「ダッシュ村」はまったく知りませんでしたが、大震災・原発事件前から
「浪江町」の名前だけは知っていました。
相馬という地名、相馬野馬追いは知っていましたが
南相馬市は知りませんでした、合併によって誕生した新しい市の一つということもありましたが、ただ福島県については、会津地方の歴史、文化に目が行ってました。
原発事故直後の、桜井市長の訴えで、南相馬市を知りました。
大震災・原発事件後に、ダッシュ村が浪江だったということを知りましたが
その浪江と現在南相馬市の小高区は地理的に同じ地域。
ご存知の通り、ここに東電の第三原発、浪江小高原発が造られる予定でした。
しかし、岩見ひささんの岩手沿岸と同じく、漁民、農民が反対して原発建造計画は中断に。
様々な妨害もあったと聞きますが、それを全部乗りこえて、豊かな自然を生かした
農業、水産業の町として、必死にがんばってきました。
電原三法の莫大な交付金も入ってこない中で、土地を生かしてきました。
しかし、東電の原発事件は、原発を拒否した町にも、容赦なく覆いかぶさってきます。
地元の双葉、大熊にはすぐ避難情報が出たにも関わらず、浪江、飯舘には情報がもたらされなかった。
経緯はご存知と思います。
すぐに帰れる、着のみ着のままで避難し、もう二度と帰られない帰還困難地域に。
小高、双葉町にボランティアで行った時、依頼主さんの家は
3月11日の生活のまんま、時間が止まっていました。
3月11日の晩ご飯のために下ごしらえした食材が、そのままお鍋に残っていたことも。
時の経過とともに、色々なことが明らかになってくると
原発を拒否した町が、地域として、最も激しく原発の影響を受けてしまいました。
今、そこに黒くて巨大なフレコンバックが満ち溢れています。
除染した汚染物質の野積み置き場、それを焼却する巨大減容化施設に。
今、避難されている方々が受けている影響
被曝によく影響ではなく、糖尿病、脳卒中、高脂血症など生活習慣病の増加が
喫緊の課題と現場の医療者の認識です。
生活環境が急激に悪化し、人間関係や日常行動に悪影響があったということが
原因とみられています。
長期化する避難生活が、地震、津波、放射線の問題以上に
人々の命を脅かし、奪っていっているのが、現実です。
東京に避難移住された方々は、今年度中に現在の公営住宅を退去していかなければならないと。
5年の集中復興投資が終了した今こそ、一人ひとりの自立支援、ヒューマンファーストの取り組みを継続的に行われることが求められていますが
私たちが、当事者の方々の間で何がおこって、何が変化しているのか
圧倒的に知らない、知ろうとしないということが、本当の課題なのかもしれないです。
足元を見ないで、遠くを見ている、という批判も多いですが
震災・原発事故被災地で起こっていることは特別なことばかりではなく
むしろ、大震災前から全国が抱えている慢性的な課題、問題が、被災地に一気に押し寄せたということだということです。
東北の取り組みに、私たちの足元の課題解決の糸口があると感じています。
4年前の8月、9月 小高にて