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戸羽太 陸前高田市長 高槻での講演から ― 4
2012年8月5日 高槻市生涯学習センター 於
▼第二部 濱田剛史高槻市長とのトークから
支援の在り方について
濱田:支援を受ける側として、これは必要、
これは不要ということが、言い辛い面もあると思うが
今後のために、その点について伺いたい。
戸羽:日本人の感覚として、震災が起きてまず水をということで、
支援していただき大変にありがたかった。
ただ、一番最初にカップラーメンが大量に送られてきた。
しかし水が無かった。
ありがたいのは間違いないが、お腹が減っている所に、
水が無くカップラーメンが大量に積まれているのは
非常に厳しいものでした。
次に水が届けられたが、ライフラインが寸断されており、お湯を沸かせない。
善意には大変感謝はしていますが、食糧としていただいたものが、
食糧にならないという状況がありました。
また、当初は着るものも何も無かった中、どんなものでもありがたかった。
今、1年半が過ぎて、変な言い方で恐縮ですが、
お醤油のシミがついたシャツやゴミ袋に入った衣類などが、
大量に送られてくることもありますが、今は戸惑ってしまいます。
それがどんどんたまって、処分もできずに困ってしまうということも
起きています。
私たちは常に情報を出しているつもりですが、
ニーズは常に変化するということを、
知っていただきたいです。
一番初めは、お水やラーメンをいただき、
おにぎりやパンを食べられるようになってくると
野菜や果物をいただけないでしょうか、となって、
野菜を沢山いただくと、今度ドレッシングを
いただけないか、というと、ドレンシングばかりが送られ続けてきます。
もちろんありがたいことですが、もう結構ですと言っても、送られてくる。
そうすると倉庫が一杯になってきます。
ですから、私たちにということでなく、
これから先に色んなことが起るかもしれないという前提で、
もし支援をする場合、タイムリーなもの、
ニーズを把握して、送っていただくということが
大事だと私は思います。
濱田:そういうことにならないように、支援する側は被災地の最新の情報を集めて、
今何が必要かということを、きちっと把握する必要がありますが、
高槻市など市が単独で行うことも
なかなか難しいことだと思います。
・・・・・
様々な支援の方法がある中で、ボランティアというと、
なかなか踏み出せない人もいるかも
しれませんが、そのような点はどうお考えですか?
戸羽:私どもの方に、ボランティアじゃなきゃだめですか?とよく質問がきます。
メディアなどでもいつも話しますが、
まず被災地に足を運んでいただきたいのです。
陸前高田にも復興スーパーやお店もできてきています。
被災地にきていただいて
そうしたお店でお弁当やお水一本でも買っていただいて、お話をしていただき
そして、帰られたら、ご家族やご友人に被災地の様子を
お話ししていただければと思っています。
私は今年の年頭から「被災地を忘れないでください」と話しています。
震災1年の時はメディアも来ましたが、
今、メディアに取り上げられなくなっています。
原発のことは別としても、津波被害のことはほとんど
取りあげられなくなっています。
ですから、私たちがこうやって足を運んでお話をさせていただいたり
インターネットで情報を出したり、テレビに出たり、
取材を受ければできるだけお断りをせずに、情報を発信し続けています。
濱田:これも今後の支援の為にということですが
発災直後にはボランティアの方々が独自に来られた
ということもあったようですが
困ったことはありましたか?
戸羽:陸前高田市に限らず社会福祉協議会(社協)の方々が、
ボランティアをまとめていただいていますが
社協さんはすごい力を持ってますが、
当初は社協さんの方々の中にも犠牲者がおられて
社協の枠だけあって、中身が無い状況でした。
その中にボランティアの方が何十人とやってこられて
私の所へ直接来られて、なにをすればいいですか?と言われました。
私は素人なものですから、分からないのです。
ですから、社協さんを中心に、ボランティアをコーディネートできる方、
さまざな作業を割り振りできる方を日ごろから養成する必要があります。
濱田:ボランティアの方などに対して、こうしていただきたい、
ということはありますか?
