|
石巻恵愛病院、発災後は孤立した病院ということで、報道された経緯がありましたが
昨年のNHK「あの日わたしは 証言記録」で語られた恵愛病院のお話は違うものでした。
ブログの記事としても紹介をさせていただいています。
このお話を伺い、そこに行って、祈りたい、心をそこに置いていきたい、そう思い
今回、行かせていただきました。
|
要談「石巻市」
[ リスト | 詳細 ]
|
がんばろう石巻の看板は、発災後に津波で流された設置者さん自身の店舗の土地に
立てられ、その後も維持してほしいという声に応えて
地元の方々への配慮の上に配慮を重ね、信頼してもらいながら設置を続けてきました。
※引用文章、写真は「がんばろう石巻の会」様より拝借
|

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用
|
イズ ヌー サン ス
ちょっと スンコキュウさ すっぺし
余裕のある方は こちらもどうそ
|
|
もう説明はいらないと思います、石巻日日新聞が5年前に「書いた」壁新聞
ジャーナリズムのなんたら、とか、使命感のなんたら、とか美談にされてましたが
壁新聞のことをジャーナリズムの使命感とかいう言葉で表現していただくのですが、そういう言葉は頭にありませんでした。自分の家族のことも頭にあり、みんな辛い思いをしていましたが、誰も口に出す人はいませんでした。ただ、地域に住む人間の一人(=ローカリスト)としての思いから、新聞の発行を行いました。 2013年1月神戸にて
|
東日本大震災で約4000人の死者・行方不明者を数える宮城県石巻市で、津波で被災した2つの小学校の旧校舎を震災遺構として保存するか否かをめぐり、住民たちや学校の関係者が意見を述べる公聴会が、13日に市の主催で開かれる。当時の校長や、学校管理下で子どもや妹を亡くした遺族や卒業生も意見発表の予定者に名を連ねる。それぞれの公聴会には亀山紘市長や市復興政策部長らも出席し、これまでに市や市教育委員会が市民や保護者たちから集めた意見も併せて検討し、市長が今年3月までに結論を出す予定だ。 住区域に指定され、現在集落に残る建物は無残な姿となった校舎だけだ。教室があった建物は外形をとどめているものの、床はめくれ、梁がむき出しになっている。体育館は流失、渡り廊下は根元からなぎ倒され、ねじ曲がったままの状態で置かれている。 ■2つの旧校舎の保存・解体に関する公聴会 |



