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今日は1月11日
これまで、ボランティア活動を含めて足を運んで、2012年以後撮影をした
大震災、東電原発災害被災地の画像を
すこしずつ、再投稿していきます。
画像では、正直 あまり伝わらないという実感はありますが
一つの手段として投稿します。
地震や津波で倒壊した個人の家屋も選んで投稿しますが
当時の状況を伝える意図ですのでご理解いただければと思います。
2011年3月11日の地震、津波によって被害を受け
そして東京電力原子力発電所の事故によって、原発から20km圏内が
避難区域、警戒区域として立ち入りが禁止されていましたが
2012年の4月に一部が解除され、昼間の立ち入りができるようになり
合わせてボランティアセンターが開設されて、災害ボランティアの募集も始まりました。
2011年に函館、青森、岩手、宮城、茨城などで行われていた
津波による流出物、堆積物、などいわゆる「がれき」の撤去、家屋の片づけなどの復旧作業が
福島県浜通り、特に20km圏内では手つかずの状態でした。
私が最初に南相馬市小高区を訪れたのは、2012年の8月です。
村上海岸付近で、津波の被害を受けられたお宅の片づけなどが活動内容でした。
大震災が発生した前年の3月11日に電気がとまり
日用の冷蔵庫と漁師さんだったので、業務用の大きな冷蔵庫は
1年半電気が止まった状態で放置されたままでした。
また、同じく3月11日の晩ご飯のために、鍋で下ごしらえをしていた食べ物もそのままでした。
画像は津波で基礎を残して、すべて流出してしまった家屋ですが、ここには集落がありました。
津波は海からだけではなく、地形の関係で複数の方向から津波が襲来した地域もあり
高台にあるにもかかわらず、一階部分を津波がつき抜けたと思われる家屋も沢山目にしました。
また、あちこらちに、トラックや乗用車、トラクター、ボート、漁船などが、津波に流されたまま放置されていました。
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2018年01月11日
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