戸羽:私が一番お願いしたいのは、町の人たちに声をかけてあげてほしいことです。
特に高齢者の方々、一人ぼっちになってしまった方々は、
人から声をかけてくれるのを待ってます。
例えば「関西から来たOOです。」とおじいちゃんと話をしてもらって
帰り際に「おじいちゃん、また来るね」と言ってもらいたいのです。
「それじゃあね」ではなく。
高齢者の方々は、その一言が違うとよく言われます。
「それじゃあね」と言われると、あと来ないよ、
と言われているように感じます。
「また来るからね」と言われると、本当に来るか来ないかを期待しないまでも
気持ちの面で、また次がある、一か月後か半年後か1年後か、
という思いが高齢者の方には
嬉しいとよく聞きます。
是非そういったお声掛けをしていただけたらなと思います。
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要談「陸前高田市」
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2012年8月5日 高槻市生涯学習センター 於
1からの続き
▼東北地方に対する国の見方
ご存知のように福島県は東北地方です。でも、福島県の原発は東京電力です。
私ども岩手県は東北電力の電気です。福島県までは東京電力です。
では、なんで福島県に東京電力の原発があるのか、なぜ東京に無いのか
それは「リスク」なんです。やっぱり危険性があるということは、
はじめから分かっているのです、まちがいない話です。
危険だから人の少ない所に、田舎の町に作るということは常識なんです。
私どもは田舎に住んでいるということ、ある意味誇りに思っていますし、
ある意味残念だなと今回思っています。
1年五ヶ月経って、なんの復興という段階に入れていない。
被災をした、市役所、市民会館、体育館
そういった大きな建物は残っています。残っていると言っても使えない状態です。
これから取り壊して、やっと更地にできるという段階ですが
もし、あの東日本大震災のような惨事が、東京や大阪やあるいは名古屋で起こったとしたら
1年五ヶ月も経って、まだ建物の解体の処分もできない、
瓦礫の処理も全然終わってないということが、考えられないじゃないですか。
もしそういうことがあったら、日本はもう終わっていると思います。
ですから、東北の被災をした所は、仙台市を除けば、
みんな田舎で人口が少なくて財政基盤が弱くて、産業基盤が弱くて
高齢化率が高くて、あそこを多少ほっといても、日本全体には影響ないだろう
という風に国が思っているんだろう、としか考えられないんですね。
そういうことを思った時に、同じ日本人でしょと言いたい。
特に東北の人たちというのは、本当に純粋で黙々と働いて、贅沢も言わずに
こんなこと自慢になりませんが、所得も非常に低い地域です。
でも、そういった中で、自分たちが作る野菜やお米であったり、養殖をした牡蠣やほたてなどにプライドを持って、日本中の皆さんに、美味しい食材を届けるのが自分達の役割だと、
東北は日本の食糧の供給基地だという思いで、日々働いてきた人たちでありまして、
そう考えた時に国の方々は何を考えているんですか?
同じ日本人じゃないですか!という思いがしてならないのです。
▼危機管理に対する反省と問題
陸前高田市は大変大きな被害を受けたのですが、
これは市長として反省し申し訳ない気持ちでいっぱいなのですが
なぜこれだけ大きな被害になってしまったのか、
今冷静に考え、一番大きな要因を申しますと
私どもの地域には、国が発表していた「宮城県沖地震」が来ると言われていました。
30年以内に99%の確率で宮城県沖地震が起き、津波が来るだろうと言われてまして
発表から年月も経って、私たちの地域でもそれぞれ、訓練を重ね、自主防災組織を各地域に作ってもらって
高齢者の人々を避難させるにはリヤカーが必要となれば、市から補助金を出して購入にあてたり
非常食をそれぞれの家庭に配って、リュックに入れていざという時は逃げてください
といった色んなことをしてきました。
しかし残念ながら1800人もの方が犠牲になってしまいました。
それは、今回の地震は宮城県沖地震ではなかったわけです。
宮城県沖地震はシミュレーションも出ていて、旧市役所まで届く津波の高さは
50cmから1mと発表されていました。
それに基づいて、すべての家庭に津波ハザードマップを配って、
各地域にこれくらいの津波が来ますよとお知らせをしていました。
私たちもそれを鵜呑みにしていました。
指定をしていた避難所というのは、二階建て以上の強固な建物、体育館や三階建ての市民会館であったり
少なくとも二階に逃げれば、人が亡くなることは無いだろうと、たかをくくっていたところがあったと思います。
