エクセルシア Season 12

大震災 原発災害 東北を忘れない

要談「石巻市」

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石巻発「ぷちにゃ」 らなるご支援をお願いいたします。
津波が来る1週間前ほどに作ったお店は、津波の被害をまともに受けてしまいました。
そのローンは残ってます。
そのなかで、ぷちにゃさんは、同じように家族や家や職場を失った人のために、自分の再建は後回しに頑張ってます。
今回のready forも、ぷちにゃさん個人の再建には使われません。
是非、期間が終わるまでの継続的ご支援を。


イメージ 1

企画製造すべて宮城県石巻発のエシカル商品
Puchinya(ぷちにゃ)という「猫のグッズ」の新製品を開発!

こんにちは。宮城県の石巻で、Puchinya(ぷちにゃ)という「猫のグッズ」を製作している木村眞由美と申します。Puchinyaは、東日本大震災直後にできました。製品のほとんどを占めるのが、大きく被災した石巻のウェットスーツのメーカーの端材を利用した、猫グッズです。私自身も、友人・知人も被災し、2重ローンになったりしながら、4年余り。石巻で、ひたすら未来に希望を託しながら、新しい商品を企画、製作してきました。今まで、まったく支援をうけておらず、自力でやってきました。
 
震災後に誕生した「メイドイン石巻」のブランドを、もっとたくさんの人に手にとってもらうために・・・50万円があれば、新商品開発のための生地や型の製作に着手できます。どうか、皆さまのお力をお借りできないでしょうか。

石巻で、建てたばかりのお店(ショットバー)を、津波で流された、一人の女性のお話です。
「ぷちにゃさん」としておきましょう。
石巻には、日本で最大のウェットスーツメーカーがありました。
津波で壊滅的な被害を受けました。
泥だらけのウェットスーツの生地や端切れが残りました。
ぷににゃさんは、その姿を見て、自分も被災されているのですが、その端切れを利用して、ネコ(ウェットスーツの端切れは、ネコの肉球の触感です)をモチーフにした、コインケースとかの雑貨を作ろう、
そして、それを、家族や家や、仕事を失った仮設住宅の女性に作ってもらおうと考えました。仕事づくりです。
ご覧のようにとてもかわいい製品です、「被災地の人が作ったかわいい製品」に選ばれたこともあり、東日本大震災を扱ったベストセラー小説『共震』のモチーフにもなっています。
材料は、壊滅的打撃を受けた石巻のウエットスーツの端切れ、
縫製は仮設住宅の女性たち。
From Ishinomaki のロゴと、
びくびく体を小さくしているネコが、
思いっきり体を延ばして、
ジャンプしています。
なにしろ、建てたばかりのショットバーを津波でやられ、ローンだけが残ったのです。
だから、今回、クラウド・ファンディングをすることになりました。
ぜひ、応援してください。
https://readyfor.jp/projects/PUCHINYA
また、クラウドフアンディングされて、
さらに、ぜひ、みなさん、購入してください。
なにせ、仮設住宅のお母さんたちが作ってるので、出来る数が限られていて、売り切れとかなってても、「バンバン売れている」わけではありません。
「売り切れ」になっていても、また、「一つ」「二つ」づつでてきます。
洗えますし、とにかく、質が高いものなのです。
プレゼントにも最適です。
http://puchinya.shop-pro.jp
石巻で、建てたばかりのお店(ショットバー)を、津波で流された、一人の女性のお話です。
仮に、「ぷちにゃさん」としておきましょう。
石巻には、日本で最大のウェットスーツメーカーがありました。
津波で壊滅的な被害を受けました。
泥だらけのウェットスーツの生地や端切れが残りました。
ぷににゃさんは、その姿を見て、自分も被災されているのですが、その端切れを利用して、ネコ(ウェットスーツの端切れは、ネコの肉球の触感です)をモチーフにした、コインケースとかの雑貨を作ろう、
そして、それを、家族や家や、仕事を失った仮設住宅の女性に作ってもらおうと考えました。仕事づくりです。
ご覧のようにとてもかわいい製品です、「被災地の人が作ったかわいい製品」に選ばれたこともあり、東日本大震災を扱ったベストセラー小説『共震』のモチーフにもなっています。
材料は、壊滅的打撃を受けた石巻のウエットスーツの端切れ、
縫製は仮設住宅の女性たち。
From Ishinomaki のロゴと、
びくびく体を小さくしているネコが、
思いっきり体を延ばして、
ジャンプしています。
ぜひ、みなさん、購入してください。
なにせ、仮設住宅のお母さんたちが作ってるので、出来る数が限られていて、売り切れとかなってても、「バンバン売れている」わけではありません。
「売り切れ」になっていても、また、「一つ」「二つ」づつでてきます。
洗えますし、とにかく、質が高いものなのです。
プレゼントにも最適です。




大阪では、生野区田島(大池商店街)にある、「ハピネスライフカフェ」で一部商品を取り扱っております(直営店ではありません)。
問い合わせは当ブログまで。



毎月販売させていただている「石巻ぷちにゃ」
その製造元の工場がブログ友だちさんともご縁があることを知りましたが
その「ボビーディック」さん。国内屈指の技術を誇ろる髄一のウエットスーツメーカーが
さまざまなご苦労を積み重ねて、アメリカ進出に再チャレンジとのこと。
この会社のハギレから作られた「ぷちにゃ」も手にとった方が、その感触の虜になります。


マリンスポーツに欠かせないウェットスーツ製造で国内トップの「モビーディック」(石巻市鹿又)が、今夏にも米国進出に再挑戦する。大きな打撃を受けた東日本大震災からの復活。保田守社長(64)は「被災地の底力を見せたい」という。

