|
NHKが今も放送を続けている「あの日 わたしは 証言記録 東日本大震災 」
強い印象を残したお話しは、過去に何度か紹介させていただきました。
先日の放送では、大船渡市ご出身の女性があの日
夫が入院していた、陸前高田市の県立高田病院に、娘さんと見舞いに来ていた時の話しでした。
高田病院といえば、発生翌朝に、病院の屋上からヘリコプターに向かって手を振り続けている映像がテレビで放送され続け、個人的に「陸前高田市」の名前を認識するきっかけになりました。
病院解体後も、この近辺を中心に、行方不明者の捜索が、盛り土直前まで続けられましたが
今は、どのあたりだったか、上空からでないとわらかないですね・・・
「
さて、今回、お話しされた女性は、地震発生時4階にいました。
津波が来ると聞いても、まさかここまでは来ないだろうと思っていた時
津波は一気に高田病院にまで押し寄せ、病院の4階まで到達し窓ガラスを割って侵入し、女性は大変だとドアを押さえます。
しかし、津波の威力にドアごと倒れ、入院中の夫を必死で支えようと、娘さんと力を合わせますが、天井近くまで水位が上がってきました。
その時に娘さんがおもわず「親子三人で死ぬべし」と言います。
女性は「そんなこと言わないで頑張れと」力づけました。
最後まであきらめなかった時、天井まで達するかと思った水位は、みるみる引いていきいき、九死に一生を得た三人は、病院の屋上へ避難しました。
ごみ袋をコート替わりに着て、寒さをしのぎ、厳しい寒さに耐えながら、翌日に救助されました。
女性は地元 大船渡で震災の体験を語る活動をはじめ、全国から大船渡を訪れる人たちに伝えています。
放送では、震災前の陸前高田の風景が映し出されましたが
これまで見てきた震災前の高田の風景にはなかったショットで
さらにとてもリアリティのある映像に、今も存在するかのような街並みがとても心に残りました。
さらに、高田病院から写された、病院に迫りくる18mを超える巨津波も放送されました。
市役所の屋上から撮られた巨大津波にも言いようのない衝撃を受けましたが
この病院から写された、真正面からの津波の写真も、とても衝撃的です。
気仙川をはさんだ向こう、中央に高田病院、その奥に市民体育館
左には市役所、マイヤの看板も見えます。
初めて陸前高田で活動をした時、写真の手前のさらに手前にあたる
気仙町にも行きましたが、一面津波で破壊流出した
これら家屋の「瓦礫」で埋め尽くされていました。
奥のMAIYAの鮮やかな緑の看板が、色の無くなった町で
とても印象深かったのを覚えています。
|
要談「陸前高田市」
[ リスト | 詳細 ]
|
普門寺では、前回訪れた時は雨でしたが
そのせいかどうか、前回気がつかなかったものを発見
手作りプロジェクトによる、「五百羅漢」
でも、羅漢のイメージとは違い
なんだか、ほっこりするような、愛らしい羅漢たちがそこにいました。
優しい表情 悲しそうな表情 悔しさをにじませたような表情 など
なにかを訴えてきそうな、ここは聖域で立ち入ってはいけないのかなと感じました。
|
|
回答は下記リンクから https://questant.jp/q/KJH8Q6T8 ![]() 平成28年11月21日の陸前高田市市議会全員協議会で、 市当局から「市役所新庁舎位置の選定について」の提案がありました。 傍聴者へ配布された資料は下記リンクからダウンロードしご覧ください。 https://drive.google.com/drive/folders/0B0lICIY0kYpfMTI0OHdNYjR0OWs?usp=sharing
市当局の市民向け説明会やアンケートは、いまのところ実施されないようです。 傍聴者へ配布された資料を査読され、一般市民のわたくしの行う個人的なアンケートにご協力さい。 個人情報の収集はしておりません。
アンケート募集期間:平成28年11月21日〜平成28年11月27日
注)1台の端末からは、1度しか回答できません。 注)結果は、まとめて市議会へ提示する予定ですが、市議会の議論への反映が約束されたものではありません。 |
|
高田では、4月に個人で訪ねた時いらい、再び普門寺さんを訪れました。
2011年3月11日の大津波の被害にあい
ご遺体が見つかるも、身元が今も確認されていない方々を
1人1人埋葬されています。
お名前が分からない方々に忘れないでいますよ、と手を合わせました。
ここからは、高田の海が見えます。
|
|
スマホで月を撮影すると、このように大惨敗になります
というか、今日それを投稿かよ、というツッコミもはねのけて
陸前高田市滝の里工業団地仮設住宅でのウルトラスーパームーン2016
集会所のイルミネーション
|



