エクセルシア Season 12

大震災 原発災害 東北を忘れない

要談 「防災・減災」

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『復興』を考える上で

自然災害は誰にとっても、他人事ではないとの観点からです。
阪神淡路大震災から18年半経ても、災害公営住宅の問題、独居高齢者、お金をかけた復興による借金
災害に強い町づくりの弊害・・・未だに震災は続いています。
人口流出、高齢社会、空き家率、独居世帯、介助介護、など社会がかかえる問題が
災害被災地には急速に襲いかかってきます。
 
再掲載
恢復と名づくべき事業は行われ難かった。智慧の有る人は臆病になってしまったと謂う。
元の屋敷を見棄てて高みへ上った者は、其故にもうよほど以前から後悔をして居る。
之に反して夙に経験を忘れ、又は其よりも食うが大事だと、ずんずん浜辺近く出た者は、漁業にも商売にも大きな便宜を得て居る」
(柳田国男が、明治大津波の25年後に三陸を歩いた記録「二十五箇年後」、『雪国の春』所収)
明治三陸津波から25年後、三陸を訪ね歩いた柳田国男のルポルタージュ。
高台移転への一つの指標として考えさせられます。
 
阪神淡路大震災で、甚大な被害を受けた、神戸市長田区御蔵通5丁目、6丁目
狭い路地に文化住宅(木造アパート)が密集する地域でしたが、
今は、消防車が入れる広い道ができ、美しい公園の地下には、貯水タンクができました。
こうして聞くと、前よりも良くなったと感じるかもしれません。
しかし、住民の3割しか戻ってきていません。
もとの住民が住めない町になっている。
これが「安全な町づくり」の結果です。
 
「行政は、次の災害に備えて、災害に強い町をつくろうとした。
住民は、それも大事だが、まずは住んでいた人を戻してと訴えた」
(当時は、長田で、そして今は、雄勝の町づくりにも関わってる宮定章さん)
安全・安心ってことが、結局、被災された方々の望まない方へ、
復興を推し進めています。

高台移転以外ないという選択肢を被災地にもたらしたのは、
「安全・安心の復興を急げ」という善意。

「朝、テレビをつけ、番組で取り上げられていた仮設住宅のお年寄りが『自宅で暮したい』とつぶやくのをみて、
『早く復興進めてやれよ』と家族に漏らしたあなたの行動
これすら、このシステム(注;人を押しのけ、システムの一員とさせる、システムのためのシステム)を作動させる一端であるのだ」(山下祐介『東北発の震災論』、ちくま新書)
  
またこういうことも
衆議院の定数是正区割りで、山田町が岩手3区に入ることになる。

山田町は、明治30年の郡発足当時は、今の宮古市と同じ東閉伊郡
ということは、江戸時代より
歴史的にも、文化的にも、宮古市と関係が深く、
今の災害復興でも、宮古市との関連が強い。

それが、今回の区割りで、宮古市ではなく、大槌・釜石側に入ることになる。
全国に広がる一票の価値の平等を、という声に、
山田町の、復興を妨害しないでくれ、
という小さな声はかき消されていく。

確かに、「選挙の一票」の価値は、不平等かもしれないが、
「生活の利便性」は、東京や大阪、神奈川の方が、
圧倒的に、有利で、その不平等はどうなる。

「生活の不平等の解消を」という声には、多くの人が耳を傾けることすらしない。
 
昨年、石巻市・気仙沼市に行く際、最初に夜行バスで仙台駅に着きましたが
その市街地の繁栄ぶりと、他都市との違いに違和感を覚えたものでした。
平成の大合併で東京都の3分の2の面積になった石巻市の中でも、よく似たことを感じます。
 
生活書院
復興とは、ヒューマンファーストである、デモや社会的抗議行動の多いところのほうが、復興が早いという
データがあります。
http://www.amazon.co.jp/dp/4790715612/ref=cm_sw_r_fa_dp_hjECrb188H7DX
 
