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昨年、八戸から南下し岩手県を経て、石巻市で現地の方々とお会いした時に
紹介していたいただいた和菓子のお店「甘陣本舗」さん。
そこの「赤飯まんじゅう」が、控えめの甘さと、優しい食感と味が、美味しくて美味しくて
いらい石巻に行くという人に薦めていました。
●甘陣本舗さんは、石巻市の大街道にありますが、あの日、甘陣のお店がある地域も津波がおそいました。
甘陣さんは1960年ごろ、和菓子職人だった現在の女将さんのご主人(故人)が創業、
お土産や祝い事などの贈り物を主に和菓子を販売し、人気の和菓子店へと発展。
なかでも30年ほど前に、創業者が考案した「赤飯まんじゅう」が大好評に。
蒸した餅米を塩と砂糖で味付けし、それをまんじゅうの皮で包み、仕上げに栗と小豆を乗せるオリジナル商品で、1994年には、第22回全国和菓子大博覧会で「技術優秀賞」い輝いたこともあるとのこと。
創業者さんは常々「めでたい赤飯を使って、老若男女がみんなで喜べる一品にしたい」と語っておられたと。
その創業者さんは、病気になり、一度は再起するも1998年5月10日に他界されました。
創業者さんは、連れあいである女将さんに対して、和菓子の作り方を覚えろ、店を継いでほしい、ということは一度も口にされなかったのですが
女将さんの中に、「夫が発展させた店を自分が守る」という夫との無言の約束の誓いがわきます。
■それから、13年の2011年3月、「まさか、ここまで津波が来るとは」
店で仕事をしていた時に地震が発生し、まもなく、津波を知らせる警報が市内に流れます。
次第に近所の人たちがお店に集まってきて、「ここまでは津波は来ないだろう」と思いながらも、みんなで高台にある学校へ避難。
日が暮れても避難所になった学校には何の情報も入って来ず、そのまま一夜を過ごすことになります。
そこで、避難してきた住民の空腹を満たすためにと、持参してきた数十個のまんじゅうを配り、「大丈夫だから、がんばろうね」と一人一人に声をかけていったと。
翌朝、店に戻ろうとすると、信じらない光景が目に入ります。
路上にはがれきや角材があふれ、足の踏み場が無いほど。
その中を店に急ぐと、調理器具は散乱、冷蔵庫や棚は壊れ、その上に暑い泥が覆いかぶさっていました。店舗の一階部分の1m50cmくらいの高さまで水がおそった痕跡があり、ご主人を亡きあとを妹さんと2人で作り上げた店がめちゃめちゃに。
ショックの中、3日目に被害の全容を知ることに、沿岸に近い家屋はほとんど流され
工場や倉庫も壊滅、愛する人を失った悲しみの叫びも数多く耳にし
「戦時中のよう」だったと。
石巻全体が大きな傷を負ったと感じ、やるせない気持ちで胸がしめつけられ、1人1人の安否を気遣い祈る日々。
女将さんには人生の師匠との出会いがあり、この時にそれを思い出して奮い立ったとも。
そんな時に、店舗の入り口をふと見上げた時に、「あまじん」という表看板が被害を受けずに残っていたことに気づきます。
「赤飯まんじゅう」と書かれたのぼりも泥の中から見つかりました。
夫が懸命に築き上げた努力の結晶、必ず再開してみせる、と決意をされます。
■心配して集まってきた孫たちから、本当に店を再開させる気か?と聞かれ
「この店はじいちゃんの形見。まんじゅうを求めるお客さんのためにも、もう一度お店を開きたいと思う」と語り、それを聞いた孫たちが、一階の泥かきをはじめました。
しかし、いっこうにはかどらず、次第に親戚や顧客も集まり、約一ヶ月後に泥かきと
がれきの撤去が終わります。
損傷がひどく、稼働しない機械もありつつ、菓子作りに欠かせない、ミキサーや冷蔵庫は正常に動きました。
これなら店を再開できると、創業者である夫の命日を再開の日と決め
その通り、震災発生から2日月後の5月10日に「甘陣本舗」さんは再開したとのことです。
「この味だよ」 「待ってたよ」というお客さんの声が響いたと。
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要談「石巻市」
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先週、岩手から宮城に入り、目的地として大川小学校を訪れました。
いつもと違うルートと思ったら、見慣れた場所に。
ブロ友さんの家まで見えて、連絡をとったら
なんと上品の郷でお昼とのことでした。
一度立ち寄って、大川小にお参りして、そして再び道の駅「上品の郷」へ。
そこにブロ友さんが、半年ぶりの再会。
ほんのわずかだったけど、わきあがる感情を抑えるので必死でした(笑)
上品の郷でご飯を食べるなら、せっかくだからとお薦めを聴いてみると
「サバだしラーメンが美味しいよ」と。
ということで、サバだしラーメンをいただきました。
実は、魚介系出汁のラーメンが苦手だったんですが
これはお世辞でも、気遣いでもなく
美味しかったんですよ。
個人の感想ですが、魚介系は甘くてラーメンにはなあ・・・という男でしたが
上品の郷のさばだしラーメン
さばがきちんと主張していて
それでいて しつこくなくて
なのに しっかりとしたうま味が効いている
さっぱりしたラーメンなのに、うま味が凝縮した
とても繊細なスープと、なめらかな麺がからみあって
本当に美味しゅうございました。
隣には、なぜか信州のお焼きが売っていて
一緒にいただきました。
これもお薦めです。
信州出身の方がなつかしんでおりました。
上品の郷のキャラ お郷ちゃんとともに。
お郷ちゃん ええ味だしてますね。
髪型がブロ友さんっぽい(笑)
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宮城県河北の長面(ながつら)で、6年ぶりに営農を再開した水田の稲刈りが行われた、との報道。
ここは、大震災発生後に、岡山県の支援を受けて、壊滅的な被害を受けた状態から
「ようやく実ってくれた」と地元の社長さんが語るほど、海水による塩害で
不可能と言われた水田復活を成し遂げたようです。
以下、転載
宮城県公式ウェブサイト
毎日新聞デジタル版
ようやくここは
秋の穂のなる
東北
二年前に放送された、「プレバト 俳句査定」で
俳優の渡辺えりさんが詠んだ一句。
二年前にも、当ブログで紹介させていただいて
この2年間、常に検索記事ランキングの上位に入り続けています。
「稲刈り」というお題と、刈った稲を稲架にかけ干す女性の写真を見て
津波の被害を受けた荒涼たる大地に、3年(当時)が経ってようやく稲穂が実った
東日本大震災で被災した東北沿岸部に想いをいたしたのでした。
句は五七五ではなく七七四の破調ですが、まったく違和感がなく、最後の「東北」とインパクトのある言葉を持ってきたことで、そのリズムが整い、でんと座った「東北」に全ての言葉のベクトルが集中して、時間と空間と風景が映像となって脳裏に湧きたちました。
言葉の美しさを求めるのではなく、渡辺さんの心情をそのまま映していて
「東北」の言葉にとても重みを感じます。 |
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強い風が吹いてました。
大津波と大火災によって、町が変わり果てたのですが
わたしたちのように、被災後しか知らない者にとっても
急に様相が変わり始めました。
一つの地区としては、被害が最も大きく、今も140名以上の方が行方不明のまま
県はどんどん盛り土を進めています。
しかしここで、一斉捜索が行われたのは、5年間で2度だけとも。
「がんばろう石巻」の看板が二代目に新装されましたが
ここに来る意味は、看板というより
その心が無いように見えるやり方で
土木工事を進めるようみえるやり方というものを、私たちは知っていかねばと思います。
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