エクセルシア Season 12

大震災 原発災害 東北を忘れない

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秋空

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2日間ほど、日中は雲ひとつない晴れが続きました。
仕事をしていると汗ばみ日焼けしました。

上の写真は先週氾濫した大和川の下流(大阪市 松原市)
翌日の朝、出勤でここを渡りましたが
今見えている土手はまだ水没していました。
この大和川、もとは奈良から現在の大阪市内東部
そこから北へ流れ、淀川にながれていましたが、よく氾濫してたと。

写真に写っている下流部は
江戸時代につけかえ工事で
人口的に作られた河川なんですよ。
(奥が大阪湾の方向)

北西を見ています。
右奥に、「あべのハルカス」が見えます。
4kmほどの距離です。
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秋の空といえば
うろこ雲 いわし雲 さば雲
など想像するだけでお腹が空きそうな巻雲を見て
暑い夏も終わって良い気候になってきたなあ
と実感できます。
夕方の西の空もきれいです。
しかし、数年来、春と秋が短く
暑いか寒いか という気候が続き
四季の感覚も変わってきたように。
都会ならではでしょうか・・・
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さて、台風22号が沖縄を暴風圏内に
明日は関西にも近づきます。
先週の大雨で地盤が緩んでますが
これ以上の被害はでないほしいと願うばかりです。




昭和顔の武田の御老公と、平成というか21世紀顔と骨格のイケメンたちが
東北をめぐる、水戸黄門の新シリーズも五話に。
いわき、浪江、福島と水戸から福島を旅した御老公一行は硯石、雄勝石の里 宮城県雄勝町へ。
題して 「硯の里の仇討 雄勝」
なんと大船渡出身の二ーヌ マッケンジーさんもゲスト出演。
これは観ない手はありませんね。
って、うちBS映れへんけど・・・







転載元 中外日報


東日本大震災「奇跡の一本松」で有名になった岩手県陸前高田市の高田松原の枯死した松材を使い、京都伝統工芸大学校(京都府南丹市)で教える仏師の須藤光昭教授(72)と学生らが阿弥陀如来像を刻んだ。震災の津波によって住職が犠牲になり、2014年には火災で伽藍が焼失した陸前高田市の浄土宗荘厳寺の庫裏に内仏として安置される。

仏像は、寄せ木造りで高さ90センチの阿弥陀如来立像。吹蓮華の台座と舟形光背も含め約170センチ。学生20人余りと1年がかりで仕上げた。仏像制作には適さない松材は節が多く、それを削って埋め木をして補うなど苦労も多かった。やにが多い松の欠点を抑えるため、漆を塗り重ねて古色を出したりと工夫を重ねた。

須藤教授は「縁あって手掛けさせていただいただけに学生も真剣に取り組んだ。松原の松らしさを残し、木肌に漆を塗っただけで仕上げた」と話す。

荘厳寺への搬入前の19日、三宮憲定住職(81)と、400年以上前に同寺を創建した松坂徳右衛門定久の子孫で、同市出身の松坂定徳さん(85)=堺市=が、大学校の工房で仏像と対面した。(詳細は2017年10月25日号をご覧ください。中外日報購読申し込み)

2012年7月撮影 保存加工直前の「一本松」
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転載元 沖縄タイムス様 



沖縄の伊江島土地闘争が激化した1955年の住民側の記録「真謝日記」が、故阿波根昌鴻さんが残した資料群から見つかった。島を訪れた調査団に「(土地を)これ以上取られたら死あるのみ」と訴える場面など、住民の生の声が刻まれている。インターネットで資金を集めており、近く冊子として刊行する予定だ。(北部報道部・阿部岳)

土地を強制接収した1955年

 米軍が伊江島に射爆撃場を建設するため、土地を強制接収したのは軍事占領下の55年3月。日記は翌4月28日に始まり、7月25日まで続く。
 ノートの表紙には「日記帳 真謝区民 区長 大城幸藏」と書かれている。中には複数の筆跡があり、交代で現地の記録をつけていたことがうかがえる。阿波根さんが書いていたかは不明。
 当時、伊江島住民が沖縄本島に出向き、窮状を訴えたため、調査団が相次いで訪れた。6月7日には琉球政府の法務局長ら17人が訪れた記録がある。
 住民は「土地を取られ、土日も演習され、子供達(たち)の養育も不可能であり食量既になし」「土地ドロボーをつかまへろ」(原文表記のまま)と訴えた。これに対し、政府側は「中間に立つ『主のう』のつらさを認識して貰(もら)いたい。了解して貰いたい」。絶対権力だった米軍との板挟みに遭う政府首脳を指したとみられる。
記録への信念うかがえる