 4年前の震災では、沿岸の倉庫と協力会社2社の工場が津波にのまれた。倉庫に残った商品も泥まみれになり、工場の裏にあった保田社長の自宅も流された。生産能力は半減したが、残った本社工場に被災した協力会社の従業員も入れ、1カ月後に再開した。

 ウェットスーツの生地の接着や縫製はほぼ手作業で、職人が一人前になるのに5年以上かかる。「赤字覚悟だったが、熟練の技術を守ることを優先した」と保田社長は話す。

 震災直後は、海上保安庁や自衛隊からの注文が増えた。不明者の捜索や海中のがれき処理のためだ。従業員は残業を重ね、納期を守った。本社の隣に新工場を建て、生産体制が戻ったのは震災から1年半後。今では国内シェア3割になるまで回復した。

 保田社長の父親が1963年に創業。初めは三陸の漁師向けのウェットスーツをつくっていた。ダイビングやサーフィンが流行し始めた80年代にレジャー用に参入。色鮮やかなデザインに加え、骨格や皮膚の伸縮まで計算した機能性がうけ、業界最大手に成長した。95年には米国で営業を始めたが売り上げが伸びず、いったん撤退。震災に見舞われたのは、米国での販売を改めて計画していた矢先だった。

 海外にうって出るのは、少子化による国内市場の縮小が背景にある。業界団体によると、関連市場はピークの00年の6割ほど。販路を開拓しないと生き残れない、という。

 米国で主に売り出すのは、内部に水が入らないドライスーツで、より高い技術が求められる。蒸気だけを通し、水をはじく独自素材を昨年開発。わきの下から背中にかけて着脱用のチャックをつけ、動きやすい構造にした。

 現地法人の登記をすませ、米西海岸で拠点選びを急ぐ。3年後には、海外向けの売り上げを全体の5%から20%に増やす計画だ。「着てもらえれば快適さがわかるはず。技術の高さを石巻から発信したい」と、保田社長は力を込めた。(木村聡史)

 昨日に飛び込んできた、キューバとアメリカの国交正常化交渉へ、というニュース。
キューバといえば、カストロ、チェ・ゲバラや、野球、高度で充実した医療で有名ですが、90年代から文化、教育、平和外交に取り組んでおり、日本と交易も続いています。
90年代半ばには、日本の平和運動家と会見する折に、カストロ議長は、シンボルとも言える軍服を着ないで、スーツの正装で迎えたということもありました。
でも、日本人にはなかなか馴染みが薄い、教科書で習う国、遠くて遠い国というイメージの人も多いかも。

●そんなキューバと日本との交流の一番最初は、今からちょうど400年前で
あの慶長遣欧使節団でした。
もちろんキューバが目的地では無かったのですが、ご存知サン・ファン・バウティスタ号は1613年10月、石巻・牡鹿半島月ノ浦を出発し、艱難辛苦の末に太平洋10000kmを渡りメキシコのアカプルコに到着。
ソテロ宣教師と支倉常長ら一行は、バウティスタ号を下船ししばらく滞在、スペイン艦隊の船に乗り込みアカプルコを出発。

そして1614年7月ハバナに寄港し、2週間ほど滞在した後、スペイン本土(当時)に向かっています。
400年近くを経て
2001年には仙台育英学園がハバナに、支倉常長の像を寄贈建立しており、400年目の今年に記念の行事が催されていました。

慶長遣欧使節団の派遣には、慶長地震大津波が関係しているというのが、最近の研究。
駿府記で文献上はじめて「津波」という言葉が出てきていますが、慶長の大津波で三陸沿岸が被害を受けたことが、伊達政宗が使節団を派遣しようと思う要因の一つであるとすると、駿府記などの文献がすべて裏付けられていくと。

大震災からの復興のために米の増産をはかるために、新田開発に力を注いだ政宗は、北上川河口の石巻村に着目。
将来の物流の拠点となるよう、港を築く工事を始めます。
そして、震災のわずか2年後に、いちはやく実行に移したのが、慶長遣欧使節団でした。
なぜ、スペインに派遣しようとしたのか。
政宗は、慶長の震災復興の大きな柱として、
またいつかまた来るであろう、震災や災害が起きた時のための備えとして
当時の世界一の大国スペイン(南蛮国)の植民地メキシコと交易で得た富を
被災地の復興に、人々の希望に変えようと
港建設や使節団の早期派遣などからも本気で考えていたと推察される
と、2011年の大震災を経験したことで、研究者たちの間で政宗の言葉や行動の解釈ができるようになってきたようです。
ただ、当時にしたら、前代未聞の大事業だったと思いますが

「曇りなき 心の月を 先だてて 浮世の闇を照らしてぞ 行く」
南蛮のことも 夢のまた夢 
結局スペインとの交渉は失敗し、7年後に支倉常長は帰国
しかし、石巻の漁港は新田開発で増産された米が江戸へ運ばれ
豊かな富をもたらし、石巻を一つの拠点に仙台藩は復興を果たしていきます。





石巻市の市議会で公表されました。

石巻市に限った問題ではないけども、市税収入が激減していると。
国も復旧復興からぼちぼちと手を引いていて、市が行わねばならないことが
大きくなっています。
現在の石巻市の問題は、合併前の石巻市(中心部)と旧郡部との格差の大きさ。
雄勝病院の悲劇に象徴されるように、平成の大合併と規制緩和、マクロ経済一辺倒による予算削減で人命が軽視されたことが、今後の市政運用に教訓として生かされればよいのですが。
すでに、港の復旧には中心部と雄勝だけも100対5の格差。
雄勝町が独立した町のままなら、ここまでではなかったでしょうに。
雄勝以外の旧町も同じでしょうね。
長面の電気復旧が昨年だったことも記憶に新しいです。





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