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色々とまた注目が集まる「エルサレム」(ウルシャリーム、アル=クドゥス その他あり)
ゴルゴダの丘(カルバリーの丘)、またはイエスの墓があったとされるなど諸説ありますが
その場所に「聖墳墓教会」があります。
ユダヤ教、コプト正教、キリスト教などが、自分たちの一番大事な教会だと主張し
長い争いが絶えずにいました。
それで、「最も平和な宗教に鍵の管理を」ということになり
イスラームの二家族のムスリムに鍵が渡されました、西暦1187年のこと。
日本は平安時代、以来代々800年以上教会の開け閉めを二家族が行なっています。
イエスの墓が保管される教会の鍵をムスリムが管理されている
それほど、イスラームは平和な宗教だということです。
アラビア語のあいさつ、こんにちは にあたる السلام عليكم アッサラーム アレイコム
は、あなたの上に平和がおとずれますように、あなたが平和に暮らせますように。
そこに現れています。
近代になってから、イスラームをタテに武力行使する一部の人がいますが
本来はとても平和な教え。
20年ほど前でしたか
自転車で世界を旅する人を追ったテレビ番組があり
アラブ圏に入った時、ちょうどラマダンの時期でした。
日没後、人々は集まって食事をとりはじめます。
そこを通りかかった日本人の旅人とスタッフに
遠いとこから、食事をしたのかい? 大変だろう、一緒に食事をしていきなさい
とどこに行っても声をかけるムスリムの人たちがいました。
お金を持っている人は、貧しい人に当たり前のこととして、食事を分かち合い
さらに、学校や病院などを建てていました。
本来あるべき理想がイスラームなんだと実感しました。
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座談
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われわれが、他人を傷つけるような言動に出ようとしたとき、不安や心拍亢進のような生理的信号が生起し、それがブレーキとなる。 安倍 &麻生、そのシンパも含め『同情力』『共感力』『共感性』の欠如という観点 『麻生大臣が致命的な「問題発言」を繰り返す理由が分かった』
出典 現代ビジネス様
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中学時代のクラスメイトのハルモニがよく言っていました。
「〇〇(クラスメイトの名前)が自分の子どもを育てる頃には朝鮮は必ず一つになってるよ
この子たちがしてくれるよ、おばちゃんは絶対そうなるって なぜか信じられるのよ。
21世紀はかしこい大統領が出てくるよ」
ハルモニは今から20年前に亡くなったけど、今日のニュースを涙を流しながら見てはるやろなあ。
よく ここまでこぎつけました。
今日は南北会談と同じく、安倍首相が中国包囲網の最重要国として原発をお土産に「外交」とやらを続けた、インドのモディ首相が中国を訪問して習近平主席も会談しています、このタイミングで!
そんなアジアの歴史が動き始めた中 日本の閣僚はGW海外旅行
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5年前に書いた駄文から。
『自然災害で大切な人を失った方、被災した方が、自身の気持ちをブログなどで表現する時
愚痴でごめんなさい 弱音吐いてごめんなさい こんな自分でごめんなさい こんな話し聞かせて迷惑でしょうね などと書かれます。 むしろ書かせてしまってます。 疑心暗鬼にさせてしまってます。 私たちの社会が、追い詰めていると思います。 気仙沼で『家族を失った子どもたち』の喪失体験を考えサポートするための集いがありました。 世界中の戦争や災害で、家族を失った子どもが集うNGOの創立者の講演の内容の結論を言うと 災害や大津波で、悲しく辛い体験をした人(子ども)に必要なのは、励ましてくれる人ではなく、一緒に泣いてくれる人です。 津波が怖かったと泣いてる時に、「そうだったね、怖かったね」と記憶を共有して一緒に泣いてくれる人。 「怖かったでしょうね、かわいそうに」という人でももちろん良いのですが あの怖い体験を自分もした人で、自身の体験を思い出して一緒に泣いてくれる人が、一番必要です。
