エクセルシア Season 12

大震災 原発災害 東北を忘れない

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止まった刻  検証 大川小事故  第1部  葛藤(1)裏山へ避難 食い違う証言

転載元 河北新報オンライン様





大川小事故「助けられなくてごめん」星空の静寂に命思う

転載元 河北新報 オンライン様
宮城県石巻市の今野浩行さん(55)、ひとみさん(47)夫妻は今年も大川小で年を越した。「助けられなくてごめん」。祭壇に静かに手を合わせ、語り掛ける。
 東日本大震災の津波で6年だった長男大輔君=当時(12)=を失った。自宅で大輔君の帰りを待っていた父浩さん=同(77)=、母かつ子さん=同(70)=、長女麻里さん=同(18)=、次女理加さん=同(16)=も帰らぬ人となった。
 「葬式を出したら『自殺すっぺ』と思っていた」(浩行さん)。大川小津波訴訟の原告団長を任され、真実を明らかにしたい一心で踏みとどまった。2016年10月に勝訴したが、被告の石巻市と宮城県が控訴。仙台高裁判決が今春にも出る。
 あの日も満天の星が夜空を照らしていた。震災後、今野さん夫妻にとって、元朝参りの習慣は大川小詣でに取って代わった。


<大川小>宮城県石巻市釜谷地区に立つ大川小は、太平洋の追波湾に注ぐ東北最長の北上川(延長249キロ)の下流域にあり、河口から約3.7キロ離れている。
 北上川は東北で最も勾配が緩く、河口から上流約80キロまでの高低差は十数メートルしかない。津波は上流約49キロまで遡上(そじょう)しており、専門家は「津波が上りやすい川」と指摘する。
 震災当時、釜谷地区には141世帯あった。山あいにある入釜谷地区を除く釜谷地区の全114世帯が津波で流失し、小学校周辺は壊滅的な被害を受けた。
 大川小は、1873(明治6)年に開校した釜谷小が前身。1901年、大川尋常高等小が現在地の釜谷山根に整備され、名称を変えながら現在に至る。震災後、二俣小敷地内に仮設校舎を建てたが、今春、二俣小と統合し、145年の歴史に幕を下ろす。


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大川小 避難経路、最短ルートと誤解か 行き止まり知らず進んだ可能性

転載元 河北新報オンライン様
東日本大震災の津波で全校児童108人中、74人が犠牲となり、児童を保護していた教職員10人が死亡した宮城県石巻市大川小の避難ルートについて、教職員が北上川の堤防道路(三角地帯)への最短ルートと誤解し、行き止まりを知らずに裏道を進んだ可能性が高いことが、河北新報社の検証で分かった。児童の足取りを巡っては「なぜ、津波に向かって進んだのか」「なぜ、県道に直接出ず、遠回りしたのか」など長い間謎だった。(大川小事故取材班)

 2011年3月11日午後2時46分の地震発生後、教職員と児童は約45分間、校庭にとどまり、津波襲来の約1分前までに校庭を徒歩で出発した=図=。証言によると、その後、釜谷交流会館の駐車場を横切っている際に県道から戻ってきた教頭が「津波が来ているから急いで」と叫び、児童の一部は途中で右折し、民家の間を通って県道に出ようとした。
 先頭付近にいた当時5年の只野哲也さん(18)=高校3年=は県道に出る直前、津波に気付いて引き返し、裏山を約3メートル登った辺りで波にのまれた。地元釜谷育ちの只野さんは「行き止まり」を知っており、とっさに右折するルートを選んだ。行き止まり付近では児童34人の遺体が見つかった。
 地元住民によると、裏道は1976年12月に新北上大橋が開通するまで、軽トラックが通れる道幅があった。開通後も幅1メートル弱の小道は残り、近所の住民が生活道として利用していた。商店主が震災の約10年前に高さ2メートル以上の鉄柵を設置し、通行できなくなった。
 鉄柵と山裾にはわずかな隙間があり、「震災の数年前まで三角地帯に行けた」との証言もある。地元の女性は「無理をすれば通れたが、子どもを大勢連れて通る道ではない」と話す。
 三角地帯は標高約7メートルで学校より6メートル近く高い。教頭は地元住民と相談し、三角地帯行きを決めた。住民のアドバイスなどを基に、土地勘のない教職員が裏道を先導した可能性があるほか、「交通量が多い県道を避けた」との見方もある。
 大川小は07年度に危機管理マニュアルを改定し、「津波」の文言を初めて盛り込んだ。10年度の改定でも校庭からの避難場所については「近隣の空き地・公園等」を踏襲し、具体的な場所を指定しなかった。
 仮に三角地帯にたどり着けたとしても、付近は高さ2〜3メートルの津波に襲われた。マニュアルの不備に加え、震災当日の(1)避難先(2)避難ルート(3)出発時刻−など二重三重の判断ミスが重なり、「大川小の悲劇」につながったと言える。

<主体的決定なし/遺族らでつくる大川伝承の会共同代表の佐藤敏郎さん(54)の話>
 先生たちは「三角地帯に行ける」と思って行ったのかもしれないが、そもそもなぜ45分間も校庭にとどまり続けたのか。学校管理下の避難行動にもかかわらず、学校側の主体的な意思決定がなかったことが原因の全てだ。

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