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高台移転によって人が住まなくなる場所にも、巨大防潮堤は必要なのか?
防潮堤など土木政策には数千億の予算がすぐにつきます
一方、医療、介護など人間に対するものは、予算がつきません。
コンクリートの耐用年数は40〜50年。
阪神淡路大震災の被災地では、安全・安心のまちづくりを進めた結果
元の住民の70%が帰ってきませんでした。
世界三大漁港の三陸の漁業産業も考えていきたいです。
政府や政治家、行政を批判するのは簡単ですが
復興を進めるのはレジリエンス、ヒューマンファースト
抗議運動、市民運動の多い地域が復興が早かったと歴史が証明しています。
防潮堤の賛否は別としても
私たちは決して無力ではないはずですね。
是非この動画をご覧いただいて、一緒に考えていきたいものです。
東日本大震災の被災地および全国の沿岸部に建てられるコンクリートの巨大防潮堤は、はたして日本の子供たちの将来を守るのか。このビデオは、被災地の住民の反対運動を受けて、また、賛成することを選択した住民の理由も含めて、国や県にこの計画の抜本的な再検討を求める運動について、みなさんに一緒に考えていただきたくて作りました。このコンクリートの巨大防潮堤建設問題がなぜ沿岸部の人たちの防災の問題だけではなく、私たちみんなが、一人の人間として知識を持ち、考え、意見を述べていかなくてはいけない問題であるか、知っていただければと思います。みなさんの熱いご支援をお待ちしております。防潮堤再考を求める署名運動リンクはこちらです。 http://www.change.org/en-AU/petitions/被災地を覆うコンクリート巨大防潮堤の再考を-rethink-giant-concrete-seawalls-in-japan-s-tsunami-affected-area どうぞよろしくお願いいたします。 大塚 |
要談「気仙沼市」
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よろしゅう おたの申します。
(よろしく お願いします)
私はこのお話を初めて伺った時に、すぐに思いだしたのが
あしなが育英会の「レインボーハウス」でした。
そこには、震災遺児のために、サンドバッグが吊られている部屋もあります。
遊び場を失った子どもたちに、おもいきりバットを振って、
色んな事をカキーンをぶっ飛ばしてもらいたいです。
希望ののむヨーグルトの購入が、支援に繋がります。
amazonなど通販で購入できます。
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気仙沼市小泉の14.7mの防潮堤のイメージです。
高台移転でもうここに戻って住む人はいないのに二百億円で建設されます。
宮城県の沿岸を、防潮堤で囲う計画が進められていますが
気仙沼の大川など、川の両岸にも建設される地区もあります。
市民を塀の中に住まわせるのかと思うほど。
川に作れば、津波が来た時、今まで到達しなかった地域にまで溯上し
被害を拡大するように思うのですが。
異様な国土になってしまいます。
先月15日、陸前高田市の海岸前にあった盛り土。
海の方向に向かって写真を撮ってますが、無機質で圧倒的です。
こういうのが、三陸の海岸に何十kmと作られていきます。
高台に移転をさせて、人が住まない地域に、さらに防潮堤。
これ、東京や横浜や神戸、大阪などで津波被害があっても
同じように作るでしょうか?
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安波山(あんばさん・あんばやま)に初めて登りました。
写真ではよく見ていた光景でしたが、実際に登ってこの景色が目に入った時、
3月11日の映像と避難を呼び掛ける防災無線の声を思い出し、辛くなりました。
気仙沼の市民でもなく、当時のそこにいた訳でもないのに、そんな気持ちになりました。
黙とうをさせていただき、当時の避難の様子、その後、
携帯の電波が高い場所しか入らずに何度も徒歩で登ったり
電話をかけるために、市役所まで線路伝いに何度も歩いたお話しを伺いました。
三陸に地震や津波の警報が出ると、テレビによく映っていた
エースポートが解体されて、港の景観も変わりました。
2年間そのままのものも、あちらこちらに残っています。
岩井崎にて
案内してくださった方は、築4年の自宅と60年以上続いた家業の店舗を大津波で流出。
仮設店舗で出店するまでの9ヶ月間、路上販売を続け、冬は吹きさらしの極寒のストレスから
膀胱炎になり血尿も出たと語っていました。
岩井先では、海に向かって石飛ばしをし、お腹の底から笑いころげ
その後、南三陸に行くためにBRTの駅を探していたら、ちょうど駅にバスが到着。
今から駅に行ったら間に合わない、車で追いかけようとしたら、バスが出発。
バスの前を走ることになり、それなら次の駅に先に行って待ち伏せしようと、大谷海岸まで・・・
バスが来て大慌てで荷物をおろして、大声で「運転手さん、待ってーー、乗りますうー」と
おもいきり関西弁で叫んで、バスの飛び乗って
案内してくださった方と「ろくなお別れもできずに、すみません、お世話になりました、お元気でー」
と言っていると、運転手さんが
「次の駅までですけど、大丈夫ですか?」
えっ?
私「志津川に行きたいんですけど?」
運転手さん「次のバスですね」
とインカム越しに教えてくれました。
お元気でー、と言った後にそのままバスから降りて
また大笑いしながら、バスが来るまで30分ほど、何度も時刻表を見直しながら
大谷海岸の元駅舎に行き、また戻って、なんだかんだ
バスが来ただの、まだだの、ドリフのコントみたいなことになり
案内してくださった方が、ずっと笑っている様子に、最近元気が無さそうだったので
なんか良かったなあと思いました。 |
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大震災後の気仙沼の象徴となってしまった、第十八共徳丸
津波で運ばれてきた場所が、鹿折唐桑(ししおり からくわ)駅前です。
大震災以前を知らずに、ここを訪れた私たちには
そのあまりの違いに、大きな衝撃を受けました。
大震災発生の4ヶ月前という、貴重な映像。
映像は、気仙沼駅を発車して鹿折唐桑駅に到着、下車、駅舎を撮っています。(ブレ酔いにご注意)
鹿折唐桑駅プラットホームから、駅舎側を見た写真
(2013年4月16日)
(2012年7月7日)
(2012年7月7日)
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