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2日間ほど、日中は雲ひとつない晴れが続きました。
仕事をしていると汗ばみ日焼けしました。
上の写真は先週氾濫した大和川の下流(大阪市 松原市)
翌日の朝、出勤でここを渡りましたが
今見えている土手はまだ水没していました。
この大和川、もとは奈良から現在の大阪市内東部
そこから北へ流れ、淀川にながれていましたが、よく氾濫してたと。
写真に写っている下流部は
江戸時代につけかえ工事で
人口的に作られた河川なんですよ。
(奥が大阪湾の方向)
北西を見ています。
右奥に、「あべのハルカス」が見えます。
4kmほどの距離です。
秋の空といえば
うろこ雲 いわし雲 さば雲
など想像するだけでお腹が空きそうな巻雲を見て
暑い夏も終わって良い気候になってきたなあ
と実感できます。
夕方の西の空もきれいです。
しかし、数年来、春と秋が短く
暑いか寒いか という気候が続き
四季の感覚も変わってきたように。
都会ならではでしょうか・・・
明日は関西にも近づきます。
先週の大雨で地盤が緩んでますが
これ以上の被害はでないほしいと願うばかりです。
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2017年10月28日
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昭和顔の武田の御老公と、平成というか21世紀顔と骨格のイケメンたちが
東北をめぐる、水戸黄門の新シリーズも五話に。
いわき、浪江、福島と水戸から福島を旅した御老公一行は硯石、雄勝石の里 宮城県雄勝町へ。
題して 「硯の里の仇討 雄勝」
なんと大船渡出身の二ーヌ マッケンジーさんもゲスト出演。
これは観ない手はありませんね。
って、うちBS映れへんけど・・・
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転載元 中外日報様
東日本大震災「奇跡の一本松」で有名になった岩手県陸前高田市の高田松原の枯死した松材を使い、京都伝統工芸大学校(京都府南丹市)で教える仏師の須藤光昭教授(72)と学生らが阿弥陀如来像を刻んだ。震災の津波によって住職が犠牲になり、2014年には火災で伽藍が焼失した陸前高田市の浄土宗荘厳寺の庫裏に内仏として安置される。 2012年7月撮影 保存加工直前の「一本松」
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転載元 沖縄タイムス様
沖縄の伊江島土地闘争が激化した1955年の住民側の記録「真謝日記」が、故阿波根昌鴻さんが残した資料群から見つかった。島を訪れた調査団に「(土地を)これ以上取られたら死あるのみ」と訴える場面など、住民の生の声が刻まれている。インターネットで資金を集めており、近く冊子として刊行する予定だ。(北部報道部・阿部岳)
米軍が伊江島に射爆撃場を建設するため、土地を強制接収したのは軍事占領下の55年3月。日記は翌4月28日に始まり、7月25日まで続く。 ノートの表紙には「日記帳 真謝区民 区長 大城幸藏」と書かれている。中には複数の筆跡があり、交代で現地の記録をつけていたことがうかがえる。阿波根さんが書いていたかは不明。 当時、伊江島住民が沖縄本島に出向き、窮状を訴えたため、調査団が相次いで訪れた。6月7日には琉球政府の法務局長ら17人が訪れた記録がある。 住民は「土地を取られ、土日も演習され、子供達(たち)の養育も不可能であり食量既になし」「土地ドロボーをつかまへろ」(原文表記のまま)と訴えた。これに対し、政府側は「中間に立つ『主のう』のつらさを認識して貰(もら)いたい。了解して貰いたい」。絶対権力だった米軍との板挟みに遭う政府首脳を指したとみられる。 日記はまた、本島に陳情へ出かけた際の経費を電報、せっけん、ちり紙、かつお節などと事細かに記録。苦しい運動の中で、お金を大切に使っていた様子が分かる。 真謝日記は阿波根昌鴻資料調査会が2002年から15年間続けてきた調査で見つかった。代表の鳥山淳沖縄国際大教授は「島ぐるみ闘争の出発点である伊江島の闘いが、ゼロから立ち上がる経過が見える。厳しい状況の中でも、事実を記録し知らせることで社会の意識は変わっていくという信念がうかがえる」と話す。 資料群を収蔵する「わびあいの里」は25日まで、沖縄タイムス社が運営するクラウドファンディングサイト「Link−U(リンクユー)」で刊行費用を募っている。 米軍は1953年、射爆撃場建設のため伊江村真謝、西崎両区の住民に土地を明け渡すよう通告した。55年には住宅をブルドーザーで引き倒し、放火して強制接収した。住民は琉球政府前の座り込み、本島各地を巡る「乞食行進」で世論に訴え、後の島ぐるみ闘争につながった。 |
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転載元 沖縄タイムス様
阿波根さんが残した資料は反戦平和資料館「ヌチドゥタカラの家」の展示品のほか、倉庫や物置にあふれていた。アーカイブズ学を専門とする国文学研究資料館教授(当時)の安藤正人さん(66)=神奈川県=らが2002年に阿波根昌鴻資料調査会を立ち上げ、以来15年間にわたって毎年2回の調査に通ってきた。 |
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