エクセルシア Season 12

大震災 原発災害 東北を忘れない

放談 「社会問題全般」

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きちんと取材しています。
心の痛みも感じず、良心の呵責なき安全地帯からの煽りに惑わされず
正しく知って、正しく恐れることが肝要です。




世阿弥の作品で、こういう問題を扱っています。

鳥を獲ったり、魚を獲ったりする漁師は、殺生の罪があるとされ
きれいに料理されてそれを宮中で食べる皇族貴族には罪は無いとされる
世阿弥の時代の一般的な仏教の考え方に
猟師漁師はそれをしないと生きていかざるをえない、しかし罪人とされることに苦しむ。
罪のために苦しむのではなく、罪だという眼差しに苦しみます。
はたしてそれで良いのか、というのが世阿弥の訴えです。

善悪を単純に二分化するのって、生産的ではないということだろうと思います。
21世紀に入って、小泉政権以降の失政で、生き辛い人が急増していき
時代錯誤の巨大恐竜が、最期のあがきで暴れている現政権下の今も
生き辛い人が追い詰められていますが
しかし、困っている人の周りのNPOなどケアの分野で、力をつけてきている人も増えています。


ネット由来のワンイシューの一時的な盛り上がりに見るように、選択と集中は必ず失敗します。
被災地でも、選択と集中型をとった自治体は復興振興が遅れているという現実が生き彫りになってきました。
地域の結びつき、支え合うことを嫌い、弱い立場の人を切る政権ですから
派手な空中戦より、地味な地上戦、いや地下壕かもしれませんが
アベに対抗するのは、これしかないわけです。
糾弾して自己満足して終わりの「運動家」や「活動家」ではなく
「支援者」「伴走者」です。
横暴な巨大恐竜と共倒れしないためには、よそ見しないで、もぐらのように淡々と穴を掘り進み
そのもぐら道が繋がっていき、社会に張り巡らされていった時に、生き辛い社会もよくなっていく
そう思えてならないです。

脱皮できない蛇は死ぬ





擁護派とか、レッテル貼りは論外として
週刊誌記事とネット拡散で、一気にバッシングに振れることに危険性を感じます。

がんっている人=優等生からすると
「こんなに一所懸命、井戸を掘ってあげたのに、ラオスの人はグウタラなままだ」

様々な社会の問題に対して、安全な場所で「抗議行動」とかは
その抗議先の相手をかえって増長させている
これ、この数年の出来事からも明らかです。
何かモヤモヤするなあ、としている人に、もっと真剣に抗議行動しないといけない
と、相手と同じ側に立ってしまっている。

ネットで何かを検索して、一番上にあがってくる情報を正論と思ってしまい
「自分」が無くなっていく傾向にある人が増えているように感じます。
規律から監視へ、そういう社会を招いているのは政治家ではなく、我々市民。

以前、朝日新聞に掲載された記事が、警鐘をならしていました。
以下転載

例の10年に一度(浅田彰の『逃走論』、東浩紀『存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて』に続く)といわれる画期的哲学書、『動きすぎてはいけない』の著者の、千葉雅也と、浅田彰の対談。

電車に乗って周囲を見回すとスマートフォンをいじってどこかにつながる人ばかり。今の社会の特徴を「接続過剰」と呼ぶ哲学者の千葉雅也さんと、かつて「逃走」という言葉で消費社会の最先端を語った批評家の浅田彰さんに「つながる」社会の行方を聞いた。

 ――「接続過剰」とは、どういう意味ですか。

 千葉 今のネット社会では、ささいなことまでソーシャルネットワーク(SNS)などで共有され可視化されている。コミュニケーションの形骸化も進む。常に「つながりのアピール」が求められ、メッセージが来ればできるだけ早く返信することが「思いやり」として目的化する。SNSとスマホの普及は、視聴覚を総動員し、依存症のような状態を広げている。僕が考えているのは、個であるための「切断」の哲学。浅田さんが1980年代に主張した「逃走」論をふまえたものだ。今は、「逃走」の行方だった横へのつながりが、過剰化している。

