大震災直後 アメリカの有力紙のウェブ上に掲載されたある写真
大津波にのまれ、破壊された自動車の中で、亡くなった娘さんの姿に、うなだれる両親の姿。
その自動車には「山元自動車学校」の文字。
山元 という地名や、その自動車学校で何が起きたのか知りました。
東日本大震災の津波で常磐山元自動車学校(宮城県山元町)の教習生と事務職員計26人が死亡したのは、学校が安全配慮を怠ったためだとして、遺族が学校などに約19億6700万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、仙台地裁は13日、津波の到達を予測してより速やかな避難が可能だったとして学校の責任を認め、学校に約19億1300万円の支払いを命じた。
震災の主な津波訴訟で、遺族側の請求が認められたのは、2013年9月の石巻市の日和幼稚園訴訟の仙台地裁判決(高裁で和解)以来、2例目。
高宮健二裁判長は、公共交通機関が不通となり、教習生の帰宅が困難な状況では、教習終了後も学校は安全配慮義務を負っていたと指摘。
「教官らは消防車が中学校への避難を呼び掛けるのを聞いたと推認され、学校付近に津波が襲来する事態を予期できた」と述べ、呼び掛けに従っていればもっと迅速に避難を始められたと判断した。
経営者や学校長ら個人に対する賠償責任については、呼び掛けを聞いていなかったり、学校内の権限がなかったりしたとして、退けた。
教習生25人の遺族は11年10月、事務職員1人の遺族は12年4月に提訴し、併せて審理された。
判決によると、学校は11年3月11日の地震発生から約1時間後の午後3時40分ごろ、教習生を送迎バスなどに分乗させて帰宅させた。このうち4台に乗った教習生23人と徒歩で帰宅した2人が津波にのまれて死亡した。学校に残っていた事務職員1人も死亡した。
判決後、教習生遺族会代表の寺島浩文さん(52)は「『25人の遺族全員が頑張ってきてここまでこられた』と子どもたちに報告したい」と話した。
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