「いよいよ明日から教壇に立つという日に、街は大型ハリケーンのカトリーナに襲われたのです」
 「日曜の朝4時ごろでした。友人が戸をたたいて『逃げろ』という。着の身着のまま、スーツケースひとつ持って車で隣町に逃げました。翌朝のニュースで、我が家の周辺が水没した映像が流れていた。家財道具の保険の手続きも終わっておらず、私たちはすべてを失ったのです」
 「途方に暮れ、親類や友人にメールを打ちました。
そうしたら友人の友人からも含め、『うちに来て住めばいい』『子どものオモチャをどうぞ』といった連絡をすぐに、たくさんもらった。
ちなみに米連邦緊急事態管理局(FEMA)にも支援を申請しましたが、返事が来たのは半年後です。
収入もないまま暮らすうちに、待てよ、被災後の生活再建に大事なのは政府でも保険会社でもなく、人間のネットワークではないか、と考え始めたのです」」
「ニューオーリンズのほかに関東大震災、阪神大震災、インド洋大津波の計四つの被災地に足を運びました。
いずれも小さな区域に分け、被災して減った人口が元に戻るうえでどんな要素が大きな役割を果たしたのか、統計学的手法で調べました。
1923年の関東大震災については東京の40の交番が把握していた十数年分の資料を手に入れ、デモや騒動など社会運動の発生件数が多く、投票率が高い区域ほど、人口の回復が早かったことがわかりました」
――レジリエンスのある国にするため公共事業を増やそう、という主張も耳にしますが。
 「それは復旧(リカバリー)と混同した議論だと思います。
ビル40棟のうち20棟が倒壊したとき、20棟を再建するのが復旧です。それは元の暮らしを取り戻す、という真の意味での『復興』とは違う。
現にニューオーリンズでも、たくさんの公共事業で街並みは元通りになったのに、人口は半分程度しか戻らなかった地区があります。
一方で、ベトナム戦争後に移ってきたベトナム系住民が暮らす地区は9割以上が戻った。レジリエンスがあったからです」

津波てんでんこ

5日に岩手県から来阪された、陸前高田市の戸羽市長も
講演で触れておられ、昨日の講演内容2の記事中にもありますが
 
「津波てんでんこ(津波が来たら、てんでバラバラに逃げろ)」
ということばに私はずっと違和感がありました。
戸羽市長も今回そこに触れて、以下のように語っておられます。
先人の言い伝えとして「津波てんでんこ」という言葉があります。
津波の時は、それぞれが逃げなさい、親も兄弟も無視をしていい、それぞれが逃げろ。
これが先人の言い伝えです。
今振り返ってみますと、たしかにそういう行動をとれば、被害ももっともっと小さくて済んだんだろうなと思います。
私ども行政が、あるいは日本人が、お隣に住んでいるおじいちゃん、おばあちゃん、
血のつながりは無いけれど、毎日おはようございますと声をかている、
その人たちを「てんでんこ」だから見捨てて逃げろ、
ということを行政は言うわけにはいかないのです。
また日本人の優しさということを考えると、そういう風に割り切るということは難しいんだろうと思います。

「津波てんでんこ」確かに、それは「防災」としては効果的かもしれない。

でも、愛する人のことも考えずに、バラバラに逃げねばならない
「津波常襲地の悲劇」を示した言葉とも言える。
その悲劇性を深く心に刻むことが大事じゃないかと思います。

「てんでんこ」が防災上いいからと、
愛する子を助けに行って津波にのまれた親を責められない。

そして、当然の疑問がわく。

1人では逃げられない人をどうするのか?ほっとけというのか。
でも、もう一つの別の位相があるのではないか。
 
東日本大震災の巨大津波を経験された方々の
さまざまな話を伺う中で気付いたことは

「津波てんでんこ」は、
「私は子どもを見殺しにした」
「親を救えなかった」と、
自分を責め続ける人たちに対しての言葉でもある。
「津波は昔から、てんでんこというじゃないか」と、
その人たちが、自分を責めることを少しでも減らせる言葉ではないかと。
 
明日で東日本大震災から1年5カ月
先日タレントのサンドウィッチマン伊達さんの友人が
亡くなったというニュースがありました。
その方は3月11日に奥さんと子供を亡くされた方という情報があります。
 
最初の1年間は大きな支援に支えられ
頑張ってきた人たち。
行政で多忙を極めてきた職員の間にも
弱冠の余裕ができ始めた時、精神科のケアが必要な人が激増していると聞きました。
阪神淡路大震災の時もそうでしたが
2年目3年目からが本当の戦いになってきます。
人々の関心も薄れ、遅々として進まない復興。
生まれ育った町の心の原風景が無いということは、
これから頑張ろうと言う時に、力が出なかったりします。
心のケアの重要性が増してきます。
 