 浅田 30年前に提案したのは学校や企業、反体制セクトにせよ、一丸となって前進しようとするパラノ(妄想症)的なドライブ(力)から「逃げること」。その後横につながればいい、と。

 ネットの発達で横につながる可能性は広がったが、今は逆に忘れられたはずの問題発言さえ、ネットで事後的に検索される。当局が望めば、裏からすべてを見られる65億総監視社会を招きつつある。ドゥルーズの言葉で言うなら「規律(ディシプリン)から監視(コントロール)へ」。個人に規範を内面化させずとも個人をネットで監視し制御すればよくなった。

 千葉 深刻なのは、重要性の程度を判断する「仁義」が失われていること。「不良」の存在を許さない「仁義なき優等生社会」になっている。程度問題が成立しない。規範から外れても許される「適度なグレーゾーン」が失われ、不良はシステムからの「落伍(らくご)者」にされる。一方では形骸化したコミュニケーション、他方では残酷なまでの落伍者の排除という両極端に。そこからの「切断」を考えたのが、『動きすぎてはいけない』だ。

 浅田 今の若手論客と呼ばれる人たちが総じて優等生的ななか、千葉さんの「切断論」はいわば、「不良の思想」であるところが面白い。「優等生」は、ネットを使ってマイノリティーの声なき声を拾い上げ対話を密にするなど、民主主義のバージョンアップを目指す。「優等生」が「マイノリティーの声に耳を傾けよう」と熱弁をふるっているとき、そんな議論に堪えられなくて黙って出て行くのが真のマイノリティーたる「不良」だ。「逃走」とは「マイノリティーになること」。在日韓国・朝鮮人へのヘイトスピーチのように、自分を「日本人」というマジョリティーに同化しようとすることで、激烈な排除が生まれる。しかし、自分も別の次元ではマイノリティーだと気づけば、対話や合意なしでも共存は可能になる。

 千葉 優等生的な議論では、他者への配慮と言いながら、大前提として許容できない他者を考えないようにしていることが多い。マジョリティーの思考パターンを裏切ることをやめてはならない。

 浅田 この30年の情報社会の発展を振り返ると、べき乗(累乗)的とも言える急速な変化に改めて驚かされる。

 千葉 でも、行われたことは実に単純だ。「情報をためる」→「検索できる」ということだけ。なのに、今は情報社会の底が突然、がらっと崩壊するかもしれないという不安がある。LINEでの頻繁なやりとりは、不安な社会での「祈り」のようにも見える。

 浅田 全ての情報が一瞬で検索されてしまう万能のシステムに見えながら、一瞬で壊れてしまうかもしれない脆弱(ぜいじゃく)性を抱えている。日々の生活がそんなシステムに依存していることを考えても、「切断」の思想の意味は大きいと思う。




「努力をすれば成功する」が通用しなくなった若者世代
英紙ガーディアンが「ミレニアルズ:ジェネレーションYの試練」という特集を組んでいる。ミレニアルズまたはジェネレーションY(英国ではこの二つは同義語として使われることが多い)というのは、ジェネレーションXの次の世代、つまり1980年代から2000年にかけて生まれた人たちのことである。
同紙が3月6日に発表した統計によると、過去30年のあいだに米国、英国、オーストラリア、カナダ、スペイン、イタリア、フランス、ドイツの8か国で、25〜29歳の独身者たちの可処分所得が、全国平均のそれと比較して大幅に減少している。例えば、英国では1979年から2010年までの全国平均の可処分所得の伸びは71%だが、25〜29歳の独身者では38%だ。米国では可処分所得の伸びの全国平均13%に対し25歳〜29歳の独身者では−6%、スペインでは全国平均68%に対し25〜29歳の独身者では−12%になる。さらに、米国、ドイツ、カナダ、フランス、スペインの5か国で、25〜29歳の可処分所得が30年前と比較して実質的に減少していることも明らかになった。
また、Ipsos MORIが行った調査では、英国の人々の54%が、今日の若者たちの将来の生活水準は前の世代より低くなっているだろうと答えている。
これらの調査結果を受け、政府の社会的流動性調査委員会の代表、アラン・ミルバーンは、「このままでは英国は永久に分断された国になる」と警告する。「上の世代より下の世代の未来のほうが明るい」、「努力をすれば成功する」という中高年が信じてきた考え方は完全に過去のものになったという。
保守党政権の委員会の代表でさえ以下のようなことを言う時代だ。

