エクセルシア Season 12

大震災 原発災害 東北を忘れない

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連休明けブルーにご用心

8月、内閣府の「自殺対策白書」にて、「18歳以下の子どもたちの過去42年間の日別自殺統計」が発表されました。それによると、一年で一番自殺の多い日は「9月1日(131人)」で、続いて新学期はじめの「4月11日(99人)」、4月8日(95人)、9月2日(94人)、8月31日(92人)となっています。


大人も同じ

浮き彫りになったのは 同じような立場の人が 同じような理由で自殺に追い込まれてる実態です
 いつ亡くなっているのか 一日当たりの平均人数を曜日別に見た場合
最も多いのが月曜日92.8人/日   一番少ない土曜日にくらべ20人の差があります
 
また日付を見ると 月の内 1日と31日に集中しています 平成6年から20年の平均
働く人のメンタルヘルスに詳しい医師によれば 
自殺者の中には真面目で律儀な人が多く 一区切りつけるまではと思って 月の半ばをがんばって月の変わり目に亡くなる方が多いと言います
 
NPO法人では 独自に遺族の聞きとり調査を行い 一人一人がどのように追い込まれていったのかを調べて来ました
その話を精神科医や労働問題に詳しい弁護士を交えて分析
その結果 平均四つ以上の問題が連鎖して自殺に追い込まれている実態が浮かび上がり
職業などによって典型的な連鎖のパターンがある事も分かってきました
 
自営業者の場合  事業不振から多重債務に陥り また家族が病気になるなどの要因が重なって生活が困窮
その後 うつ病を発症し 自殺に至る
家族や健康などの問題を抱えるケースが4割に上っています
 
企業などに努める人達の場合  配置転換など職場環境の変化がきっかけとなった人が全体の3割に
配置転換から過労 やがて うつ状態なり仕事の悩みと重なり 自殺に至るケースがほとんど ということです
会社で労働者の健康を守るシステムが形式的に導入しているが 全く機能していない実態も分かってきています
ある28歳で亡くなった男性は やりがいを感じていた警備の会社で入社9年目に営業に配置転換を言い渡され
自らにノルマを課し食事や休憩を削って働いていました
9ヶ月後過労からうつ状態になり 会社に辞めたいと申し出たり 相談窓口にも赴きましたが
状況は変わりませんでした 
その方のお母さんは ある日 お風呂に入りながら子供のような表情で辞めていい?と訴え泣いていたと語ります また 危ないなと思った時に何カ月か休ませて仕事から離れさせて気分転換をさせてくれてば
とも語られていました
 
ライフリンクでは多くの企業で配置転換の後に過労やうつなど典型的なパターンに沿ったチェックできれば
救える命があるとあるはずだと分析しています
 
自殺について かつては うつ病という病気から自殺に至ると 1対1の原因と結果の関係と言われていましたが
この調査によって うつに至るまでに4つか5つの色々な社会的な要因があって それが最終的にうつに至る原因になってると
いう実態を示しています
すなわち 自殺問題は個人の問題ではなく その背景にある社会的な要因にしっかりと対応していかなければ
根本的に解決にはならないということが はっきりしてきています
 
 単に12年連続3万人を超えると 数字だけで語られるこの問題 
こうした実態調査のデータを詳しく見ていくことが大変重要になっています
 
そのデータを地域や企業などに戻し そこから うつ病や自殺に対して意識を変え
自殺は個人の問題で 語る事はいけないこと というタブー視されている今の現状から 
こうしたデータから対策をうち
うつや自殺に対して個人の問題ではないとい認識を広めていく必要が急務です

今月は、少女雑誌「りぼん」が発刊されて60周年ということですが
同じ年の同じ月、森永ヒ素ミルク事件が発覚しました。
同じく60年ということですが
私の世代でも、ピンとこない事件で、若い方にはほとんど知られていない事件なのかもしれません。

赤ちゃんが飲む粉ミルクの中に
身体に害があるヒ素含まれていました。
それを知らずにお母さんから飲ませてもらった赤ちゃん130人が死亡。
脳や身体に重い障がいをもった子など、健康被害は1万3千440人

この事件の弁護団団長だったのが、中坊公平さんでした。
中坊さんが、被害者一人一人から話を聞いていく中で
多くの母親は、あたかも自分が安物の粉ミルクを選んだことに後悔していたといいます。
それは、同じ森永でも、ゴールドミルクには、混入されていなかったからです。
そして
有名な、ある母親とのエピソードがあります。

女性は
17歳という若さでこの世を去った、
『小西タケオ君』という
男の子の母親
タケオ君のお母さんも、
他の親と同じように、
自分の息子が
元気に大きくなって欲しいと、
おっぱいだけではなく、
粉ミルクで栄養を与えていた。
ところが、そのミルクの中に、
ヒ素が含まれていた。

子どものためにと、
粉ミルクを買い求め、
せっせとあげていた母親は、
まさか自分が毒を与えているとは
思いもしなかった。
結局タケオ君は、
脳に重い障害を持つ・・・・。

中坊さんは、
タケオ君のお母さんに語りかける。
「お母さん、タケオ君を育てて、
いろいろ悲しい事や、
苦しい事があったでしょう。
その中で
一番悲しかった事は何でしたか」と…

