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座談
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スキャンダラズなデマゴギーによる、大衆扇動というのは、古代から繰り返されてきました。
ナチスの宣伝大臣で、プロパガンダの魔術師と言われた、ヨーゼフ・ゲッベルス
文学博士号を持ち作家になりそこねたゲッベルスは、自己陶酔的な妄想言語によるデマ、プロパガンダで、ゲッベルスはゲッベルスに成りおうせました。
精神的支柱の無い大衆に対して効果的な、衝撃的な言葉の羅列。
それが魚が水を必要とするように、大衆もそれを必要としているとして
理性よりも、情緒にうったえる、そのことで成功を重ねてきました。
今、それが権力者によるものだけでなく、センセーション好きな大衆がネットで扇動してしまっている現状が続いています。特に2011年以降顕著に。
最近、ある雑誌にフリーライターの方が以下のように語っていました。
昨今のSNSも含めて、ネットに氾濫する感情の放出に疑問と違和感を感じていた時に
ピタッときました。
ただ付け加えさせていただくと、ブロ友さんには、そういう方がいらっしゃらない。
本当にそこは恵まれていると感じています。
『昨今の日本を見ていて、私が危うく感じているのは |
出来もしないコトを |
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今この時期に、端午の節句の話しをすると、とっくに終わったよ
と言われそうですが
おとなり中国では、毎年旧暦の日に端午節として国民の祝日となっていて、しかも3連休です。
今年は6月9日でしたが、わりと6月の中旬や下旬になることもあります。
端午の節句の起源といえば、中国でもっとも古い詩人といわれる「屈原」の故事
屈原が詠んだ詩の中でも有名な「魚夫ぎょほ」
中学の国語で習った記憶があるんですが
あらためて読み解くと、あの5月5日の節句がそんな起源だったとは
と驚愕してしまいます。
漢詩を吉本風に読み解いてみました。
「漁父(ぎょほ)」 抜粋 紀元前3世紀から4世紀にかけた「楚/そ」の国の王子として生まれる 隣国「秦」を警戒すべきと王を諭すも 国内の親秦派の謀略に乗せられた王と意見が合わず左遷される 国を憂う心から 外交官として他の国と外交交渉するも 王は屈原を二度目の左遷を強いられ失脚 屈原を聞き入れなかった楚は秦に滅ぼされてしまい 後に初の統一国家 秦帝国が誕生に至ります そして屈原は祖国を憂いたまま「汨羅淵/べきらのふち」でさまよっている時に
一人の漁師と出会い人生問答をした いわば道家と儒家 両者の人生観の違いから丁々発止の語らいを詠った 理想主義と現実主義の対比か 世の中に迎合して 自分を見失うことへの警告なのか こういう詩というのは それぞれが色んな捉え方をしていいと思いますが 一般的に「漁夫の辞」として有名な問答 日本の能狂言に似ています シテ方にあたる元国務尚書 国務大臣だった屈原が汨羅淵をさまよっている所へ ワキの魚父が登場し やつれ果てた屈原を見つけて 問答になる それを上方落語か吉本新喜劇風に訳すと・・・ 漁夫:「おおっ これは屈原の旦那じゃあ あーりませんか いずこへお行きなさる?」 漁夫が歌いながら立ち去って行くと 屈原はほんまに 川に飛び込んで死んだ というオチ それが端午の節句で柏餅を食べる習慣に繋がってるとは・・・ |

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人は、どのようにして、生き直しの人生を生きることができるのだろう。 生き直しって、なにかやり直すとか 苦労から立ち上がったというより
執着しない
ということが、生きていくことにおいて大事なことだということを
よく思います。
その執着って、お金とか名誉とか、分かりやすいものありますが
5年前に日本中を覆った、絆 がんばろう 笑顔を届けよう
歌で感動させる 勇気を与える 笑顔になってもらう
そういう発想にいたる経緯にあるものもそうだし
こうして、あれこれ書いて、重く考える、そういうことも
あんなに苦労したけど 今はこんなに幸せになったー
勝利した\(^0^)/とか 大感動\(^0^)/とか 涙がとまらない とか
人生を競争とか、勝敗でしかはかれないこととか
そんなことが、とるに足らないことで
だったら他人からみたら、しょうもないことに執着するというか こだわるようなこと
例えば、ブロ友さんの、趣味の写真、昭和列伝、フィギュア、猫、ラーメン
決して しょうもないことではないですが
もっといえば、Tシャツは丸首のみを着る とか
白物家電はパナソニック 黒物家電はSONYとか
水はいろはす とか 天ぷらうどんの天ぷらはあと乗せ とか
歯磨きの味 音楽のベースの音 ジーンズは履かない とか
そういうことが大事なんやと思うんです。
復興とか、笑顔になるとか、生きてるとか
そういうことやんか
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