに問題を感じているからです。
国境なき医師団や、世界のスラムをわたり歩いてきた人が、釜ヶ崎にきて異口同音に言うのは
社会からの眼差しが、世界一厳しい、ということです。
さらに福島県に住む人々への眼差しの厳しさです。
(原発のほとんどが立地自治体の名称なのに、東電が事故を起こした原発は県の名前がついていることで
県全体に風評が広がったとも考えられますが。)
2009年の夏以降ブログで、政治の勉強のつもりで、色々学んでは書いてきましたし
私よりも政治や政局に詳しいブログやツイッターを目にしてきました。
しかし、2011年3月11日以降、違和感を感じるようになりました。
「がんばろう」や「絆」という言葉を、単なる流行語ように軽くしてしまった私たち
他人の苦しみを、自分のもにしようという心が欠落して、選挙を語っても、
自分の利益、自分の考えに合わない相手を、中傷批判することと変わらず
そうした相手を異質として差別して、感情的なはけ口としてネットで書きなぐっても、
政治も社会も変わらないことに、このブログを通じて学んできました。
そもそもどれほど本気なのでしょうね。
それでは政治家や政党をいくら替えても、政治も社会も変わりませんね。
トップダウンだけを求めるのではなく、私たちから変えていかねば
主権在民ですからね。
上から何かをしてもらえる、してもらわねば文句だけいう、これを奴隷根性と言います。
私を含めた日本人は奴隷根性が抜け切れていないと痛感します。
先日、福島県の子どもの甲状腺がんの実態、放射能の学習会に参加させていただきました。
厳しい現実を知ることはできましたし、今の子どもたちの健康を守ることは重要ですが
これから産まれてくる子どもに、たとえ障がいがあっても、それがまるで不幸であるかのような意識の方が
大問題と思いました。
心身に障がいを持つことで、生きづらい社会の方が問題であり、私たちの眼差しの問題です。
そこが無くて、放射能を語るとしたら違和感を感じます。
弱い立場の人を見て、政治は何をしているんだ!
と書く前に、自分は何をしているんだ?
と問うていく中で、政治や選挙というものを語っていきたいものですし
選挙は誰のためか、何のためということも欠落してはいけませんよね。
選挙が終われば、対立候補に敬意やエールを送れないのは、社会をみていないからではないかと思います。
何が言いたいかと言えば、上に伸びたり、前に進むことよりも、足下を掘り下げることが大事と思うんです。
深く根を張らないと樹木は大きく育ちませんし、根をはってないとすぐ腐ります。
誰かの願いが叶う時に、誰かが泣いている社会を変えていきたいものです。
政局に詳しい方々は
福島県の人々の声をどう捉えていけるでしょうか?
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