エクセルシア Season 12

大震災 原発災害 東北を忘れない

要談 「震災関連 神戸・東北」

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発災後の 「前を向こう  がんばろう  笑顔で 」 という県外からの投げかけは
すでに向き合わず、ひとの苦しみから目を背ける意思だけが蔓延していたと痛感します。



『記憶の風化と呼ばれるものは
記憶そのものが薄れることであるよりも
自らの記憶・経験に向き合う意志の弱体化を示してるように思われます。
あの出来事は一体なんだったのか。
この問いに答える知性の力を私たちは鍛え続けなければなりません。』


転載元 立教大学様

東日本大震災から7年が経ちました。復興庁発行の『東日本大震災からの復興の状況と取組』(2018年1月)に記された、死者19,533名(災害関連死を含む)、行方不明者2,585名、住家被害(全壊)121,768戸(2017年3月8日現在)という数字を見ると、想像を絶する被害にいまも呆然となります。改めて犠牲となられた方々への哀悼の意を表するとともに、ご遺族の方々に心からお悔やみを申し上げます。

この7年間に、避難者数は発災直後の約47万人から約8万人まで減少したとのことです。困難な復興作業にあたられている皆さまの努力に敬意を表するとともに、なお避難生活を余儀なくされている8万人の方々が、1日も早く平穏な日常に戻られることをお祈りいたします。

震災の記憶の風化ということがしばしば言われます。しかし、2011年3月11日の大地震と津波、そしてそれに続く東京電力福島第一原子力発電所の事故は、いまでも私たちの心に深く刻み込まれています。あの日、いつもの日常の中で突然起こった地震で東京の交通機関は麻痺し、立教大学の池袋キャンパスは、水と食糧、そして暖と休息を求める人々で溢れました。テレビに映し出された巨大津波、原子力発電所の爆発の映像は見た時の感情と共に目に焼き付いています。繰り返される余震、通信の不全や正確な情報の入手困難、目に見えない放射性物質。私たちはそれぞれの場所で、それぞれの3.11とそれに続く日々を経験しました。

それら私たち一人一人の経験は、被災地の惨状と被災された方々の避難生活の苦難へと思いを至らせる想像力の要でもあるのです。

東日本大震災と原発事故は、文字通り私たちの日常生活の基盤そのものをつき崩しました。 近代文明は自然を人間のコントロールの下に置き、そこから多くの便益を引き出す技術を発達させてきました。しかしそれが果たして私たちを幸福な未来へと導くのか。人間は自然にどこまで手を付けてよいのか。3.11はその根本的疑問と不安を露わにしました。

記憶の風化と呼ばれるものは、記憶そのものが薄れることであるよりも、自らの記憶・経験に向き合う意志の弱体化を示してるように思われます。あの出来事は一体なんだったのか。この問いに答える知性の力を私たちは鍛え続けなければなりません。立教大学が岩手大学と陸前高田市と共に設置した「陸前高田グローバルキャンパス」は、まさにそのためにつくられたのです。

この3月に大学を卒業していく学生たちの多くは7年前の春、中学校の卒業式や高校の入学式に中止や延期等の影響があった学年に属します。15の春に震災を経験し、いま晴れて社会に出て行く青年たちを心から祝福いたします。

2018年3月11日
立教大学総長  吉岡知哉

損害賠償を求める訴訟も起きた津波予報の過少判断
最近、災害発生を伝える報道やアラートが、大げさで疲れる
そういう意見もあるようですが
東日本大震災 巨大津波災害の教訓の一つに
津波の水位の過少評価によって、多くの方が犠牲になったという指摘があります。

小野寺五典議員(現防衛相)が国会で質問したこと




小野寺現防衛大臣による2012年(当時野党)の予算委員会での質問から

『「三陸沖に津波が来る」と、以前から「99%の確立で津波が来る」と
言われていたから、沖合いにブイを浮かべていました。
そして津波が沖から襲ってきたら、津波の高さでそのブイが持ち上がる。
即座に人工衛星で 「沖合○○mのブイは、今何メートル高くなった」
そうすれば沿岸に何分後に到着して、「○○町の○丁目に○メートルの津波が来る」このような予報システムを造っていたんです。

今回、津波が来ました。 
この予報システムは完全に当たっていました。気象庁にもデーターは送信されてるんです。
沖合いの津波計、4メートルを越える津波が来たのが測れた。
経験則からいうと 「これは最大20メートルは越える。」
とんでもない津波!
ところが気象庁は何をしたか。 このデーターを無視したんです。
そして気象庁が発表した津波の高さは 
「宮城は最大6メートル」、
「福島、岩手は最大3メートル」。
だから、陸前高田では3メートルだったら、水門閉めれば津波は来ないんですよ!
消防団はみんな行ったんです。水門を閉めに…
南三陸町では最大6メートル。だったら、2階にいれば大丈夫だったんです。だから防災庁舎に残って、最後まで町民に知らせたんですよ。
大川小学校ではどこに避難したらいいか 6メートルだったから判断を迷ったんです。
実際に来た津波… 最大16メートル。 ビルの5階でもダメかもしれない。
いちばん遡上した高い潮位は40メートル。
これ気象庁が後で言っているんです。
「予報が間違った」…  

