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ここにも、ようやく来れました。
陸前高田市米崎のお寺の敷地にある、身元が不明の方々の共同墓地。
3年前に整備され、14名の御遺骨が埋葬され、今も12名の方が不明のままだと。
その墓碑には、最初に安置されていた場所と、検視の際につけられた番号が
矢作中 NO.・・・ などと刻まれていました。
また、中には「部分」と記された墓碑も。
この共同墓地は、一つの碑にまとめられるのではなく
お一人、お一人、丁寧に埋葬されているということも、重要なことだと感じます。
個人的に、縁やゆかりがあるということではないですが
お名前も顔も知らない方ではありますが、忘れていませんよ、と手をあわせたくて訪ねました。
大挙して、名所的になるのは不本意ですが、「風化させてはいけない」に、ここに埋葬されている方々のことも入っていることを確認する意味で、撮影して投稿させていただきました。
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【役に立たないボランティアが役立つ】
熊本・大分地震も、急性期から、次のフェイズに入りつつあると思います。
東松島の、ある自治会長の話を参考までに
「子どものちから」
小中学生、高校生のボランティアが夏休みなどに来てくれた。
大人のボランティアに比べると、
どうしても、手が遅くて、 横で見ているとじれったい。 しかし、大人のボランティアがきて、
てきぱきと何かしてくれるときには、 避難している私たちは、手を出せない。 感謝するだけだった。
それは、それで、震災直後はありがたかった。 しかし、何ヶ月も経つと、
手際よいボランティアが来るたびに、 被災者の役割をしなければならない。 しかし、子どもボランティアがきたら、
仮設の人たちは、口を出すし、手もだす。 「包丁はそう握るのではないよ!」
「大根を切るときには、こうしたらいい」 それがいい。
それが、子どものちから
一緒に、復旧をしている、復興をしているという感じが避難者にもでてくる。
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disponibilitéということからも、考えさせられる話でした。
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【急性期から、復旧期に移行しつつある今必要なこと】
沖縄の高山義浩ドクターは、地域医療、在宅緩和ケアで、最前線を走っている方ですが、長く、行政と地域医療のコーディネートをされていて、
現在、熊本県庁に設置されている医療救護調整本部に沖縄県から派遣され、主に現場と行政との調整支援に携わっておられます。
同じく、石巻から、行政の支援にいかれている長ドクターが、高山ドクターのポストをシェアしていらっしゃつたので、再シェアします。
とともに、それ以降(復旧期→復興期)の問題として、どのような社会を作るべきかを、最後に書いてていらっしゃいます。
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高齢者や障がい者、妊婦などが災害弱者として挙げられますが、復興期においては「貧困」こそが弱者の要因であることを直視すべきなのかもしれません。避難所で仮設住宅への入居を待ち続ける高齢者に対して、食事と寝具を提供し、訪問診療を行い、励ましの言葉をかけ続けることが、私たちの社会の到達点ではないはずです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 避難所から仮設住宅、また自宅、公営住宅へと帰って、「災害弱者」の姿が、ニュースから無くなったとき、それは無くなったのではなく、見えなくなったということです。
社会の格差を無くして行くことが、私たちが、自分たちの地域で、足元からなすべきことなのだと思います。
多くの地域でライフラインは復旧し、医療体制は平時に近づきつつあります。しかし、これまで緊張状態で仕事をつづけていた現地スタッフが疲労しています。医療従事者のみならず、事務や清掃の担当者にいたるまで傷ついた心と体を休めることが必要です。 |
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大震災後に、ひょっこりひょうたん島のモデルが、大槌町にある蓬莱島と知りましたが
モデルには諸説あり、釜石の三貫島という説も
そして、テレビ人形劇「ひょっこり ひょうたん島」の主題歌を作詞した、井上ひさしさんは
釜石出身ということで、その歌碑が、釜石の駅前に設置されています。
その横には、同じく井上ひさしさん作詞の「釜石小学校」校歌の歌碑も。
同校体育館に避難された方々の中には、体育館に貼りだしてあった、校歌の歌詞に勇気づけられた方もおられたようです。また釜石小学校の生徒でなくとも、この校歌を歌える人がおおいとのこと。
釜石では、他にも足を運びたい場所がありましたが、雨がひどくなり、安全運転を最優先して
今回はあきらめました。
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