「残念ですが、それはもはや通用しないということを示す非常に説得力のあるデータがあります。これは国の社会的一体性に重大な影響をもたらします。この国は、どんな社会になりたいのかという実存的危機に直面しているのではないかと思います」

出典:The Guardian :”UK faces permanent generational divide, social mobility tsar warns”
オズボーン財務相は2020年までには9ポンドの「LIVING WAGE(生活賃金)」を導入すると言っているし、昨年、大きな物議を醸したタックスクレジット削減も、拍子抜けするほどあっさり取りやめた。「保守党がだんだん赤くなってきた」と揶揄される背景には、前述のようなデータの数字に加え、泡沫候補として笑い者にされながら大勝利をおさめて労働党党首になったジェレミー・コービンの存在もある。

なぜ「選挙にいかない世代」だった若者が左派に熱狂するのか
「選挙に行かない世代」と言われて政治に放置プレイされていた若者たちが、大西洋の両側で不気味な政治勢力になりつつある。英国のコービンをはじめ、スペインには結党2年目で第三政党になったポデモス、米国にも大統領候補指名レースで思わぬ善戦をして多くの人々を驚かせているバーニー・サンダースがいる。彼らを熱狂的に支持しているのがジェネレーションYだ。

就職難、将来性のない仕事、ハウジング・クライシス、借金、下落する生活水準、結婚や子供なんて望めない。先進国では、どこの国の若者も同じような問題を抱えている。
ガーディアン紙のオーウェン・ジョーンズは、若者はけっして「政治なんてどうでもいい」と思っているわけではないという。ただ、あまりにも長い間、彼らに関係のある事柄が政策メニューに上らなかったため、自分が抱えている問題と政治をリンクさせることができなくなったのだという。しかし、コービンやポデモスやサンダースが、彼らの問題をダイレクトに解決する政策(「大学授業料無料化」「手頃な家賃の住宅の大規模提供」など)を打ち出してきたため、「こんなに自分が辛かった理由は政治だったんだ」と気付いたのである。

また、ジョーンズは、ジェネレーションYが左派を支持する理由は、「若いから理想に走っている」ということではないし、「人は加齢すると保守的になる」という説も怪しいと考察している。
例えば1984年と1988年の米国大統領選では、若い有権者がロナルド・レーガンやジョージ・H・W・ブッシュに投票したし、英国でも1983年の総選挙では多くの若者がマーガレット・サッチャーを支持した。つまり、中高年は若い頃の考え方をそのまま維持していると考えるほうが自然で、ジェネレーションYは違う考え方を持っているというのだ。

自らを社会主義者だというサンダースは米国の政治家としては例外的に稀なタイプだ。だが、65歳以上の米国人のうち15%しか社会主義に対してポジティヴな見解を持っていないのに対し、18歳〜29歳の層では36%に上がる。これは、資本主義に対してポジティヴな見解を持つ同年代より3%少ないだけだ。

出典:The Guardian:"First Corbyn, now Sanders: how young voters' despair is fuelling movements on the left” by Owen Jones

日本の若者にも溜まるマグマ、これに応える経済政策はあるのか
今年の冬は1カ月ほど日本に滞在した。
「欧米のような左派が日本にも現れたら」と複数の人々が言っていたが、少なくとも、コービンやサンダースやパブロ・イグレシアスが日本に出現している気配はなかった。
とは云え、これらの指導者たちは「きっかけ」になっただけで、その前からジェネレーションYのマグマは地中でぐつぐつと滾り、きっかけさえあれば一気に噴出しそうなムードは2011年(ロンドン暴動、スペインのM15 運動の年)ごろからあった。
日本はどうなっているのだろう。

