エクセルシア Season 12

大震災 原発災害 東北を忘れない

放談 「社会問題全般」

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3年前の今頃も、iPS細胞研究に対して、日本人にノーベル賞授与が発表され
「日本人はエライ」という熱狂が渦巻きました。
今回も含めて、その受賞者に対する批判ではなく
私たちの問題として。
3年前のある方の指摘から。

医学に、熱狂と喧噪(けんそう)起こるとき、歴史に何があったか?
優生思想をバックにしたナチスドイツのホロコースト。
社会を病の悪から守らねばならぬと絶滅政策をとった日本のハンセン病隔離。
すべて熱狂と喧噪とともに進んだ。
かくて難病患者の生活保証は取り残されてゆく。
そう言えば、アメリカの核開発も、
地球からファシズムの病根を断つという「医学的譬喩」で語られた。
科学と熱狂がむすびつくとき、悲劇が。
日本ではびこるのは、すべて「やしきをたかじん」「ビートたけし」的な
飲み屋、合コンの場でのトークネタにしてしまう「トークファシズム」。
かくて、トークネタにならぬ難病患者、障がい者の日常は取り残されてゆく。
その日常は、iPS細胞が支えるわけではないんやね。
僕らが掃除したり、晩ご飯買いにいったりして支えるわけ。
「難病患者を救いたい」と、iPS細胞ノーベル賞に拍手するんやったら、
難病当事者さんたちのシンポジウムにも、
拍手したらええと思うんやけどね。
これは「難病患者を救いたい」と思ってないという証拠では?
単に「日本人はエライ」と思いたいんやね。
iPS細胞研究の充実もええんやけど、
重度訪問介護の制度の充実を!と願ってます。
使い勝手の、まだましな制度やから。
「青い芝の会」とか、1990年代に、
在宅に入っていった難病当事者や障がい者さんたち自身の運動とか、
なんで、みんな関心もたないのかなぁと思う。
同じぐらい、社会を開く画期的な出来事と思うんやけど。
落ち着いた平易な言葉、淡々とした文体で、心に入ってきます。
善悪を単純に二分化したり、はやし立てたり、不安をばらまいたり、焦りもないのは
ロンブー淳さんの中で、自分のやるべきことがはっきりしているからなのでしょうね。
きっと、もがき苦しみつつ。

