エクセルシア Season 12

大震災 原発災害 東北を忘れない

要談 「震災関連 神戸・東北」

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毎年、繰り返される「絆」の唱和。
私には、これがさっぱり分からなかったし
今もよく分からない。

3.11直後から
この言葉の意味がよく分からなかった。
分からないあまり、息子にその意味を尋ねたりもしたものだ。

津波で
子どもを失い
妻を失い
祖父、祖母を失った者と、その死者とのつながりなのか、
はじめはそう考えたものだった。
死者とのつながりを失うなということか。
であれば、死者との交信は、やすらぎではある。

でも
どうやら違うらしい。
被災した者を勇気づけるための
「私たちは、つながっているよ」という
一番避けたいそれであった。
まさか、こんな意味で唱和するくらい
他人の不幸に鈍感になってしまったのか。

だから
この言葉を聞くたびに
とても気分が悪くなった。
無関心を装うことで、心のバランスを保つようになった。

親族を失って
たった一人になった者が
残された人生を楽しく生きていけるものか
前を見て生きていけるものか。
ましてや、私たちとつながっているよ
と他人が手を差し伸べるのは、あまりに失礼すぎる。

被災者の
生きるほどに
苦しくなっていく
その心が見えないのだろうか。

家族全員失った男が
「絆」の言葉なんか聞きたくないという映像があった。
彼は、とにかく かまわないでほしい、と言っていた。

岩井俊二さんの「花が咲く」についても
岩井さんの歌だけに
その歌詞には戸惑ってしまった。

いつか花は咲くのであろうか
そう思いたい気持ちは分からぬでもないが

フクシマでは
本当に「花」が咲くのだろうか
咲くのかどうか
私にはどうしても分からない。
どれだけ自問自答しても分からない。

悲しみに苛まれて
生きるのが苦しくて
もうどうしようもない絶望の淵で
自死に至る方があとを絶たない。

どうしようもないことが起きたのであり
その悲しみは、容易に「前を見て」なんていえないほどに
それほど苛酷な大災であり、フクシマであったのだとしか
私には思えない。

FBFの寄稿で
Mさんの記事を読ませていただいた。
Mさんには「花は咲く」という歌が
戦時の「海ゆかば」にどうしても重なると思っている。

彼はまた
「戦争中からこれまで、いったいどれだけ死者とともに わたしたちは “希望の涙」”に誤魔化されてきたことか」
と言い、また
「あなたは、津波で家族を亡くした人や、放射能で家を追われて帰るあてもなく他郷に仮寓している人の前で、『花は咲く』を歌えますか。
スタジオのマイクの前ではない。
被災者の前で、「花は、花は、花は咲く」と本当に歌えるのだろうか。
もし歌えるとしたら、わたしはその人の神経を疑わざるを得ない」
とも言っている。

絶望の悲しみが「希望の涙」に変化するその変わり身が
ファッショに繋がるという直感もそうだが、
「日本人」の、乗りこえるべき「心性」が、まずはここにあるように思う。

かつて
障害児施設のボランティアに来た、中・高生が2週間足らずの活動で
「障がい児は、みんな一生懸命生きている、純真な心をもつ子たち」と
異口同音の感想を述べていたことに
危機を感じたものだった。

障がい児は
一生懸命生きることを強いられ
純粋な心をもつとの偏見に
ずいぶんとやられてきた歴史がある。

時代は大きく変わってきたというのに
毎年3.11が近くなると
とても暗い気持ちになってしまう。

私のことはどうでもいいのだが
被災者、フクシマの悲しみを
勝手に巻きこんではいけない
そんなことは絶対にしてはいけない、と思う。

2015年3月12日U氏

(一部 氏名をMと表記したこと以外は、フクシマなど、そのまま転載しています)



【復興は、こしを落ち着けて】
東日本大震災で、甚大な被害をうけたある町の町長さん(当時)。
「復興を急ぎすぎた部分も多々ある。それが、1番心残りだ残念だ」と。
つまり、行政も混乱し、住民も不安。
だから、どうしても「安全・安心」という、緊急対応的な
「堤防を作る」「復興道路を作る」などという、ところに、予算もつくし、住民アンケートもそこに大きなパーセントがでる。
しかし、2年、3年経ってみて、
急いで作った道路が、既設の下水道をずたずたにしていて、
家々が復旧して、生活がはじまると下水が流れなくなっていた、
という話が、普通にある。
15メートルという堤防は、こんなに高かったのか、
牢獄の町に住んでいる感じになってしまった。
漁港まで、年寄りは、いけなくなった、とか。
時間かけて、計画をねったら、考えられないような、問題が山済みになってて、
「急ぎすぎた復旧」というのは、確実にある、と。
また、そのかたの話ではないですが、
復旧を急ぐと、、
実際に、普段の生活に必要な、公立病院など、今、ほとんど復旧していないことでも分かるように、どうしても、経路依存型の、どうしても、道路などのインフラ(復旧道路なので、環境アセスメントをしなくていい)ばかりに予算が使われてしまう。
何本も、新しい道路ができて、その道路工事の影響で、住民がどんどん、まちから流出していく。
きれいな道路ができて、きれいな町ができても、その5年とかの間に、非日常的な生活が続くことにつかれて、住民が流出してしまう。
住民がいなくなったので、鳴り物入りでオープンした、復興住宅・店舗に、お客さんが全然こない、ということも、普通にあります。
だから、やはり、腰を落ち着けて、少しづつ、日常生活が成り立つように、持っていくことも大事かなと思います。

