鎌倉山女相撲濫觴 天明5年(1785年)
「結界」してる内側の土俵に女力士がのってます
「相撲は、神道との関わりがあるから女性を排除する」という論理は、明治期以降に、相撲界による地位向上なとの企図にもとづいて虚構されたものである。
相撲が初めて史書に登場するのは,采女(女官)による女相撲。采女が雄略天皇に呼ばれ,その場で着替え,その場で相撲をした。(日本書紀)
1596年(文禄5年)刊行の「義残後覚」には比丘尼(びくに=尼さん)が勧進相撲の寄手として自由に相撲に参加できた様子が記述されている。
天明5年(1785年)の鎌倉山女相撲の資料がある。裸にまわしを纏った「女性力士」が二人、描かれている。
明治10年、内務卿の大久保利通から神社仏閣の境内での見世物興行の禁止の布達が出さた。
相撲はまだ「見世物」の一種とされていた。国技の地位ではない。「古くから神道との関わり」を持つというが、神社仏閣の境内から排除された。相撲界と神道とのかかわりは、単に興行場所が寺社仏閣だったにすぎない。
明治17年の展覧相撲の開催などで相撲禁止論は影を潜め,明治42年(1909年)に相撲は国技となった。とはいうものの、国技としての相撲の歴史は、まだわずか100年余。
出典
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