エクセルシア Season 12

大震災 原発災害 東北を忘れない

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TETTOにて、『復興カメラ』 開催中!

本日から4月1日(日)まで、TETTO(釜石市民ホール)のギャラリーにおいて、釜石と大槌の復興の過程を撮影した写真の数々を展示する「復興カメラ」を開催しています。

未だ復興の途上ですが、これまでの軌跡を振り返るとともに、未来に向けてこれからの復興を考える良い機会ですので、市内・町内の皆様のみならず、県内各地や県外の皆様も、この機会に釜石・大槌に足をお運び頂き、ぜひご来場ください。

以下、「復興カメラ」の詳細です。

TETTOプレオープンイベントVol.12 東日本大震災 復興の記録 写真展
岩手 釜石・大槌
「復興カメラ」

平成30年3月13日(火)〜4月1日(日)

写真 特定非営利活動法人@リアスNPOサポートセンター
時間 9:00〜21:00 入場無料
場所 釜石市民ホールTETTO ギャラリー

主催 釜石市民ホール
共催 岩手県沿岸広域振興局

問合せ:釜石市民ホールTETTO [指定管理者] 釜石まちづくり株式会社
    〒026-0024 岩手県釜石市大町1-1-9
    TEL 0193-22-2266 https://tetto-kamaishi.jp/
イメージ 1

5年前に掲載された あるコラムより


沖縄戦を歌った民謡の名曲「艦砲ぬ喰ぇーぬくさー」。
艦砲射撃の“喰い残し”を意味し、「生き残り」のことを指している。

68年前(現73年前)の3月下旬、米軍は沖縄に雨のように艦砲射撃を浴びせ
4月1日本島に上陸。地形が変わるほどの激しい爆撃で、住民もその犠牲になった。

先日「喰ぇーぬくさー」の一人である壮年に話を聞いた。
「壕から外に出ようとした瞬間、艦砲射撃にあいました。
もし、2、3秒早く出ていたら・・・」。
一瞬で生命が奪われる過酷な体験に、胸が締めつけられた。

「恨でぃん悔やでぃん 飽きじゃらん 子孫末代(しすんまちでー) 遺言(いぐん)さなー」。
(戦争をいくら恨んでも悔やんでも飽き足らない。子孫末代まで語り伝えなければ。

これは、曲の結びの歌詞である。
しかし今、「艦砲ぬ喰ぇーぬくさー」という言葉の存在を知る青年世代は多くない。
戦争体験の風化が課題となる中で、「子孫末代遺言さな」という歌詞が、一層、心に響いてくる。

壮年は、地域の平和教育のために戦争体験を絵にした。
「描くたびに、悲惨な状況が思い起こされ、筆が重くなった」。
それでも、筆を置かなかったのは、「遺言さな」という強い思いのゆえであろう。
その誓いを無にしてはならない。





艦砲の喰えーぬくーさー
かんぽうぬくぇーぬくさー

くぇーぬくさー 食い残し。
くぇーぬくし 食べ残し。 

語末の「あー aa」は 「・・の奴」「・・の人」と擬人化的表現。
「食い残されし者」くらいの意味。

作詞作曲 比嘉恒敏


一、若さる時ね戦争の世 若さる花ん咲ちゆさん(若さる花ん咲ちゆさん)
家ん元祖ん親兄弟 艦砲射撃の的になて着るむん喰えむんむるねえらん
スーティーチャー喰で暮らちゃんや (うんじゅん我んにん 汝ん我んにん艦砲の喰い残さ)

若い時は戦争の世の中 若い花は咲くことが出来なかった(若い花は咲くことが出来なかった) 
家もご先祖様も親兄弟も[艦砲射撃]の的になり 着るもの食べるものも全くなかった。
ソテツを食べて暮らしたよ。(あなたもわたしも 君も僕も艦砲の食い残し)