しかし現実に来た津波というのは、海辺の一番低い所で13.8m、高いところで18m。
私も水が見えてから、市役所に駆け上がりました。
屋上まで行って、下を見降ろそうしたら、もう眼下50cmの所まで水が上がってきていました。
瞬く間に、屋上まで水が入ってきました。
先月 7月9日に訪れた時の旧区役所
▼有事での公務員のあり方 ルールづくりの重要性
市役所の職員の68名が正の職員だけでも犠牲になりました。
消防団、嘱託の方を入れますと110名の方が犠牲になりました。
私は、今回被災をして、公務員の仕事はどこまでが仕事なんだろう、
消防団の仕事はどこまでが消防団の仕事なんだろうと考えました。
この線引きが無いということが大きな問題だという風に思いました。
市役所の斜め後ろにスーパーがありました。このスーパーでは従業員もお客様も全員無事でした。
あるパネルディスカッションに参加した時に、そのスーパーの社長さんもいらっしゃって
その方がこう仰いました。
「私たちのところは、誰ひとりとして犠牲者を出さなかった。
市役所には沢山の犠牲者がでた。これは日ごろの心持だ」と言われてしまい、
本当に悔しい思いをしました。
公務員がもし真っ先に逃げることができたら、みんな逃げたと思います。みんな逃げたかったと思います。
公務員といえども家族があります、夢があります。
でも、自分が公務員だという責任感から逃げることもできないし、逃げ遅れた市民の人たちを助けに行って、亡くなった仲間も大勢います。
それを「日ごろの心持だ」という一言で済まされてしますということは、とても許されることではありませんでした。
ただ、そこのルールというものは、ある程度決めておかなければいけないんだろう、という反省もございます。
平時の時に、他の自治体でもそういうことを、是非ご検討いただきたいと思います。
特に消防団の方は、日ごろ生業をお持ちの方が、半纏を着た途端に特別公務員という扱いになるわけですから
本来は一般の方々なのですから、その方々の生命・安全・安心というものを、守っていくことが大事だと思います。
▼「津波てんでんこ」どう捉えるか
また、情報の出し方ということに、非常に困惑をし、人としての気持ちのところと
現実のギャップに戸惑いを感じています。
私どもの地域では、これまで何度となく津波を経験しています。
先人の言い伝えとして「津波てんでんこ」という言葉があります。
津波の時は、それぞれが逃げなさい、親も兄弟も無視をしていい、それぞれが逃げろ。
これが先人の言い伝えです。
今振り返ってみますと、たしかにそういう行動をとれば、被害ももっともっと小さくて済んだんだろうなと思います。
私ども行政が、あるいは日本人が、お隣に住んでいるおじいちゃん、おばあちゃん、
血のつながりは無いけれど、毎日おはようございますと声をかている、
その人たちを「てんでんこ」だから見捨てて逃げろ、
ということを行政は言うわけにはいかないのです。
また日本人の優しさということを考えると、そういう風に割り切るということは難しいんだろうと思います。
一方で現実として、私の仲間も沢山亡くなりましたが、
おじいちゃん、おばあちゃんなどをおんぶをし
逃げないと言っている人たちを説得をしているうちに、津波に巻き込まれて犠牲になった人も、現実には沢山います。
何が正しいのか未だに分かりませんが、一人一人が日ごろから、津波に限らず様々な有事に対して
きちんとしたことを考えておく必要があると思います。
2012年 7月9日に訪れた
陸前高田市 旧消防署 MAIYA
▼子供たちの笑顔と希望のために
これから陸前高田市をどうしていくか。
一番大きな問題の一つに子ども達のことがあります。
陸前高田市は、現在2万人ほどの小さい市ですが、小学生と中学生合わせて1600人ほどです。
そのうちの29人の子どもが、両親を津波で亡くしています。
それから150人を超える子どもが、方親を亡くしています。
1600人中600人くらいが仮設住宅から登校をしています。
あの日震度6ほどの大きな地震がきて、校庭に並ばされて、先生達に落ち着きなさいと言われている時に、来るはずのない津波が学校の校庭にきて、みんな走って逃げた。
気が付いてみれば、親を亡くし、同級生を亡くし・・・
小学生の間にこんなに悲しいことを、三つも四つも一度に起こりうることなど、あり得ないと思います。
心のケアという言葉がありますが、専門家の方にお願いすることも必要ですが
こんなに傷ついた子ども達の心を元に戻せるのだろうか。
今は笑っていても、いつかまた、何かの形で傷つくのではないか。
そういう心配をしております。
ですから、我々行政が、できるだけ子どもが笑顔になれるような、企画や行動をしていかなければならないと思っていまして
