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今日は、東日本大震災と東電の原発事件の発生から、3年10ヶ月となりました。
2010年1月12日(日本時間13日6時53分)、中米 ドミニカ共和国の隣の国、ハイチでM7の巨大地震が発生し、亡くなった方は32万人近くにのぼり、被災者は200万人以上とスマトラ沖大地震と並ぶ、空前の大震災となりました。
中米となると、あまりにも遠くて、国境なき医師団に募金をするくらいしかしていませんでしたが、ちょうど1年後に、大阪の枚方でハイチの大震災を支援するチャリティコンサートを共催したのが、唯一の活動でした。
その翌月にクライストチャーチ大震災が、その半月後に東日本大震災が発生。
ハイチでは今も8万人がキャンプ生活をおくらざるえない状況で、復興の状況は非常に厳しく、今後も十分な支援や復興はできないとの報道もあります。
来週は阪神淡路大震災の発生から20年目となりますが
未だに地震発生直前の地響きが耳に残っています。
東日本大震災以前は毎年、その時のことや、神戸に物資を届けたことなどを書いていましたが、段々と、東北・北関東の被災沿岸部の方々の苦悩を思うと、何年目 何年目 ということに、あまり意味を感じなくなりました。
年月を経るほどに、苦しみ 悲しみが取り除かれるわけでもなく、元の生活に戻ることもなく、むしろ、被災したことが、人生を変えてしまった それぞれの 今 と接することで、何年目であるということに意味を感じなくなってきました。
年月を経た今がどうかが大事だなと。
阪神淡路大震災発生20年を前に、大阪でも報道が増えてきました。
でも、1月18日からは、また何もなかったようになるのでしょう。
20年を経た今も、“震災”は続いています。
しかし報道が解決してくれるわけでもなく
なにか虚しさしか感じられなくなってしまいました。
阪神淡路大震災が発生したのは、1995年
その100年前の1896年・明治29年「明治三陸大津波」が発生
巨大地震が引き起こした巨大津波によって、2万人を超える犠牲者を出しました。
明治三陸大津波で思い出すのが、柳田國男
柳田著の「遠野物語」では、岩手県山田町田の浜 の福二の話しなども記述がありますが
彼はこの大津波発生から25年後の1920年・大正9年、被災した三陸を旅しました。
その時のことを新聞のコラムに「廿五箇年前」 二十五箇年前と題して掲載しましたが
3年後に「雪国の春」を出版した際、「二十五箇年後」と改題しています。
「前」から「後」に一文字の変更ですが、25年前の津波の悲劇から、25年後の現在にこそ意味があるとの大きな変更だと捉えられます。
雪国の春では有名な高台移転の問題の記述もありますが、復興には科学的な部分と精神的な部分とがきちっと向き合っていくことが重要であると、訴えているようにも思いますが 考えてみれば、方丈記の時代から同じ教訓が訴えられ続けているようです。
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2015年01月11日
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