そして「せっかくの津波計の情報を無視した」…
何で無視したか?
沖合いの津波計を設置したのは 国土交通省の「港湾局」。
津波の予報を出すのは 国土交通省の「気象庁」。
役所が違うからダメだ。
実はこの問題は、私は前にも国会で質問していたんです。
「なんとかしろ!なんとかしろ!なんとかしろ!」…。 
「この津波計の情報を気象庁が直接使えるようにしろ!」と。
後で議事録を見たんです。 いつ質問したんだろう…
質問した日は衆議院の災害対策特別委員会、2010年の3月11日…
震災のまる一年前の日に 実は質問をしていました。
今でもあの時の情報がしっかり使えてもらえれば、
こんなことにはならなかった。
それを悔いています。

そしてこのことは気象庁にもしっかり伝えました。
気象庁も実は知っていました。
これから東海・東南海沿全体にこのブイが設置されます。
そしてこの情報はきちんと使うとそう明言しています。
そして最後におそらく報道で見たと思いますが、
津波の最大高さというのは もう出さないようにしよう。
このよう今回は改善をしてもらっています。
ぜひ私達の経験したこのような辛い経験を いまどこで起きるかわからない。
全国のみなさんには 二度と味わっていただきたくない、そういう思いでありました』

今日 行われた、政府主催の東日本大震災 7周年 追悼式で
福島県を代表して言葉を述べられた「五十嵐ひで子」さん。

5年前の2013年に放送された、NHK「あの日 わたしは 東日本大震災 証言記録」に出演され
翌年1月に、強い印象に残っ方の一人として、当ブログで紹介させていただいていました。

今日の追悼式でも「ひで子ーっ! ひで子ーっ! ひで子ーっ!」
と津波に流されながら、必死に妻の名を叫ぶ夫の最後の声を、五十嵐ひで子さんは 声を絞るように叫んでおられましたが
それをテレビで聴きながら、5年前に語られたことを思い出しました。
結婚されて40年近く、ひで子さんのお連れ合い利雄さんは、日頃 ひで子さんを名前で呼ぶことがなく
「おい」や「おうっ」と言っておられたと。
あの日津波に打ち上げられ、たまたま近くの松の木につかまることができたものの
利雄さんは流されてしまい、ひで子さんの名前を必死に叫びました。
その時にひで子さんは、「あれ、うちのお父さん(利雄さん)、私の名前知ってたんだ」と
頭によぎったとのこと。
ひで子さんも「お父さんっ!」と叫ばれますが、やがてひで子さんも津波にのまれ流れてしまいます。
利雄さんと叔父は21日後に御遺体で発見されました。

津波にのまれて、自分の名を叫ぶ夫の声に、そういう瞬間でもふと、日頃 おい としか言わないのに名前を知っていたんだ、と頭によぎったという、その直前まで津波は来ないと楽観視していたのに、一瞬にして現実かなにかわからない状況になったその心境がとても生々しく感じました。

追悼式で、利雄さんの最後の言葉を叫んだ、五十嵐ひで子さんの心境を色々と想像しました。

以下のリンクがその時の記事です。






安田菜津紀の写真日記
震災から7年 「明るい話題を」に思うこと 
 東日本大震災から間もなく7年という月日が経とうとしている。「東北の報道をするなら明るい話題を」「前向きなニュースを」という声は、月日を経るごとに増えていった。ただその”希望”は一体、誰のためのものなのかといつも考える。
 東日本大震災直後、かつて何万本もの立派な松林だった「高田松原」から、一本だけ波に耐え抜いた松を、私は「希望」として撮り、そして発表したことがある。ところがこの街で被災し、最愛の妻を喪った義理の父は、この一本松を“波の威力の象徴”だと悲しんだ。
 父の言葉からはたと気づいた。私が探していたのは、この地に生きる人々にとっての光ではなく、破壊されてしまった街を前にする、その苦しみから逃れたい自分にとっての希望だったのだ。
 その後も明るい話題を耳にする度に、「自分は復興に携われていない」「自分は前向きになれていない」と義父の心が追い詰められていくのが分かった。もちろん被災した人々の中にも、そんな未来を見据えるようなニュースに支えられる人たちはいるはずだ。ただそこに、“悼む”時間が欠落していることはないだろうか。そしてそれによって傷つく人々がいることに、どれほど自覚的になれるのかが、伝え手に問われる。もちろん、そのニュースの受け取り手にも。伝える仕事は本来、声をあげられずにいる人々を置き去りにしないことが役割のはずだからだ。
 今、伝えられている“希望”は、被害を受けた方々にとってのものなのか、それとも厳しい現状から目を背けたい、外に暮らしている私たち本意のものなのか。改めて見極めながら、この日を迎えたいと思う。


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