エクセルシア Season 12

大震災 原発災害 東北を忘れない

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♬特別なスーープを あーなたに あーげるー♫

なんか、美味しそうに見えない・・・笑

今日は休みなので、職場の人とせんべい鍋さ計画したども
急遽中止になって、でもどうしても食べたくて、鶏肉だけ買ってきて
あとはありあわせの野菜などでつくってみたど。
ひっちみ のつゆが使わずにあったので、それをもとに
煮込んで、せんべいを投入・・・
そうそう、ベンツ割り・・・ってそんなきれいに割れないので
アウディ割で
でも、どのタイミングで食べればいいのか・・・
ますピーどんの記事を参考に、アルデンテかあ とおもいきや
どの硬さがアルデンテか・・・とりあえず、食べやすかったらいいのかと
おもっているうちに、ほどよい柔らかさになって
せんべいを汁物に入れてしまう 異文化コミュニケーション
これ、もっとしっかりと作ってみたい。
シチューにもいけるって それも分かる!
くだいてやわらかくして たこ焼きやお好み焼きの記事にもいけそうやし
スープのクルトン代わりや、ワンタンみたいに中華スープにもあいそうやし
ブイヤベースや棒棒鶏やサラダ
なにかといけんじゃ ないべかな

♫ あったかぁあいんだからあぁ ♫

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数年前にも記事にさせていただいたことがありましたが
ある方から、発信し続けてほしいと言ってくれましたので、再度このお話から書かせていただきます。

現在60代半ばのある男性の話し
その方は大阪生まれ、関西の名門大学で法律を学んでいました。
その時に音楽と出会います。友人に誘われ、たまたま聞いたパイプオルガンに魅了され
独学でピアノを学ぶようになり、上達していきます。そしてアルバイトで学生に教えるようになるまでに。
すると芸術大学に次々に合格者を出し、とても評判を得ました。
ニュースにもなるほどで、本人が大学を卒業しても法律家ではなく、ピアノを教え、声楽家の女性とも結婚。
35歳の時に神戸で音楽教室を開きます。
当初は厳しいかったものの、8年目から軌道にのり、バブル期ということもあり、月収が100万円を超えるようになり順調になっていきました。
1995年1月17日、すべてが一変しました。
教室は倒壊し、100人近い生徒さんたちも被災、それどころでなくなりました。
音楽教室は大阪に移しましたが、しかし経営に失敗し撤退せざるえなくなりました。
まさか自分が失敗するとは思っていなかったと語ります。
収入は絶たれるばかりか、借金とりに追われるまでになり、奥さんとも離婚。
家族も財産を失い、漫画喫茶などで夜を明かすこともしばしばで、気が付けば
日本最大の日雇い労働者の町、日本最大のスラム釜ヶ崎にたどり着いていました。
震災で行き場を失った人が、数多く路上生活を強いられいきましたが
この男性もダンボールを敷いて寝る生活に、その時は48歳。
釜ヶ崎の生活は厳しく、毎年100人近くが病や寒さなどで、誰にも看取られないまま命を失っていきます。
ある日、新聞紙を敷いてガレージで寝ていると、虫が飛び跳ねているのを見て、自分も虫と同じように生きる人間になってしまったと思う日々。
路上生活が4年目になった時、もう奏でることはないと思っていた、捨てられたキーボードを見つけます。
釜ヶ崎の路上で、バッハをひきはじました。
すると周りのおっちゃん達は、最初は鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしていましたが、拒否されることもなく、うるさいと苦情を言うでもなく、聴いてくれました。
次第に、ワンカップのお酒をくれる人、100円玉を並べてくれる人、中には拝む人も。
震災で苦労した人が支援をしてくれるようになり、支援を申し出る人が現れ、やがて路上生活に終止符を打ちました。
今でも、夏には釜ヶ崎でピアノを引き続け、夜回りで寝袋や食べ物を配ったり、パトロールを続けています。
さらにコンサートを開くまでに。それでもまだまだ切り詰めて生活をする状態は続いていました。
震災は多くのことを学んだ大事件だったが、どこにいっても人の温かさを感じた。
まだまだしんどいが、がんばって生きていきたい。
そのように語っていました。
数年前まで三角公園などで、ひいておられるのを見かけましたが、今はどのようにされているか、私にはわかりません。

美談や苦労話の類ではなく、一人の人生として紹介させていただきました。
報道でもとりあげられいますが、名前などは伏せました。



大阪は全国でも珍しいようですが、公立中学校は給食ではありませんでした。
たまたま私が通っていた中学校(大阪市立)は米飯給食でしたが
全国的には、中学も給食のところが多いようですね。2〜3年前まで知りませんでした。
そして橋下前大阪府知事、現大阪市長の肝いり政策で半ば強制的に公立中学に給食が導入されました。
しかし、当初から不満が噴出して、ふりかけを持参しても良いか悪いかでもめるほど
そして以下のような記事がでてますが、メディアの観点が違っていて誤解を生みかねません。
制度設計の甘さ、現場の大混乱、中学生が文句を言っているという話になってしまっていますが・・・
これは、橋下市長が設備を作らせておいて、そしてまさに昨年、ゴーサインが出る時期
突然に市長選挙をやって、そのことが現場に大変な迷惑をかけていた。
その影響です。

◇橋下徹市長の肝煎り政策 不満噴出
大阪市で昨年4月から、市立中1年生を対象に仕出し弁当を配る方式での給食が始まった。全国最低だった大阪府内の公立中給食実施率を改善しようと、橋下徹市長が府知事時代から掲げていた肝煎り政策。しかし「おかずが冷たい」などと生徒から不満が上がっており、7割以上の生徒が食べ残している。2016年度から全学年を対象とするが、保護者からは家庭弁当との選択制に戻すべきだとの声も上がる。一方、食べ残しを出さないために「ふりかけ」を持参させるというアイデアを巡り、教育行政のあり方まで議論になっている。
大阪市は元々、家庭弁当が基本だったが、試行を経て13年度は給食(仕出し弁当)との選択制に。昨年、「栄養管理やカロリーコントロールがされた適切な昼食の提供は、一つの教育だ」との橋下市長の方針で、全員給食が導入された。
◇おかず冷蔵保存
財政面から校内に調理室を設けることが難しいため、市教委が献立をつくり、民間業者が調理・配送するデリバリー方式を採用することとした。1食あたり約500円で、うち食材費300円が生徒負担としている。
ご飯とおかずはそれぞれ一つずつの容器に入れられて学校の配膳室に届く。しかし、学校によっては給食時間の数時間前に到着する。ご飯は温蔵庫(70度)で保管するものの、おかずは食中毒防止のため冷蔵庫(10度)に入れる。温め直す機器はないため、「煮こみハンバーグ」などのメニューでも冷えたまま生徒に提供される。
市教委が昨年6月に実施した調査では、給食を「全部食べている」と答えたのは10・8%。これに対し、「ほとんど食べていない」29・0%▽「少しだけ食べている」18・2%▽「半分くらい食べている」26・2%で、給食を食べ残しているのは計73・4%に上った。
●手作り持参望む親 「おかずは冷たいし、ほとんど食べない」と漏らす1年女子の母親は「小学校の温かい給食になれているので、余計に冷たい給食に抵抗があるのだろう」と推し量る。実際、保護者から家庭弁当を望む声は少なくなく、ある保護者は「半ば無理やり、全員給食になった。今からでも選択制に戻してほしい」と訴える。

市教委も生徒の声を受け、みそ汁を保温性のある食缶で配送するなどの改善を図り、温かい食材の提供を始めた。

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