被災してない地域の私たちは
被災地を絶対に忘れてはならないと思いますが
著しい風化を肌で感じてなりません。
大阪市内に住んでるとピンときませんが
地域の水防団(消防団)の課題は大きいです。
 
(大阪市内、自分の住む区では消防団はありませんが
町を歩いても他の市のように避難場所の看板も無ければ
防災無線も聞いたことがありません。)

いざというとき、自分の住んでいる地域を真っ先に護るのは、
自衛隊でも、警察でも、消防隊員でもなく、
ボランティアとしての消防団、水防団です。

東日本大震災のときの犠牲者は、
消防隊員が27人、
警察官は30人。
しかし、消防団員は、253人。

消防団員、水防団員は、消防署の職員ではありません。
いざというとき、消防隊がかけつけるまえに、
火を消したり、警戒を呼びかけたり、
避難指示をだしたり、水防扉を閉める、ボランティアです。

一応、出動一回につき、3000円ほどがご苦労様と払われるので、
「特別公務員」と言われていますが、
それは建前で、ボランティアです。

志津川では、水門を閉めに行った七人が全員流され、
6
人が死亡、一人が二日間、海を漂い、
生死、ぎりぎりのところで岸に泳ぎ着きました。
 
自衛隊や外国の軍隊も活躍してくれたのは確かですが
最大の功労者にして、最大の犠牲を払ったのは各地の消防団、水防団です。
日本社会は消防団員の苦闘を語らないのか、無視するのかという根本的な問題はありますが。
東北各地の消防団・水防団は、もともと消防団の活動が活発だったために
自治体の消防隊が無かったり、削減されたりでどうしても消防団が
がんばらねばならなかったのです。
実際に犠牲になった方の大半は30代40代。
陸前高田市の佐藤直志さんの御子息も47歳でした。
そして今、若手のなりてが無く、高齢化が進んでいます。
 
広域の防災減災のためには、実際のところ、
各地域の細かい、消防団・水防団の充実が重要になってきます。
たとえば、津波や高潮の潮位を即座に観測し、
「消防団・水防団が防潮堤を閉めに行くことが効果的」か?
「防潮堤を閉めても、水位は越してしまうという予想で、
むしろ、消防団・水防団の人の命があぶないので、
閉めに行くな!」か?
その判断予測が即座に出来る水位の正確な予報システムの構築が急務です。

それから、青年の方々に。
もし、自分の地域を愛しているならば、
「消防団・水防団」に、ほとんど青年がいない、ということが、どういうことかを考えてほしいです。
 
地震に対する備えの意識が高まってきていますが
竜巻に対して、どう備えたらええねん?・・・となかなか難しいですね。
関西でも二日前に大阪・京都・滋賀などで竜巻注意報が出ましたが。
その情報は府県単位で広く、発生地域をピンポイントで掴むのは今はまだ難しく
発現の時間も短く、地域も狭いために、最新の技術を用いても的中率は5%〜10%ほど。
 
・半日〜1日前に気象庁からの気象情報の中で、「竜巻などの激しい突風のおそれ」と注意喚起。
・数時間前、雷注意報が発表され、その中に落雷、ひょうなどとともに「竜巻」も明記。
・0〜1時間前に「竜巻注意情報」が発表されるしくみ。
 
▼「竜巻注意情報」が発表されたら、どないしたらよろしおまんねん?
 
発達した積乱雲(かみなり雲・にゅうどう雲)が近づくと・・・
・真黒の雲が近づき、周囲が急に暗くなる
・雷鳴が聞こえたり、雷光が見えたりする
・ひゃっとした冷たい風が吹き出す
・大粒の雨や「ひょう」が降り出す
        ↓
こういう兆しがある場合は
農村部や郊外では、木造家屋が多くなかなか難しい面もありますが
頑丈な建物の中に移動するなど、安全確保につとめる行動をとってください。
 
一般的なことですが
・電柱や太い樹木であっても倒壊するころがあり危険
・物置や車庫の中は危険・シャッターは閉める
・頑丈な建造物の物陰に入って身を小さくして頭を守る
 
・家の一家の窓のない部屋に移動する
・丈夫な机の下に入るなど身を小さくして頭を守る
・窓やカーテンは閉める
・窓から離れる、大きなガラス窓の下や周囲は大変危険
 
▼竜巻発生の仕組み
発達した積乱雲の下に、冷たい空気・寒気が流入して、暖かい空気・暖気を押し上げて
上昇気流を発生させ、その気流が渦を巻きながら上昇。
細く激しくなることで竜巻になる。
 