ニ、神ん仏ん頼ららん 畑やカナアミ銭ならん 
家小や風ぬうっ飛ばち戦果かたみてすびかって 
うっちぇーひっちぇーむたばって肝や誠どやたしがや

神も仏も頼られない 畑は金網(張られて)銭にはならない。
家は風が吹っ飛ばし戦果担いでしょっびかれて 
ひっくり返し返され弄ばれ 心は全く誠実だったのだがねえ


三、泥の中から立ち上がて家庭もとめて妻とめて
産子生まりて毎年産し次男三男ちんなんび
哀れの中にも童ん達が笑い声聞ち肝とめて

泥の中から立ち上がって家庭を求めて妻をめとり 
こどもも生まれて毎年産み次男三男とかたつむり(みたい)
苦労の中も子どもらの笑い声聞き心を求めて


四、平和なてから幾年か子の達んまぎさなて居しが
射やんらったるヤマシシの我が子思ゆるごとに
潮水又とんで思れ 夜の夜ながた目くふぁゆさ

平和になってから何年か 子ども達も大きくなっているが
射られたイノシシが我が子を思うように
潮が又くる(繰り返す)のだと思っては夜の夜中にねむれない


五、我親喰わたるあの戦我島喰わたるあの艦砲 
生まれて変わても忘らりゆみ誰があの様しいいんじゃちゃら 
恨でん悔やでん飽きざらん子孫末代遺言さな

私の親を食べたあの戦争 私の故郷を食べたあの艦砲射撃 
生まれ変わっても忘れることができようか?誰があのようなことをしはじめたのか 
恨んでも悔やんでも飽きたりない 子孫末代まで遺言したいねえ


歌詞 訳詞 出典
たるーの島唄まじめな研究様

いたしかたない とはいえ
「遺構」が無くなることと、風化の加速とは別のことであってほしいです。



転載元 毎日新聞様

東日本大震災の津波で当時の町長と職員の計40人が犠牲になった岩手県大槌町の旧役場庁舎について、町議会(定数13)は15日、町が提案した解体関連費用などの補正予算案を可決した。解体と震災遺構としての保存とで町内では意見が分かれていたが、町は正式に解体に向けて動き出すことになった。

3月定例会最終日に追加提案され12人が採決。賛成、反対同数で、小松則明議長の裁決で認めた。

震災時、防災担当職員で旧庁舎屋上に避難して無事だった平野公三町長は「目にすることは耐え難いという人に寄り添う」と提案理由を述べ、2018年度中に解体し跡地は災害時の車の乗り捨て場にする考えを示した。

旧庁舎を巡っては、11年8月就任の碇川(いかり、がわ)豊町長(当時)が13年に玄関などの一部を震災遺構として保存することを決定。15年8月の町長選で「解体」を訴えた平野氏が初当選し、町を二分する議論が交わされてきた。平野町長は町議会の「熟考」を求める意見書を受け、解体関連予算の提案を2度先送りした。

保存を求める市民団体「おおづちの未来と命を考える会」の高橋英悟代表(45)は「二度と津波で犠牲者を出さないよう目に見える形での保存が必要」と主張。解体関連費用を新年度当初予算の「補正予算」として提案することは、地方自治法に抵触するおそれがあると指摘し今後、住民監査請求などを視野に拙速な解体を阻止する考えだ。

2014年 2015年 撮影
旧町役場 
イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3



亡くなられてもう3年になります。
ラジオを聴いていた時、そういえばこの歌があったと
思い出しました。
顔をあげよう 前を向いて歩こう
より、よっぽど優しく 寄り添う歌だと思います。
上を向けないなら 無理しなくてもいいじゃない 
うつむいて歩いたら、何かを見つけられるよ。
おそらく 苦しいおもいをしている人の隣に寄り添ってきたからこそ
こういう歌詞が書けるんでしょうね。
キンキンの強さと優しさを痛切に感じる歌です。


『 うつむいて歩こう  何かが落ちてるはず

   人の足跡が 泣いているかもしれない

   うつむいて歩こう  いじけてもいいから

   みんなが忘れてる 心が落ちてるよ

   遠い夢は  今の僕には とっても  とっても 辛い

   綺麗な天の川 今の僕には 気分が痛い

   うつむいて歩こう 優しさが落ちてるかもしれない

   遠い夢は 今の僕には とっても とっても 辛い

   綺麗な天の川 今の僕には 気分が痛い

  うつむいて歩こう 優しさが落ちてるかもしれない』
 


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