エクセルシア Season 12

大震災 原発災害 東北を忘れない

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1944年、日本に留学中だった詩人・尹東柱(ユン ドンジュ)は
ハングルで詩を作ったとして、治安維持法違反で逮捕され
翌1945年2月16日福岡刑務所で28歳で獄死。
逮捕の前年に、戦局悪化から一時帰国を余儀なくされ
学友 知人らが送別のハイキングを企画し
尹東柱は京都の宇治を訪れていますが
生誕100年を迎えた昨年の10月に、宇治のゆかりの橋のたもとに
「詩人 尹東柱 記憶と和解の碑」が建立されました。

転載元 聯合ニュース様
韓国で国民的な人気を誇る詩人・尹東柱(ユン・ドンジュ、1917〜1945)の命日に合わせた献花式が10日午後、尹東柱が朝鮮半島から日本に留学した際に在学していた同志社大の今出川キャンパス(京都市)で開かれる。

 同大の卒業生らでつくる「尹東柱を偲(しの)ぶ会」と「同志社コリア同窓会」は毎年、尹東柱の命日(2月16日)直前の土曜日に献花式とイベントを開催している。

 今年の献花式は午後1時半から同キャンパスにある尹東柱の詩碑の前で行われる。同2時半からは良心館の105号教室で、映像などで尹東柱の足跡や詩の魅力を紹介するイベントが開催される。誰でも参加できる。


いつころからか
ニュースを読むと、「岩手の職員が、、、」「岩手漁師の、、、」「岩手の僧侶が、、、」「岩手の技師による、、、」
という見出しを見て、岩手のニュースと思って読んでも、岩手の要素が無いと思ったら
全部
「若手の職員が」 「若手漁師の」「若手の僧侶が」「若手の技師による」と読み間違えてました、、、

今日もそんなことで岩手のニュース読んでたら、「若手」のニュースでした、、、(笑)

もう一年以上も岩手の空気 宮城の空気 福島の空気 青森の空気を、東北の空気を吸ってないからやなあ、、、

大船渡港 2016年11月撮影
イメージ 1





台湾 花蓮地震について、色々と報道をネット上で拾い上げていましたが
日本人のSNS上では「台湾加油 タイワンジヤーヨウ 台湾頑張れ」のハッシュタグがつけられての投稿や
現地のメディアのネット発信をシェアされたり。
そしてその中身は、東日本大震災時に「小さい国で 巨額の募金が集まった」「たくさんの支援をしてくれた」「親日国台湾を応援しよう」
というような体での呼びかけが大半を占めてます。

災害でひとが苦しい時に、募金が多かった 親日  などで狭いものに押し込める発想に違和感です。
支援してくださった方への心情は理解しますが
こういう時に、属性を持ち出さずに、誰であろうと 過去に恩があろうと無かろうと
そっと手をさしのばすことでええと思うんです。
7年前の恩返ししたいなら、この7年の間に観光したり、台湾について調べて
さまざまな境遇の人に手をさしのばすこともできました。
そういう方々も実際におられますけど。
私は台湾に行けなかったけど、11年に韓国に行きました。

7年前も、日本に負担をかけてはいけないと
そっと支援物資や寄付を送りそっと帰った国や機関はたくさんありますし
在日の難民、難民として認められず囚人扱いされているひとたちも
お金が無い中、なけなしの募金をかき集められたり
朝鮮学校の生徒さんもさまざまな支援をされていたし、朝鮮の関係団体も支援されました。
韓国 中国も支援してくださった。
日本中でその日食べるのに必死な中、募金をした人も膨大にいますが
私たちはその方々に対して、恩返しどころか日頃は差別や弾圧や貧困に追い込んでいる状況なんですよね。

台湾 花蓮の被災された方々を支援するのに、枕ことばは無くても
一人一人が支援に加わったら、それで良いのではと思います。
百歩譲って、それが大きな支援になったら、それでええやんということです。

普遍的な問題を、偏った狭いものにしたり、人それぞれ、としてしまうことを
見直そうとしたのも、7年前に学んだことだったと思うんです。




唐丹の本郷は、田老と並び、津波の被害甚大なところとして知られていました
(明治三陸大津波、昭和三陸大津波)

 「明治29年(注;1896年)津浪(注;波高14.5m)に際しては出漁者數十名を除く外僅かに4人生き殘れりと云ふ」
内務大臣官房都市計画課『三陸津浪に因る被害町村の復興計画報告』1934年

そして、高台移転を決めました。

 「1896年山沢鶴松の指導があって海岸から600mほど離れた山腹に、同氏を含めて5戸移ったが、勿論他の要因も加わっているが、海岸から遠ざかりすぎて不便に堪えられず、漸次原地に復帰してしまった」
山口弥一郎「津波常習地三陸海岸地域の集落移動」

そして昭和三陸大津波(1933年<昭和8年>3月3日)
「谷奥の1戸を残して、全村101戸が全滅し死者117名、行衛(ママ)不明208名計325名を算するに至った」
山口弥一郎『津浪と村』

なぜ、また海辺に戻るのか?という疑問がわくかもしれません。

もちろん、何十年に一度の津波を不安に思い、遠い高台に移動するよりも、常にそこにある世界三大漁場の「海の恵」とともに暮らす日常生活に、私たちは思いを馳せねばならないですし、
次のようなことも、実際にあったということを覚えておかねばなりません。

例えば、本郷の西隣の小石浜も、唐丹湾に接する津波常襲地でした。

明治三陸大津波で激甚な被害を受け、高台に移転したのですが、1913年(大正2年)4月1日、山火事にあい、高台に移転した280戸のうち、10戸を残して、焼き尽くされました。

海岸近くにあったときは、水の便がよく、火事はあまり心配ない地域でしたが、高台に移転して、水が不便になったわけです(もちろん、火事の時だけではなく、日常生活も)。 

常に、離れた無関係な場所で、ああだ、こうだ、と決めつけた意見を持ったら、あかんと思うわけです。

高台移転が全部あかんとか、高台移転で全面的にOKとかではなくて、メリット、デメリットのかなり詳細なところまで、想像できることが大事だと思うわけです。

現地には、現地の細かい事情、状況があると思うわけです。

そのためには、震災だけではなく、「現場」からものが見れるぐらい、行かんとあかんと思うわけです。

rebelius socialwriter and activist



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