するとお母さんは答える
「先生、
 私はこの子が、
 障害を持つ息子が、
 生きていくために、
 どうしても 
 覚えておかなければ
 ならないと思って、
 言葉を教えました。
 そして、
 この子が生きていくために
 必要だからと、
 必死で教え込んで、
 やっと覚えた言葉が二つありました。
 一つ目は“オカア” 
 二つ目は“マンマ”
 という言葉です。
 タケオがどんなにダメでも、
「お母さん」と「ご飯」という
言葉だけは教えないとダメだと思って、
私は一生懸命、教え、
やっと、
この二つだけは覚えてくれました。」

「そうでしたか・・・
 それは大変だったでしょうね」と
中坊さんは母の話に相槌を打つ。
「でも、先生、
 実はこの子は、
 私が教えていない言葉を
 覚えていたんです。」
タケオ君のお母さんは、
中坊さんを悲しそうに見つめ話し出す。
「先生、タケオが教えていないのに、
 憶えていた言葉…
 それはね先生…
 “アホウ”です。」
タケオ君が生涯で
三つだけ覚えた言葉の、
最後の言葉、
それは
タケオ君が
外に遊びに出るたびに、
周囲の心無い人たちから、
いじめられ投げつけられた言葉だった。
ところが、いじめられても、
タケオ君は決して泣かなかった…。
そんな姿を見て、いじめっ子は
「タケオは泣くことも出来ないアホウ」だと、
「アホウ、アホウ」と、
残酷ないじめを繰り返した。
「先生、
 タケオはそんなことがあっても、
 何にも言わずに、
 いつもボロボロになって
 家に帰ってきました。
 そして、
 私の胸に抱かれて
 初めてポロポロと涙を流し、
 泣いていたんです」
お母さんは続ける。
「先生、私はタケオに
 “アホウ”という言葉を、
 ただの一度も
 使ったことはありません。
 でも、この子が
 三つ目に覚えた言葉は
 あんなに苦労して
 教え込まなければ
 覚えることが出来なかったタケオが
 覚えた三つ目の言葉は
 “アホウ”という言葉なんです…。
 タケオにこの言葉を教えたのは
 世間です。
先生、
 私は何が憎い、悲しいかと
 聞かれましたら、
 私はタケオに
 “アホウ”という言葉を教えた
 世間が憎い。」
自らを責める母に
さらに追い討ちをかける
世間の心無い言葉。
言葉は使う者の心根が表に出る。

当ブログでも二度紹介させていただいた、1945・昭和20年8月9日の女川湾海戦から70年。
先日、女川で慰霊式が行われたとのこと。
そこにはカナダ大使も列席したと。

女川には大日本帝国海軍の戦艦が駐留しており、それを撃沈するため米英とカナダの艦載機からの攻撃を受け、それは翌日の朝まで続きました。
150人以上もの人が亡くなったともいわれます。
この時に攻撃を指揮したのが、ロバート・ハンプトン・グレー大尉という人で、グレー大尉が搭乗した爆撃機は被弾して墜落、大尉は亡くなり、最後のカナダ人戦死者となりました。
女川の丘に建つ碑は、グレー大尉を慰霊するもので、大尉はカナダ・ネルソン市の出身だったようです。

グレー大尉は女川攻撃を指揮し、女川の人々の命を奪った「敵」でしたが、女川の人々は大尉のために記念碑を建立(カナダ海軍パイロット、グレー大尉のビクトリア勲章・特別功労章受章記念碑)
その碑文には「昨日の敵は 今日の友となり 女川の人々は多大の好意をもってこの記念碑の建立を援助した」
「この碑が、この戦闘の戦没者全員の霊を慰め、平和と我ら両国の友情の変わらぬ徴し(しるし)とならんことを」
とあります。


第2次世界大戦の末期、女川湾海戦で戦死したカナダ海軍のロバート・ハンプトン・グレー大尉の追悼式が25日、女川町地域医療センター敷地内に建つ記念碑の前で行われた。駐日カナダ国防軍武官や駐日カナダ大使をはじめ、町内の関係者らが参列し、哀悼の意を捧げた。

 グレー大尉は、第2次大戦でカナダ人として最後に戦死した海軍将校。戦後、女川町民は大尉を顕彰する活動を行っており、平成元年には町とカナダの友好の証も込めて崎山展望公園内に記念碑を建立。同公園が震災で被災したため、24年に現在地に移設された。

 追悼式では、1分間の黙とう後にマッケンジー・クラグストン大使が「先の大戦から70年の節目。戦争という暴力から町を守ろうとした住民らの気持ちを考えずにはいられない。戦争を経て日本とカナダは世界で最も平和を愛する国となった」とあいさつ。クリス・ディキンソン海軍大佐は「皆さんの強さは復興の力になる」と激励した。

 須田善明町長は「あの苛烈な戦争は自国民のみならず、他国も傷付けた。平和を希求し、皆さんの友情を灯に復興へと歩んでいく」と述べた。その後、代表者らが碑に花束を添えて、静かに手を合わせた。
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