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二年前の大津波で壊滅した、唐桑の牡蠣養殖いかだ。
絶望の淵に立たされた時、三陸の牡蠣を絶やさないでくれ!と手を差し伸べたのは、それまでライバル関係にあった広島の牡蠣業者でした。 1500km近い距離を越えて、広島から養殖に必要な全てが提供され、起死回生に至りました。 こういう方たちこそ『絆』という言葉を使う資格があると思いますが、そういう人ほど、言葉の安売りをしないものですね。 その唐桑の鮪立(しびたち)という地区にある牡蠣小屋で養殖の準備の手伝いをさせていただきました。 初日は渋滞でバスが遅れ、活動時間が減ったので、3月11日の体験や広島との絆など貴重なお話を伺い、ホタテの箱詰めをして、急遽船で沖まで連れて行ってくださり、ホタテの水揚げを見せていただき、さらに津波の時に船を沖まで出した話し、燃え盛る気仙沼を見た話しを伺いました。実際に津波が来た海上で聴くお話は胸に迫り、津波に対する感覚がそれまでと全く変わりました。 しかし、まあええとこでした、唐桑半島。 つづく |
要談「気仙沼市」
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お盆があけたら、共徳丸は解体が進められるとのことですが、今回訪れた時、何度も見ている共徳丸が、枯れたように見えて、早く解体した方がいいなあと、感じました。
疲れきって、力も残ってないのに、必死で頑張ってる人に、早く横になって休んで、と言葉をかけたくなるような、そんな心境が色褪せていく共徳丸を見て芽生えました。 私は気仙沼市民じゃないし、被災したわけではないですが、共徳丸が解体されてやっと気仙沼の復旧が終わり、地に足をつけた復興が始まるんじゃないか、そう思いました。 共徳丸は遠洋漁業の積荷を乗せてくる船で、甲板は木製で船体も強くなく、持ってもあと20年ほど。 津波を後世に伝えるまで、もたないでしょう。 またこの日、船主の前で若い姉妹がピースサインで記念撮影、シャッターをきるのは母親と思しき人、その光景を見ました。 この日はお盆です。 新しく造船された共徳丸も操業するようです。 共徳丸を見たくも無い人にとっては、長い二年半だったことでしょう。 |
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あんなもの、こんなもの
いただきました! ブランド牡蠣の美味しいこと! サラ貝も初めて食べました。 大阪では味わえない贅沢です。 あ、ボランティア活動ですからね。 くれぐれも、お間違いの無いようお願いします。 |
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福島県から大阪市に移り住んでいる方の
里帰りのバスに同乗させていただきました。 郡山や福島市で下車され、GMTいや地元に帰って行かれる皆さんを見送って、ここは、フクシマやFUKUSHIMAではなく、ふるさと、なんだとあらためて実感しました。 渋滞に巻き込まれてしまい、大阪を経って18時間で気仙沼に安着。 さかな駅でマグロ丼をいただき、唐桑半島鮪立へ。 スケジュールがずれ込み、大した作業はできませんでしたが、漁師さんから貴重なお話を沢山伺え、予定外で船で沖まで連れていってくださり、ホタテの水揚げを手伝わせてもらいました。 船上でホタテをさばいて、全員にふるまっていただき、貝柱が甘いことを初めて知りました。 また海の上で聞いた津波の体験は、今までになく、とてもリアルでした。 今日も唐桑で牡蠣の養殖のお手伝いです。がんばっぺし! |
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と言っても、ちょうど1年前ですが
石巻で泊まって⇒小牛田⇒一ノ関⇒気仙沼と3時間ほど電車に揺られて気仙沼に行きました。
ボランティア以外で東北に行ったことがなかったので、1人で土地勘の無い宮城県と陸前高田を歩いて廻ってましたね・・・歩きすぎて、足腰に身が入って、まっすぐ立てず
ホテルでは志村けんがコントでお婆ちゃんの役やってる時の状態でした・・・
そうそうパンダがいました
復興屋台にいてました
モノホンです。でも動きません。
触れました。ちびっこが並んで触ってました。
大人1人で並んでたのは、私だけでした・・・・
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