エクセルシア Season 12

大震災 原発災害 東北を忘れない

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中学校で社会の一員になる準備として、助けられる側から、助ける側への変換期の体験
18歳成人が閣議決定しましたが、これから成人していく人たちは
超高齢社会を生きるということですね。
助ける 助けられる や バリアフリーという言葉が無くなって 当たり前になるのが良いのでしょうけど。


出典 紀南新聞

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損害賠償を求める訴訟も起きた津波予報の過少判断
最近、災害発生を伝える報道やアラートが、大げさで疲れる
そういう意見もあるようですが
東日本大震災 巨大津波災害の教訓の一つに
津波の水位の過少評価によって、多くの方が犠牲になったという指摘があります。

小野寺五典議員(現防衛相)が国会で質問したこと




小野寺現防衛大臣による2012年(当時野党)の予算委員会での質問から

『「三陸沖に津波が来る」と、以前から「99%の確立で津波が来る」と
言われていたから、沖合いにブイを浮かべていました。
そして津波が沖から襲ってきたら、津波の高さでそのブイが持ち上がる。
即座に人工衛星で 「沖合○○mのブイは、今何メートル高くなった」
そうすれば沿岸に何分後に到着して、「○○町の○丁目に○メートルの津波が来る」このような予報システムを造っていたんです。

今回、津波が来ました。 
この予報システムは完全に当たっていました。気象庁にもデーターは送信されてるんです。
沖合いの津波計、4メートルを越える津波が来たのが測れた。
経験則からいうと 「これは最大20メートルは越える。」
とんでもない津波!
ところが気象庁は何をしたか。 このデーターを無視したんです。
そして気象庁が発表した津波の高さは 
「宮城は最大6メートル」、
「福島、岩手は最大3メートル」。
だから、陸前高田では3メートルだったら、水門閉めれば津波は来ないんですよ!
消防団はみんな行ったんです。水門を閉めに…
南三陸町では最大6メートル。だったら、2階にいれば大丈夫だったんです。だから防災庁舎に残って、最後まで町民に知らせたんですよ。
大川小学校ではどこに避難したらいいか 6メートルだったから判断を迷ったんです。
実際に来た津波… 最大16メートル。 ビルの5階でもダメかもしれない。
いちばん遡上した高い潮位は40メートル。
これ気象庁が後で言っているんです。
「予報が間違った」…  

そして「せっかくの津波計の情報を無視した」…
何で無視したか?
沖合いの津波計を設置したのは 国土交通省の「港湾局」。
津波の予報を出すのは 国土交通省の「気象庁」。
役所が違うからダメだ。
実はこの問題は、私は前にも国会で質問していたんです。
「なんとかしろ!なんとかしろ!なんとかしろ!」…。 
「この津波計の情報を気象庁が直接使えるようにしろ!」と。
後で議事録を見たんです。 いつ質問したんだろう…
質問した日は衆議院の災害対策特別委員会、2010年の3月11日…
震災のまる一年前の日に 実は質問をしていました。
今でもあの時の情報がしっかり使えてもらえれば、
こんなことにはならなかった。
それを悔いています。

そしてこのことは気象庁にもしっかり伝えました。
気象庁も実は知っていました。
これから東海・東南海沿全体にこのブイが設置されます。
そしてこの情報はきちんと使うとそう明言しています。
そして最後におそらく報道で見たと思いますが、
津波の最大高さというのは もう出さないようにしよう。
このよう今回は改善をしてもらっています。
ぜひ私達の経験したこのような辛い経験を いまどこで起きるかわからない。
全国のみなさんには 二度と味わっていただきたくない、そういう思いでありました』