戦後70年にあたり、僕がいま、自分の中でどうもうまく腑に落ちていないことを、みなさんに聞いてもらいたいと思います。それは「日本はいつまで敗戦国なんでしょうか?」ということです。
僕は1973年生まれなので、敗戦国である日本に生まれ育ち、敗戦国というのが何なのかわからないまま大人になりました。どうしたいきさつで日本が戦争に負けたのか、そうしたことにはっきりと関心を持つようになったのは、35歳になってからです。
僕は山口県の出身で、広島と長崎に親戚がいます。子供のころ、夏休みになるとどちらかの親戚の家に遊びに行きました。そうすると、いとこのおばちゃんとかから当然のように「ここに原爆が落ちた」という話を聞く。あとは『はだしのゲン』の漫画を学校で読んだり、終戦記念日には意味がわからないながらも黙とうを捧げたり、育った環境からか戦争への意識は高いほうでした。
それでも、子供の僕が持っていた戦争のイメージは、「爆弾を落とされて、人がたくさん死んだ」ということだけ。「負けてしまった」ことに対する認識はほとんどありませんでした。子供の頃は全然リアルに感じられなくて、漫画やアニメの世界の話のように感じていたと思います。
だけど大人になっていろんなことを知れば知るほど、70年前に戦争で負けたことが、いまを生きる僕たちの背中に未だに重くのしかかっていて、それを、さらに先の世代にも伝えていかなきゃいけないのかということに、違和感を感じるようになりました。
あるとき、仕事で六本木の街を上空から見る機会があり、街の真ん中にあるヘリポートを見つけました。「へぇ、こんな場所にヘリポートがあるんですね」と言ったら、あれは在日米軍のものだと人から教えてもらいました。米軍はそのヘリポートから自由に離発着できると知って、「こんな六本木のど真ん中で?」と驚いたことを覚えています。何でアメリカはよその国でこんなに自由にヘリを飛ばせるのか。ああそうか、それは日本があのとき戦争に負けたからなんだ……と気づいてものすごくショックを受けました。
自分が乗った飛行機が、羽田空港に着陸できずに旋回していることに気付いたときに、「横田基地から米軍機がスクランブル発進するからだ」と教えてもらったこともありました。
普段僕たちはあまり気づかないけれど、ちょっと目を向けてみれば生活のあちこちに、「敗戦」があるんです。
戦後70年というと、ものすごく月日が流れたように思いますよね。でも、実はまったく状況は変わってなくて、むしろ70年間それが当たり前になっているからこそ、この状況が打ち破れないものになっているんじゃないか。僕は次第にそう思うようになりました。
結局、戦争をするってことは、70年位ではすべてが鎮火しないんだろうなと思います。
日本は戦後、先進国に追い付こうと国民が一丸となって努力し、見事にオリンピックを迎えて経済大国になった。そんな日本のサクセス・ストーリーを、かつての僕は疑ったことありませんでした。
それが実は、戦後の復興はアメリカという国に守られていたからできたことだった。むしろ日本の実態はアメリカの言いなりで、本当の意味での独立国とすら言えないんじゃないか――。僕がそうした考えに至ったのはだいぶ大人になってからですが、自分にとってはそれが一番、戦争の重みを感じた瞬間でした。
外に目を向けてみると、イタリアは既に敗戦国というイメージがあまりないし、ドイツはしっかり反省をして未来に向かっていった結果、現在はEUのリーダーとなり、国も潤っています。なのに、日本だけが未だに「敗戦」に留まったまま負の遺産を抱え、戦争経験のない世代までその煽りを食らっている。それはやっぱり、アメリカとの関係によるものが大きいんじゃないかと。対米従属という屈辱を抱える一方で、アメリカの後ろ盾があるからこそ日本の安全が守られている。このゆがんだ構造が問題を複雑にしているのでしょう。
僕たちは毎年、8月15日を迎えます。1年に1回、日本人が戦争への反省と、原爆を落とされた悲しみを共有する日です。確かにこの日があることは大事なんですが、ほとんどの国民は「この日に終戦を迎えた」ということをその1日は考えるけど、翌日、8月16日には何もなかったかのように日常に戻っていきます。昔の僕もそうでした。
でもいまの僕は8月15日を過ぎても日々戦争のことや、日本が敗戦国であるということを意識するようになってしまった。このギャップが苦しいんですね。それは、「日本はいつまで敗戦国なのか」という疑問に対して、自分のなかで答えが出ていないからというより、簡単には出せない状況に日本が置かれているからだと思います。
日本人は「敗戦国である」という戦後背負わされた重い荷物をまだ降ろすことができていません。簡単には降ろせないからこそ、日本人は特有のあいまいさでこの問題と向き合うことを極力避けてきたのだと思います。実際には見ているんだけど見てないふりがうまい日本人は、時間の経過とともにこの本質的な問題が風化することを望んでいたのかもしれません。しかし、沖縄の基地問題などを見てもわかるように、敗戦国としての問題は時間が経過したことで、むしろややこしくなっていまも続いています。
僕が沖縄でタクシーに乗ったときに、運転手さんと「ここの右側も基地で左側も基地で」という話になって「基地問題は大変ですね」と言ったら「いや、私は辺野古に移して欲しいんです。単純にタクシードライバーとしての意見を言わせてもらうと、那覇で遊んだ米兵を普天間に送るのと、辺野古に送るのだったら、倍以上お金が違うから」と返ってきたことがあります。
みんな、基本的に生活が一番大事だから、それが世論を二分するような問題だということは知っていても、知らないことにするのが都合がいいことが多い。でも、そうやって70年間見て見ぬふりをしてきたツケはしっかりと70年分溜まっていて、とても根深いものになってしまいました。
だから、8月15日のときだけ反省を述べて、悲しみをみんなに伝えて、ということの繰り返しだけでは、一歩も前に進めないのだと思います。
僕はこの状況を変えたい。いまここで諦めてしまったら、将来の日本の社会はさらに混沌とした、ねじれたものになってしまう気がするからです。いまを生きる子供たち、そしてこれから生まれてくる子供たちに、負のバトンを渡したくない。いま僕たちが背負っているものを、次の世代ではちょっとでも軽減できるようにしたいと思うのです。
そのためにはどうすればいいか。辛いかもしれないけれど、「敗戦国である」という現実に向き合うことしかないのだと思います。終戦記念日が近くなったときだけ何となく戦争のことを考えるということを、みんなでやめませんか。次の8月15日が来るまでの365日間、「日本は敗戦国である」ということをそれぞれの人が心に持っておくしかないのです。普段からみんなが意識し、考え続けることからしか、敗戦の影響から脱却するアイデアは出てこないと思います。
戦後100年目を迎えるとき、この国が「敗戦」から一歩踏み出していることを強く強く、願います。
先週、在大阪のテレビ局が放送していたのを見て、記事にしようとしたら
動画が局のウェブサイトにアップされていましたので、よろしければご覧ください。
この対応、どう考えても市の不手際。
また、地域の無理解も・・・



昨今、あちこちでシェア・拡散される、日本の有名人の言葉とは、厚みも重みも違うということを
誰が何と言おうと、認めざるえないです。
これ、戦争法制を成立させた側だけに言うのではなく
この覚悟は、むしろ反対する人たちが共有すべきだと思うんです。


2014年のノーベル平和賞受賞者、マララ・ユスフザイさん(18)が、自身を題材としたドキュメンタリー映画の制作を機に、朝日新聞とのインタビューに応じた。

「無人機ではテロの思想を殺すことはできません。そうした考えをやめさせ、子供たちに銃を取らせたくないのであれば、本を与えなければなりません」と語り、各国が軍事よりも教育や医療に予算を振り向けることこそがテロや過激思想に対抗する最善の道だと訴えた。

 マララさんは、「残念ながら世界は兵器にお金を費やしすぎている」と述べ、世界の軍事費の8日分で、世界中の子供への初中等教育1年分になると指摘。過激派が生まれる背景として「多くは教育を受けておらず、職がなく希望もない。だから彼らは銃を取る」と語った。

 インタビューに先立つ国際メディアとの記者会見では、シリア情勢について「今や何百万人もの子供たち、人々が難民となっている。世界が目を向けなければこの戦争は続き、より多くの人たちが難民になり、より多くの子供たちが教育を奪われる」と警告した。

 自身の今後に関しては「殺される恐怖は、今や消えてしまった。誰も私を止めることはできないと信じているので、この活動を続ける」と表明した。

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