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5年前から言われていたことですけどね。
不安・不信・恐怖を煽る手法がどういうものだったか、歴史から学べば分かることです。
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要談 「震災関連 神戸・東北」
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大地震と大津波が発生した日の話しを現地の方々から聞く時
遠くの空が明るく見えた、海の方が赤く見えた
ということをよくうかがいます。
大震災は地震、津波、原発事故、火災、土砂災害が起こりました。
宮古に暮らす高校生、遠くの空が昼間のように明るくなっていた
同じく宮古の居酒屋店員、あの時は山田の方の空が明るくてどうなっているの?と思った
当時、大槌町から遠野に避難生活をされていた方、町が燃えていたけど、遠くの空も真っ赤になっている気がして不気味だった、何も考えられなかった
陸前高田の方、市役所の屋上に避難して孤立していたのですが、気仙沼の大火災が少し見えました。当時はなぜあんなに明るいのか想像もできませんでしたが・・・
気仙沼の高台に暮らす方、港の方の空が妙に明るくて、火災だと思ったけど、テレビがつかないから
あれほどとは思わなかった
石巻市の河北の方、今でも思い出すのは、石巻市街地方面がオレンジ色の空になり
一晩中消えることがなくて、それが何なのか分からず、ずっと見ていました。
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【コンサルの言うことを聞いたばかりに】
宮城県と、東京の某巨大コンサル会社の話に乗せられ、
「復興の象徴」と、大々的に宣伝された、 名取の、水耕巨大野菜工場が、昨年こっそりと破綻。 そして、地元の、ある中小企業が、コンサルティング会社とは逆の発想で施設を再稼働させることに成功しました。
ここだけではありません。
あちこちで、これと同じ話が(特に宮城県)あります。 出典 日経ビジネスONLINE様 続きは無料登録にて
東日本大震災で津波をかぶった宮城県名取市の農地で昨年9月、野菜の植物工場が再稼働した。もともと震災後に農家が建てて運営していたが、経営に行きづまって昨年1月に破綻していた。施設を買い取って再建したのは地元の運送会社だ。今回は「復興の象徴」と言われた施設の立ち上げから破綻までの経緯と、再生の行方について考えてみたい。 |
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阪神・淡路大震災、発生時のまま保存されている、いわば「遺構」として残っているものの一つは
神戸港にある、現在「震災メモリアルパーク」。
いつでも無料で観ることができます。
阪神・淡路大震災の爪痕をそのまま記憶するものは、兵庫県内に数ヶ所ありますが
建物一つが残っているというものではなく、なかなか人が目を留めたり、わざわざ見に来るというものがなく、中には地震の揺れによって起きた、がけ崩れを起こした山道(現在は別の道が作られた)などもありますが、ほとんとの人は知らないですし、報道されることもありません。
「遺構」については、意見が分かれるところですが
遺構とは別に、地震と火災によって大きな被害が出た、神戸市長田には
復興のシンボルとして、「鉄人28号」の実物大モミュメントがあります。
20年を過ぎた阪神・淡路大震災を思う時、遺構というものの存在がどういう意味を持っているか
こういう場所に立って、考えていければと思います。
正解は一つではないのでしょうが。
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