大震災のリアルなお話しとして
大震災から1週間で営業再開 石巻市の風俗店の当時の状況

『避難所から彼女たちを求め電話をしてくる人。中には愛する家族を失った人たちも多かったようです。

お客のひとり、30代後半の男性は、こう語っています。
「どうしていいか分からない。人肌にふれていないと正気でいられない」と。』

『子供と奥さんと両親が津波に流され、長男と次男は助かったらしいんですけど、いちばん下の男の子と奥さん、あと両親が亡くなったそうです」
男性は、サービスの後で添い寝をして欲しいといい、チャコさんは応じたといいます。この男性は、震災時に仙台に出張中で、両親・妻・娘ふたり・妻の両親を乗せたワゴンが津波に流されました。

後日、現場へ行ってみると、ワゴンの中には遺体が残されたまま...。無惨な光景を目の当たりにしたといいます。現場は遺体搬送が出来ないほど人手不足だったようです。
44歳で夫と3人の子どもを持つユキコさんの話。

亡くなった妻に似ているんだよね・・・』



転載元 NEWS ポストセブン様

東日本大震災発生からわずか1週間で営業を再開した風俗店があった。死者1万5894人、行方不明者2562人(2016年2月10日現在)という未曾有の大災害の直後にもかかわらず、普段の倍近い客が殺到。それを「不謹慎」という言葉で切り捨てるのは簡単だろう。

 だが極限状態だからこそ、人は肌の温もりを求めずにはいられなかった。3月10日に発売される『震災風俗2 件嬢』(小野一光著)には、テレビや新聞では決して語られることのないドラマが描かれている(本文中の発言は同書より引用)。

 震災直後に営業を再開したデリヘル店がある。“戦場から風俗まで”をテーマに執筆活動をしているノンフィクションライターの小野一光氏は、2011年の4月上旬、被災直後の北上市のバーでそう耳にし、被災地の風俗店を訪ね歩いた。

 21歳のラブさんと28歳のチャコさんが働いている石巻市のデリヘル店は、震災後わずか1週間で営業を再開していた。事務所は津波で被害に遭ったため、ごく普通の民家を新事務所にしての再開だった。

 ラブさんは地震発生後、石巻市の繁華街に隣接する日和山に避難して事なきを得た。津波が街を呑みこむ様は、「映画の世界にいるみたいで現実感がまるでなかった」という。だがなんと、その1週間後には風俗の仕事に復帰したのである。

 店の経営者によれば、自分たちの商売ということもあるが、「女の子たちが稼いでなんぼの世界だからね。こういうときだからおカネも必要でしょ」と早めに女の子に連絡をつけ、逞しく営業を再開したのだという。

 石巻市内で最初にラブホテルの営業が再開したのは3月28日だった。電気の復旧は早かったが、水道がなかなか復旧しなかったのだ。しかも営業を再開したのは2軒だけ。そこには避難所で風呂に入れない被災者が殺到し、空き待ちで車の列ができた。

「それでお風呂に入りにきたついでに遊びたいというお客さんが多かった。だからお店もすごく忙しくて、(震災前は一日二〜三件だったのが)一日に五本とか六本とかついたりしてました」(チャコさん)

 さらに、客が女の子に求めたのは性的快楽だけではなかった。

「みんな癒やしを求めてましたね。お客さんの口から『癒やされたい』とか『心を落ち着かせたい』という言葉が出ていました。だから私もそういう人たちを癒やしてあげたいなって……。髪を洗ってほしいと言われて、洗ってあげたりとかしましたね」(ラブさん)

 話を聞く、肩を揉む、髪を洗う、全身を洗うなど、性感サービスに限らず、相手に求められることをやったのだという。

 チャコさんは、1階が津波で完全に破壊されたアパートの2階に呼ばれたこともあった。

「家を流されたり、仕事を失ったり(中略)家族を亡くしたという人もいましたね」

 両親と妻と子供を一度に津波で失った30代後半の男性客は、チャコさんにこう打ち明けたという。

「どうしていいかわからない。人肌に触れないと正気でいられない」

■取材協力/小野一光(ノンフィクションライター)

※週刊ポスト2016年3月11日号
再掲載

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