 日記はまた、本島に陳情へ出かけた際の経費を電報、せっけん、ちり紙、かつお節などと事細かに記録。苦しい運動の中で、お金を大切に使っていた様子が分かる。
 真謝日記は阿波根昌鴻資料調査会が2002年から15年間続けてきた調査で見つかった。代表の鳥山淳沖縄国際大教授は「島ぐるみ闘争の出発点である伊江島の闘いが、ゼロから立ち上がる経過が見える。厳しい状況の中でも、事実を記録し知らせることで社会の意識は変わっていくという信念がうかがえる」と話す。
 資料群を収蔵する「わびあいの里」は25日まで、沖縄タイムス社が運営するクラウドファンディングサイト「Link−U(リンクユー)」で刊行費用を募っている。

伊江島土地闘争とは

 米軍は1953年、射爆撃場建設のため伊江村真謝、西崎両区の住民に土地を明け渡すよう通告した。55年には住宅をブルドーザーで引き倒し、放火して強制接収した。住民は琉球政府前の座り込み、本島各地を巡る「乞食行進」で世論に訴え、後の島ぐるみ闘争につながった。



転載元 沖縄タイムス


阿波根さんが残した資料は反戦平和資料館「ヌチドゥタカラの家」の展示品のほか、倉庫や物置にあふれていた。アーカイブズ学を専門とする国文学研究資料館教授(当時)の安藤正人さん(66)=神奈川県=らが2002年に阿波根昌鴻資料調査会を立ち上げ、以来15年間にわたって毎年2回の調査に通ってきた。
 安藤さんは「鼻紙以外には何にでも文字が書き込まれていた。阿波根さんの記録に対する強い意志を感じた」と振り返る。「刊行を契機に、生の資料を閲覧できる体制整備が進むことを願っている」と語る。
 調査会の辛抱強い作業を見守ってきた謝花さんは「専門家がボランティアで作業を続けてくれていることに驚き、感謝している」と話した。「戦争は人災だが、平和をつくるのもまた人だと教えられた」
 調査の成果第1弾となる「真謝日記」刊行はインターネットで資金を募集し、25日の期限を前に目標の30万円を上回る37万8千円が集まっている。わびあいの里監事の渡嘉敷紘子さん(34)は「阿波根さんを知らない世代や層にも関心を広げられたのではないか」と手応えを語る。
 12月にも500冊を刊行し、伊江村内の学校や県立図書館、大学の図書館に寄贈する。一般向け販売も予定している。今後、調査が終わった資料は順次刊行していく。
 問い合わせはわびあいの里、電話0980(49)3047。
米軍のでたらめに事実で対抗

 ■鳥山淳沖縄国際大教授
 「真謝日記」は米軍による土地の強制接収から1カ月半という早い時期の伊江島土地闘争の記録である。生活の手段を全て失い、ゼロから闘いを始めていった経過が見える。当面の生活をどうするか、何をどう訴え、交渉すべきか。全て住民自身が考え、動いていった。追い込まれたがゆえの創造性があった。
 驚かされるのは厳しい状況の中で付けていた記録の克明さ。阿波根昌鴻さん自身は島外に出る機会が多く、現地記録であるこの日記を書いたかは分かっていないが、常に記録の重要さを説いていた。
 米軍のでたらめに対して事実を突き付け、広く知らせることで社会の意識は変わっていくという信念、運動の方針がうかがえる。
 真謝区の住民が土地取り上げに正面から異議を唱えず沈黙していたら、その後の島ぐるみ闘争があったかも分からない。具志、伊佐浜とともに導火線の役割をした。その出発点を伝える貴重な記録といえる。(沖縄現代史、談)


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