子どもが笑顔になると、お父さんお母さんも笑顔になりますし、
おじいちゃん、おばあちゃんも笑顔になりますから、
子どもたちが通常の笑顔を取り戻せるように
私どもとしても、がんばっていかなければならないと思っているところです。
つづく
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FaceBookから
8月7日は陸前高田の一番熱い夜です。
6日から行われている陸前高田の「七夕」はピークをむかえました。
高田町では「うごく七夕まつり」、気仙町では「けんか七夕まつり」が開催されました。
昨年の津波でほとんどの山車が流された二つの町は、全国の皆さんのご協力で少しずつ元気になったきています。
今日も全国からたくさんの方にお越し頂きました。元気を頂きました。
来年もたくさんの皆さんのお越しをお待ちしております。
まだまだがんばっぺし!
動画ニュース
旧市役所前 ちょうど市民会館との間 |
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2012年8月5日 大阪府高槻市生涯学習センター
1
高槻市には大変お世話になっております。
陸前高田市の氷上太鼓に対してもご支援をいただき
さらに消防車をいただいたり、水道が止まった時には、復旧等にも職員を派遣し尽力をいただいたり
さまざまなご支援を賜り、これまでのご支援に対して重ねて感謝を申し上げます。
陸前高田市は、岩手県でも一番大きな被災をしたのですが、現在市内で発見されたご遺体は1555体
そして今なお、230名を超える方々が行方不明であり、連日、警察や海上保安庁に捜索をしていただいてますが
残念ながら今年に入って、どなたも発見されておりません。
230名を超える方々をそれぞれ探しておられる、ご家族、ご友人、ご親戚が市内にどれくらいおられるだろう
そう考えますと、私どもは復興・復興と言ってるわけですが、一方でそういう人たちが、置いてきぼりにならないように、フォローしていかねばならないと考えているところです。
▼復興が進まない理由
気持ちが通じない、国と被災地
(発災から)1年5カ月経とうとしています、しかし現地に来ていただければ分かると思いますが
まだ復興と言える段階には至っておりません。本当に歯がゆい思いをしています。
ではなぜ、復興の段階に入れないのか、その理由の一つが国のルールです。
ルールは通常時には大変有効なものであり、ルールがあって社会が成り立つのですが
政治家の皆さんは、千年に一回、未曾有の大震災と話をされますが、その千年に一度の有事に対して
通常のルールで対応をしています。
したがって前に進もうとしても進めないでいます。
例えば、一つの山を削って、災害公営住宅を建てるという計画を、昨年の10月に市民の皆様に発表をしていますが、
それから10カ月経とうしている今日でも、石ころ一つ動いていません。
なぜなのか、それは国のルールがあるからです。
山には木が生えている、木を伐採するには森林法に基づいて国に届け出をして、許可を取る必要があります。
次に山を削って平らな土地を整備するので面積が広くなる、それは大規模開発ということになります。
大規模開発というのは本来、民間の方々が勝手に山を削って、大きなショッピングセンターを勝手に作るというような
乱開発を防ぐためにある法律だと私は理解しているが、被災地である私どもにも通常のルールのまま申請をして、許可を得なければ前に進まないというのが現状です。
そして、今、復興交付金制度があり、そのお金を使って山を削ろうとしたら、
今度は都市計画設計をしなければいけまんよ、というルールがあります。
以前に手続きをしていた、森林法で許可が出たから、木を切ろうとする段階になれば
今度は林野庁から電話が入り、陸前高田の山にはその昔、43万円の補助金が入っていますから
ちょっと待ってください、と言われます。
たった43万円なら返してやれと担当課に言いました。
43万円返せば勝手なことしてもいいんでしょ
となれば林野庁もプライドがあります、そういうことが世の中に洩れるのが嫌なのでしょう。
返さなくてもいいから、手続きだけはしてください、手続きには6カ月かかります、と言われる。
今から6カ月待つなんてことはありえません、6カ月もかかるならお金を返します、と言うと
2ヶ月から3ヶ月でなんとかしましょう、と言う。それも待ってられないと言うと
分かりました2週間でします、となる。
ここは本来は喜ぶべきことかもしれませんが、私たちからすればまさに、ストレスなんです。
なんで一番はじめに、被災地である我々が山の木を切る、削ると言った時に、
今2週間でできると言ったのなら、なぜ最初に6ヶ月と言ったのか?