熊本県を中心とした震災でも、在宅、または車中、テント避難者の把握がまだまだとの報道があります。
東日本大震災でも、見向きされないで、支援を受けられずに5年を経た方々は、仮設住宅に暮らす方々よりもさらに多いとも。
今も、決して安定した生活をされているわけでもない中
大阪など、他府県で困窮されている人々に眼差しを向けておられる方もいます。


出典 河北新報様


東日本大震災で損壊したままの自宅にとどまって暮らす「在宅被災世帯」のうち、約4割の世帯で住宅再建の見通しが立っていないことが、仙台弁護士会などの調査で分かった。経済的な事情などで十分な修繕ができず、仮設住宅や災害公営住宅への入居資格がない例が多い。支援制度の隙間に落ち込んで身動きできない「見えない被災者」の実態が浮き彫りになった。
<大半65歳以上>
 調査は、宮城県沿岸部で仙台弁護士会と在宅被災者を支援する石巻市の一般社団法人「チーム王冠」が実施。4月中旬までに96世帯から実情を聴取した。
 全体の7割超が65歳以上の高齢世帯で、世帯収入のほとんどを年金に依存していた。その結果、約3割は生活保護の受給申請を検討する水準の生活困窮世帯だった。
 持病や障害を抱えていたり、家族の介護があったりして震災発生の初期に避難所から被災した自宅に戻らざるを得なかったケースが大半を占める。当初は津波で浸水した1階を避け、2階で生活を続ける世帯が多かった。
 仙台弁護士会災害復興支援特別委員長の山谷澄雄弁護士は「行政の支援制度が不十分な上、年齢的に金融機関の融資が受けられずにいる」と説明する。
 最大被災地である石巻市の場合、被災家屋の修繕に対する国と市の補助は最大で計約250万円。蓄えのない被災者は、修繕を補助の範囲内に収めざるを得ない。

<単線型ルート>
 また、補助のうち災害救助法に基づく応急修理制度(東日本大震災では上限52万円)を利用し自宅を補修した場合、仮設住宅には入居できなくなる。震災初期に補助を受け、後に事情が変わって仮設入居を望んでもかなわない例も目立つ。
 山谷弁護士は「避難所から仮設住宅、災害公営住宅という単線型のルートから外れると、途端に支援の枠組みからこぼれ落ちる」と指摘。「人間の尊厳を脅かす環境を強いられている在宅被災者に支援の拡充が急務だ」と強調する。
 日本弁護士連合会は17日、国会議員に支援拡充を求める報告会を都内で開く。

東日本大震災が発生して5年以上が過ぎ
家を失った方々が、仮設住宅、みなし仮設などで暮らすようになってからも
5年になろうとしていますが
宮城県では、まだ3000人以上の子どもが仮設住宅に住んでいると。
その中でも、5歳以下の子どもは600人以上いることが、わかったようです。
つまり、生まれてから、これまでずっと仮設住宅で育ったということ。
そこから懸念されるのが、生育環境への影響。
自立再建できない家庭の問題が、「被災地」全体に見られますが
そこから貧困につながっている現状は、想像以上です。
それらから目をそらして、災害支援はありえないんですが。

そうそう、すべてを放射能に原因を求めることで、本当の問題をかき消している現状も付け加えておきます。


「恩送り」

引き続き、ある新聞の地方版のコラムで、心に残っているものを紹介させていただきます。

被災地に、全国から送られる支援はありがたい。が、受け続けるうちに、自然と「負債感」が重くのしかかる。
「負債感」を軽くするのは、
支援する側が「お互いさまだからね。ありがとうなんて言う必要はないよ」と
自然に振る舞うことも。
もう一つが「恩送り」

西宮の自宅で阪神・淡路大震災に遭遇。
手探りでボランティアを始め、NPO法人日本災害支援ボランティアネットワークを設立、
以来、被災現場に駆けつけている大阪大学教授の渥美公秀(あつみともひで)さんは
いつも「恩送り」という言葉を語る。

被災地に、全国から送られる支援はありがたい。が、受け続けるうちに、自然と「負債感」が重くのしかかる。
「やってもらってばかりの自分が情けない」。かえって気力をそいでしまう。

渥美さんが語っていた。「負債感」を軽くするのは、
支援する側が「お互いさまだからね。ありがとうなんて言う必要はないよ」と
自然に振る舞うことも。
もう一つが「恩送り」

阪神・淡路大震災の被災者が語ったと言う。

「ずっと気持ちが重たかったけど、東日本大震災被災地に飛んでいった。
思いがけず、私の被災体験がみんなに役立って、自分も軽くなった」

友、仲間、家族。私たちは多くの人に支えられて生きている。
その感謝を今度は困難の中にある人を支えることで、返していく
そんな「恩送り」のネットワークの
「結び目」に立つ日々でありたい。






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