昨日(5月6日)被害が大きかった茨城県つくば市の昨日の最高気温は25.8度
それに対して日本列島上空には、氷点下21度以下の寒気が流入
この温度差から強い上昇気流が発生したと考えられ
西日本から東北にかけて、広い範囲で竜巻の原因となる積乱雲が発達していた。
 
竜巻・トルネードといえばアメリカを思い浮かべますが
冷たい空気と暖かい空気がぶつかり合う所なら、竜巻はどこででも発生します。
竜巻という言葉があるくらいなので、昔から日本でも発生しており
年間40件ほど発生していて、急に増えたわけでもないよう。
日本の面積から考えると、発生の頻度はアメリカと同じくらいと言います。
 
▼発生しやすい季節
統計では9月から12月が多いと言われてますが、
「春の急速に発達する低気圧」
「春の台風」
「冬の寒冷前線」などオールシーズン注意が必要。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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乳幼児のいる家庭の防災用具
乳幼児を持つ家庭では避難する際に、おむつ、ミルク、哺乳瓶(使い捨てタイプ)、カセットコンロ、
また頭や足を保護する帽子や靴などが必要です。
避難の際、意外と忘れられるのがお尻拭きや靴です
おんぶや抱っこで逃げる為に靴を忘れるケースが多く、また、
おむつは持ってもお尻拭きを忘れ、かぶれ症状をおこしてしまう赤ちゃんも被災地では見られました。
このため、ガーゼやさらし(さらしはおんぶ紐にも代用出来ます)を多めに備えておくと良いでしょう。
 
 
デリケートな赤ちゃんの体を守る
赤ちゃんの体はとてもデリケートです。
清潔に保たなければ皮膚も炎症を起こしやすく、また、ミルクに使う水でお腹を壊してしまう事もあります。
この為、ミネラルウォーターなどの飲み水とは別に不純物をほとんど含まない蒸留水も準備しておきましょう。
市販されている調整粉乳、粉ミルクにはミネラル分が含まれており、ミネラル水でミルクを与えては過度のミネラル摂取が腎臓に負担をかけ、脱水症状を起こす場合もあるので充分に気をつけましょう。
 
 
乳幼児の心のケア
避難生活は大人も大変ですが小さい子供にとっては更に大変です。
環境が変わる上に余震などの恐怖から夜泣きやおねしょをする子もいます。
そんな時に、子供の心を癒してくれるお気に入りの絵本やオモチャ、縫いぐるみがあればストレスもだいぶ軽減されます。
事態が落ち着いてから少し家に戻れる、車で避難できるといった状況であればオモチャや絵本、お絵かき道具をすぐ持ち出せるように準備しておくのも大変良いでしょう。
 


 
ペットを飼う方の防災心構え
災害に見舞われライフラインが断たれると、食料、飲み水、
また体を休める場所の確保にも困難を極めます。
それは動物たちにとっても同じ事なのですが、人命救助が最優先されるため、ペットを飼われている方は日頃から、ペット用の非常食や飲み水も自分たちで備えておく必要があります。
ペットも家族の一員です。いざと言うときに備え、人間だけでなく、ペット用の防災グッズの準備も忘れずにしておきましょう。
 
ペットの防災用品
ペットの防災用品としては食料、飲み水、携帯用食器、首輪、リード、排便始末用のビニール袋(大・小)、タオルなどがあれば便利です。
また、避難生活を強いられたときに、トイレシート、ウェットタオルなどあれば、衛生面でも良いでしょうし、共同生活で臭いや汚れなど周りに迷惑をかけないマナーとしても必要なものです。
もちろん、ペット用の防災用品にも人間の物と同様に賞味期限、保存期限があります。こまめに点検を行いいざという時に備えておきましょう。
 
ペットの行方がわからなくなった時
災害時、パニックを起こすのは人間だけではありません。
揺れ、音、火、稲光、濁流などに驚き行方が分からなくなるペットも居ます。
もし行方がわからなくなった場合は、まず警察や、保健所への連絡を行いましょう。
保護された方が警察や保健所へ届け出ているケースは多く、首輪に名前や鑑札が付いていれば更にみつかる確率も高くなります。
ほかに、行方不明になったペットを探し歩く際には写真があると効果的です。
避難用具の中にはペットの写真を一、二枚入れておくのが良いでしょう。

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