家族を失った子どもは、同じ経験をして同じ経験から同じく泣いてくれる人を亡くしてます。 家族にはなれないけど、一緒に泣いてくれる周囲を再構築していくことが大切であるとの結論。 まさに、同苦し共感を呼び覚ます作業ですね。 きちんと悲しむ環境を私たちが再構築すること。 そして、また重要なのは 大きな社会の誤解を解消すること。 誤解とは、悲しい体験は時間が解決してくれるという誤解。 たしかに、時間が経てば少なくなるのは確かですが 「もう2年半以上経ったんだからわすれましょう」 「いつまでメソメソしてるの?」 「もう前を向いて歩もうよ」 とか、これらは最悪です。 なぜなら、発災からずっと前向きだったからだと思います。 あそこに逃げよう、段ボールを立て掛けて工夫してプライバシーを守ろう。 会えない家族の消息をつかみに、あちこちの体育館などを周り、通い続けた。 明日は仮設住宅の説明会、抽選会に行こう、その前に貯金通帳の再発行に行かねば。 体育館は寒いから布団のしたに段ボールを敷こう。 そうして対応することが沢山ありすぎて、常に前に向いて歩んで来られた。 また、頑張って新しい家を建てよう、だからそれまでさらに頑張らねば。 子どものために泣いていられない、泣いた顔を見せられないと、前を向いてきた。 だから、ここへきて、やっとあの日を振り返ったり、時間的余裕ができはじめてた。(行政に携わる人はまだまだその余裕が無い人もいますが) その人に、「いつまでも悲しんでいたら、亡くなった方が悲しむから、元気を出して前向きに頑張ろう」とは言ってはいけないです。 そういう、悲しむのはマイナス思考、悪という誤解が、励ましてしまいます。
大事なのは、安心して悲しむ、悲しむ感情をきちんと表現できる環境を整えること。 学問的な裏付けをすれば トラウマとグリーフは違うからです。 トラウマ反応は、体が硬直したり、心が反応しなくなるから、すぐにカウンセリングを受けて治す必要がありますが グリーフは治すものではないからです。 グリーフ、つまり大事な人を失って悲しくなる反応は、治すものではなく、むしろ正常で健康的な反応だから むしろきちんと悲しむことが必要なんです。 だから、ありのままでいいんです。 「声仏事を成す」という言葉がありますが
苦しい 悲しい 弱音 愚痴 そういうSOSを聴き取り
行動をすることが仏の行いを成すという意味で
大層な修行や自己啓発のような行動や、上から目線で救う とかが仏の行いではなく
一緒に悲しみ 苦しみを半分でも背負いたい その心からくる行動が功徳と言い、仏と同じことを成してますよということです。
愚痴 弱音 大いに吐ける そういう環境作り
こういうと、何か運動みたいなことを想起する人もいますが
なんのことはなく、自分が縁した人の伴走者になればいいだけですね。
運動は同調圧力が働きますから、運動家より伴走者が良いなあ。
自分もそうだし、自分にとっての伴走者がいること自体が救いになってます。』
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「片渕監督が『みなさんが、すずさんという人が本当に存在しているかのように思ってくださったことがとてもうれしい』
のんの『この世界の片隅に』“すず役”はなぜ心を打つのか?結婚観も直撃!
ブログ記事のタイトルは、上記のリンク記事のタイトルです。
このブログでは、ことあるごとに、映画『この世界の片隅に』を推します。
上記のリンク記事中、のんさんが片渕監督の言葉を紹介されていますが
片渕監督の言葉では、作品の主人公「すず」をすべて「すずさん」と呼んでいます。
この感覚が私も同じで、自然と「すずさん」と日頃の会話でも呼んでます。
初見のとき、冒頭ですずさんが船から降りて、柳行李のような荷物を背負う時に
まだ幼いすずさんは、風呂敷の大きな荷物を背負い、それを背中で壁に押しあてて安定させて
風呂敷を身体の前で結びました。
それを観た時に、この作品はすごいかもしれないと思ったのを覚えていますが
今思えば、その時に、すずさんがそこに存在していると感じました。
そして、冒頭すずさんの声というより、のんさんの声として、浮きあがって耳に入ってましたが
気がつけば、すずさんの声になってました。
単に耳が慣れた、というだけでなく、のんさんの演技力だと思います。
すずさんが北条家に嫁ぎ、お義姉さんにきつくあたられても、嫌な顔を見せないでいるのを
私は、いなしているように感じましたが、これがもし、ドラマのヒロインにありがちな
歯をくいしばったり、いつかわかってくれる や、悲しい顔かツライ顔をするようだったら
すずさんは存在しない人になっていたように思います。
発車間際の電車に乗ろうと駆け込んだのに、目の前でドアが閉まって電車に乗れなかった時のような
なんとも言えない、「あ゛ー」という顔をする
すずさんのそういう時も、すずさんの心を観客が察するような描写とのんさんの声
そして、妥協のない徹底的な取材に基づいてすべてが描かれているので そこに、ヒロインや、悲劇の主人公ではなく、すずさんがそこにいると自然に認識していました。
映画を観終わったあとも、すずさんはいた、と脳が思っているので、自然と「すずさん」と言ってしまうのかもしれません。
感想はそれぞれ違うのでしょうけども。
片渕監督が、すずさんと呼び、本当に存在しているかのように思ってもらえて嬉しい
と語るように、すずさんが本当にいる と感じるのは、この映画の主題なのでしょうね。
そして、のんさんの演技がそうさせたと思います。
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