通常のルールだと6ヶ月だけど、あなたのところは被災地だから
なんとかして2週間でしますと、なぜ一回で返答ができないのか、
そこが国と我々被災自治体とのギャップなんです。
ルール上のギャップというのは、確かにありますが、一番悔しいのは気持ちが通じないということ。
被災地に寄り添うとか、日本全体の問題だと色んな大臣が話しますが、実際には言葉はでてきても
行動には出てこないのであります。そこが非常に悔しい思いをしてならないのです。
昨日(8月4日)平野復興大臣にご視察をいただきました。
その際に、市街地が全部被害を受けているので、都市計画においても、
非常に広い面積だから分割してやった方が良いと大臣が仰った。
その通りですが、分割して進める場合にどの予算でやれば良いか、我々には分からないと伝えますと、
大臣から提案がありました。
すると市の担当者から、それは先日国交省からダメだと言われた、と言うんです。
省庁で言うことが違い、横の連携ができていません。
▼国の縦割り行政の本質
国の制度はよく縦割りだと聞かれると思いますが、被災をして、本当に国は縦割りなんだなと実感しました。
一番印象的だったのは、昨年、津波の影響でガソリンスタンドが一つも無く、ガソリンが近くまで来ても
陸前高田市までには届かない状況が続いた。そこである政治家にお願いをして、経産省に電話をしてもらい
ガソリンを持ってきてもらうことになりました。本当に喜んびました。
ガソリンが無くて一番困ったことは、市内で日々大勢のご遺体が発見され、OO小学校に収容してもすぐに一杯になり、次はこの学校・・と指示をしていると市内の学校の体育館はご遺体でいっぱいになりました。
隣町の体育館も借りて収容していただいた。
ガソリンが無い為に、家族を探しておられる方々が、ご遺体の安置所に行けないということになりました。
ですから身元が判明しません、するとそのまま安置したままになり、悪循環が生まれてきました。
いよいよ明日ガソリンが来ると言う時、その給油を自衛隊の方々にお願いをしていました。
それは副大臣が来ていた時に、副大臣から危険な業務なので、自衛隊にとお願いをしてもらっていたが
経産省から電話があって、
「経済産業省が出すガソリンなので、自衛隊の方々には給油をさせないでください。古いドラム缶と新しいドラム缶を交換する時は自衛隊に手伝ってもらってもいいが、ノズルには触らせないでください」
という事を言われました。
被災地で食べ物も水もガソリンも無い状況で、経産省が出したガソリンだから、自衛隊に触らせないくださいと
そんなことを平気で言うんですよ。
これが事実なんです。
▼国の危機管理に危惧
こういった中で復興をしなくてはいけない時に、私たちは国と戦わざるえなくなっている。
震災が起った時の総理は菅直人さんだった。当初色んな批判を受けていたが
私は批判をしても仕方がない、手を携えて頑張っていかねばならない時だと思っていました。
が彼は突然辞めると言いだした、それから3ヶ月かかった。
そして辞めた後、SPを連れてお遍路さんに行っていた。
その前の総理大臣もしかりですが、ああいう人が今でも政治家として残って、力を持っています。
それは日本という国が、非常に危ぶまれることだと思います。
今回の震災は東北3県が主に大きな被害を受けましたが、日本全体のことを考えた時に
国の危機管理をしっかりと日ごろから考えていく必要があると、被災をした私たちですから
反省と教訓を皆さんに伝えていかなければいけない、そういう思いでこのお話をさせていただいています。
つづく
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宮城県 気仙沼市 復興マルシェの女性から
刻一刻と変わる被災地を見てほしいんです。 |