日本滞在中、エキタスのメンバーたちに会った。「最低賃金1500円」という、「民主主義を守れ」より遥かに具体的で、それゆえさらにボロクソに叩かれそうなスローガンで運動している若者たちだ。
わたしはずっと、欧州の若者たちの反緊縮運動のような「金の問題」を訴える運動が日本に出てこないのは、まだみんなリッチだからなんだろうと思っていた。が、どうもそうではないらしい。いろいろ話を聞いていると日本のジェネレーションYを取り巻く状況も欧米と同時進行で推移している。が、本人たちがそれを意識していないというか、受難の当事者意識がないという。
エキタスの藤川里恵さんはこう言った。
「『考えたくない』んだと思うんです。考えたら、先を考えたらもう終わってしまうんです。本当は中流じゃなくて貧困なんですけど、貧困っていう現実に向かい合うと終わっちゃうから・・・・。(略)労働問題とかを自分のこととして考えることをすごく嫌がるんです。だから、友達と話をするときに、そういう話題を出せない」
「私は23歳で貧困の当事者なんですけど、『私は貧困だ』ってあえて言ってるんです。そうすると私より収入が低い人とか私と同じぐらいの収入、生い立ちの人はみんな貧困っていう定義になるんじゃないかと思って。(略)そうでもしないと、やばいというか、どう言えばいいんですかね…」
同じくエキタスの原田仁希くんはこう言った。
「貧困運動とかって(精神的・身体的・金銭的)ケアとか、やっぱり貧困問題いっぱいあるんで、もう(船に)流れ込んでくる水をひたすら掻き出してるような感じなんです。『これじゃ、間に合わない!』。これじゃ間に合わないから、ちょっとインパクトの大きいものにしなくちゃいけない」
日本でもジェネレーションYのマグマはふつふつと湧いていた。
が、日本の野党はこれに応える経済政策を出しているだろうか。

英国に戻ったわたしを追いかけるように届いたのは松尾匡という学者さんの「この経済政策が民主主義を救う」だった。同著によれば、欧米と日本では、右派と左派の経済政策が見事なほどねじれているらしい。
日本では、左派・リベラルと言われている政党が「緊縮」派で、欧米の左派のような経済政策(金融緩和、政府支出)をやっているのがアベノミクスだという。

確かに、コービンやポデモス、サンダースら欧米の左派たちは大前提として反緊縮派であるから、松尾さんが書かれている通り、金融緩和に反対したり、弱者を犠牲にしてまで健全財政を目指したりしない。それは保守派がやること(英保守党の政策がその典型)だ。

日本では左派がサッチャーの如くに緊縮を志向し、右派は金融緩和と財政出動はやっても若者のためには金は使わない。となれば、ジェネレーションYは捨てられたも同然だ(日本のNPO界隈で「若者支援」という言葉がふつうに定着していることは20年間海外にいるわたしにはけっこう衝撃的だった)。
左右の政策がねじれていてもそれが独自の文化なら、何も欧米をコピーすることはない。が、洋の東西を問わず、左派とは本来、社会構造の下敷きになっている者たちの側につくものではなかったのか。

次の世代はオプティミズムを奪われているということだけが悲劇なのではない。
そういうものだと諦めさせられているのが悲劇なのだ。
不公平は不可避だという考えを否定せずに、何が左派だ?
コレクティヴな意志でそれは乗り越えられると信じずに、何が左派なのだ?


ずっと書いてきたこと、言いたかったことが、端的に述べられていました。
放射能をめぐることもそう、反原発、反安倍か否かですぐに振れる昨今のリテラシー無き311スイッチャーもそう。
戦前の国防婦人会の亡霊のようです。

すきまのない善意があるのです。善意の塊こそがファシズムを立ち上げるわけです。まあ、ファシズムは極端な例ですけど、弱者を排除するような意図というのは、実は悪意を元にしたものではありません。善意の集合の方が、悪意などよりもはるかに怖い。


彼らは安倍政権と戦っているのだと言う。
しかし、僕から見れば彼らの戦い方、彼らの感性は、安倍政権と同質のものを含み持っている。
自分たちが安倍政権と実は相似的であることに気づいていない。
異様なものが入り混じっていることに対する嫌悪というのは、僕には恐ろしいとしか思えませんでした。
“反社会的”という言葉を僕は根本から疑います。この言葉の詐術を信じません。“反社会的”というレッテルを貼るものには気をつけた方がいい。



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