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よく、「私なんかが行っていいの?」 「俺なんかが関わっていいの?」
大震災の「支援」や、ボランティア、東北に行くってことだけでも、そのように仰る方が
意外と多いんです。
私は、大義とか、正義感とか、熱い思い、とかで、東北にボランティアに行ったのではなく
報道を毎日見ていて、またブログで情報を発信していて、ただただ じっとしていられなかった
見て見ぬふりができなかった、それだけで、多くの人がそう思ったことだとおもいます。
また、たまたま時間がとれる環境だったから行かせていただけました。
そこに、意義とか意味とか、考えることも無かったし
そんなものを、やる前から考えることって、良い事ではないと思います。
行動起こす前から意義なんてあるわけないですし。
そいうことは、あとによって、ついてくるものだなと感じます。
色々な活動にお誘いする時も、自分で見て感じて、あとは自分で考えてください
と言っているので、その人のその後の行動に、とやかく言いいません。
同調圧力をうむような、みんな一緒に、みたいな運動の理論は時代錯誤です。
それより大事なのは、軽はずみに動くことですよね。
軽挙とも言いますが、とにかくやってみることが、まず先。
そして先導者を見つけることは大切だということを、最近やっと実感してきました。
扇動者ではなく、先導者。
その違いは
先導者は正義を語らず、大言壮語しないということです。
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座談
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テレビ番組での発言が反響を呼んでいるようですが
竹田さんが、強くて 格好良いのなら、同じように思えない人は、弱くて、格好悪いのか
そうではなく、もっとシンプルだということではないかと思う。
生きていたら、色々あるのが当たり前、病気をして、ちょっと違う景色が見えた
そういうことじゃないかと思うんです。
生きていたら、病気になり、老いる、死ぬということは、誰にも平等におきる道理ですからね。
真意は下記に勝手に転載させていただいた、ツイートに尽きると思いますが
いわゆるコメンテーターとして報道系の番組に出演しているジャーナリストの中では
かねてから竹田さんを尊敬していましたが
その理由の一つは、「朝まで生テレビ」の時間は健康的にしっかり睡眠をとっておられることです。^^
竹田さんは書かれてないけど、ガンにかかった有名人が、福島県の支援をしていたことから
原発事故や放射能に因果関係を結びつける手合いがおり、多くの福島の方々を侮辱していますが
それも、結局、病気になることに対する嫌悪感からくる差別意識なんですね。
それが、不幸なこと、悪いこと、という嫌悪、偏見 これが差別の根源ということに気づかないことが問題です。
まあ、そもそも、そういうことを簡単に他人が土足で踏む入れられるものか疑問ですが。
竹田圭吾さん
べつに、告白したっていうことではないんですけどね。聞かれないので言わないし、自分のことに触れる番組の内容と流れに巡り合わなかっただけで |
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たしかに、現場を知らない人の「良い意見」によって、混乱させられたり、めちゃくちゃにされた例は
東日本大震災や貧困の現場でも、ネット上でも、多々ありました。
結局、自他共に・・・とか、いろんな意見があっていい、と 上からもの言い、自分しか見えていない
とても冷たさを感じる。もちろん、自省もこめて。
常々 現場に行けば話しが早いということを、とても実感しています。
「人にはいろんな意見があっていい」というのは、 |
新渡戸稲造の「武士道」と、中身も読まずに、 Facebookの投稿から |


