エクセルシア Season 12

大震災 原発災害 東北を忘れない

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御嶽山噴火から2年経って出版された本。あの噴火の時に頂上火口付近にいた生存者の1人です。
彼女は山岳ガイド者で、山を案内することを仕事としています。しかしこの日は、ガイドの下見として単独登頂していました。
この本では、被災当時の体験とともに、同じ時間に被災した生存者の証言を聞きとりながら、噴火当時のことを再現しています。
筆者は、おそらくあの1時間を片時も忘れたことがない、いや忘れられなかったでしょう。時速300キロを超える礫が飛んできて、人がバタバタ倒れていく。声がしなくなったと思ったら生きていたのは自分だけだったとか。
その山のスペシャリストをもってしても、活火山を甘く見ていたといいます。同時に山の経験者として、針の糸を通すような偶然から、生き残るための選択肢を選ぶことができたのも、経験と勘がなせる技だったと思います。
なぜある人は死に、ある人は生き残ったのか?災害を経験した恐らく全ての人は、そのことを繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し考えてしまいます。
「ご先祖様のおかげだった」という言葉は、筆者をはじめ生存者にとっては全く意味がありません。なぜなら、ご先祖様のおかげなのであれば、どうして私はその時間に御嶽山の頂上にいたのか。答えが知りたい。そしてたまたま生き残った「私」の生き残った意味と、たまたま亡くなった犠牲者の人生の意味を知りたいのです。
特にその後者の意味を知るために、おそらく筆者は、自責の念に駆られながら、執拗なまでに、極力偶然という言葉を使わずに、論理的にどのような選択が正しかったのかを追及します。
つまり、この本のハイライトは、人が生き残るためにとった選択を、オブラートに包むことなく、描いていることです。
火山の噴火に直面していない人にとってみれば、一見すると、死者にむち打つ行為だと非難したくなるでしょう。でも、生存者にとっては全く逆。それが死者を単なる「犠牲者」としてではなく、「死から学ぶ」行為の対象として、生死の償いをしている。
なぜ筆者は自責の念に駆られるのか?たまたますれ違った人びとや怪我した人びとを、捨てていく以外に自分が生き延びる方法がなかったから。
そして筆者は講演の前に、あのときの恐怖を意図的に思い出すのだという。そして危険な目に遭わせないよう、山に登る人びとに意識づけ、生き残ってもらうこと。それが彼女のこれからの生きる意味なのかもしれない。
災害を生き延び、自責の念に駆られながら過ごしておられるすべての方々に「生きていてくれてありがとう」という言葉と共に、この本を贈り添えたい気持ちに駆られます。


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