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福島県南相馬市小高区
事件を起こした原発から20km圏内という円状の立ち入り区域が見直され
大地震、大津波の被害から1年以上が経過した、2012年4月16日に解除され
日中の立ち入りが自由になりました。
そして、岩手や宮城や茨城で2011年に行われた、ガレキ撤去の作業が、1年以上経てから始められるようになりましたが、発災4年半を過ぎた今も、ボランティアが必要な状況が続いています。
来年の帰還に向けても、ニーズは増加しています。
動機はなんでもよいから、石ころ一つ動かすだけでも復興に繋がります
とは、センター長。
その南相馬市にボランティアを募集するチラシ、ポスターを
コンビニで簡単にコピー出力ができます。
賛同いただける方は、是非とも! コピーの期限は26日までです。
【※切実なお願い:南相馬にボランティアを! チラシ拡散のお願い!】 |
要談「南相馬市」
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南相馬・小高にアンテナショップ 人、情報集う拠点に 小林友子さんが開店全域が東京電力福島第一原発事故に伴う避難区域になっている南相馬市小高区のJR小高駅前に31日、同区にゆかりの商品を販売するアンテナショップ「希来(きら)」が開店した。オーナーの小林友子さん(62)=同市原町区に避難中=は「小高を発信する拠点にしたい」と意気込む。放射脳の汚染に負けずに 一歩一歩着実に |
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南相馬市小高(おだか)にある、ボランティアセンターが、市社会福祉協議会から借り受けている建物、小高区社会福祉協議会館を、来年度末までに明け渡しを通告されているとのこと。
会館を特定の団体に長期に貸し出すのは好ましくないからと。 ボランティアのニーズはまだまだあり、 ボランティアの宿泊施設が閉鎖され それだけでも大打撃でしたが 小高は復興どころか津波被害の復旧半ば 、本当に厳しい状況。 |
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大津波の襲来と東電の原発事故から1200日が過ぎ
警戒区域の見直しで解除になって2年2ヶ月
小高の沿岸部はいまだに復旧作業の途上です。
放射能汚染を警戒してボランティアに来る人が元々少ない地域ですが
公共交通手段が断ち切られたままで、宿泊できる場所も限られ
ボランティアにとって、手作りの宿泊所「グリーンパーク」があったおかげで
大勢でほぼ無料に近い値段で泊ることができました。
復興に不可欠な除染作業が進むと、取り除いた土壌の置き場所が必要であり
グリーンパーク周辺は確かに場所としては良いかもしれませんが
それによってボランティアの宿泊できる場所が無くなり
小高に訪れる人は激減してしまいました。
これが原発事故なんですね。
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【東京新聞WEBの本文転載】写真は自前
東日本大震災で多くの津波被害を出した福島県南相馬市に、首都圏などからボランティアに来た人たちが数多く住み着いている。津波に加えて原発事故にも苦しんできた、今では「第二の故郷」となった南相馬のため、個性派ぞろいの「よそもの軍団」が奮闘している。 (谷悠己) 「移住者たちのゆるゆるいくよ〜」。南相馬市の臨時災害ラジオ局にこんな名前の人気番組がある。東京都東村山市から来た武藤与志則(よしのり)さん(51)と琴美さん(53)夫妻が二週間に一度、司会を務め、市内の移住者を招いてあれこれ語り合う。 劇団俳優の武藤さんが南相馬入りしたのは震災の一カ月後。津波で県内最多の死者を出しながら、福島第一原発に近いため物資やボランティアが滞った状況を「兵糧攻め」と訴えた桜井勝延市長のインターネット投稿動画を見たのがきっかけだった。 避難所の子どもへの読み聞かせなどで活動していた武藤さんに、「通うのが大変なら住んじゃえば?」と提案したのは琴美さん。武藤さんは仮設ホテルの夜間職員として住み込みで働くことに。ラジオ出演の他、ご当地ヒーローのDVDで内部被ばく予防を呼びかける「ひげの博士」役も務め、街中で声を掛けられる人気者となった。 「ゆるゆるいくよ〜」に出演する常連が、埼玉県春日部市出身で元トラック運転手の戸田光司さん(42)。ボランティアと市民をつなぐ活動拠点「みんな未来センター」を開設し、イベント立案に奔走している。 「震災前の自分はくすぶっていたけど、自分がやったことで多くの人が喜んでくれる感覚に目覚めた」。昨年脳梗塞で倒れたが、「南相馬へ戻る」と半年余りで復帰。埼玉県の入院先へは、五十人近い南相馬市民が見舞いに来てくれた。 移住者たちは、パンダの着ぐるみで子どもと触れ合うジャズピアニスト、除染作業員になった元音楽プロデューサーら、経歴も活動も多彩だ。 その中で、ヨガ講座や放射能で汚染された農地に花を植える活動を続け、「ヨガじい」の名で親しまれた島根県出身の山城賢治さん(65)は二月の大雪で、住んでいたビニールハウスの中で雪に押しつぶされて死亡した。ボランティア仲間が主催したお別れ会では、地元市民も受け付けなどを手伝ってくれた。 「よそもの軍団」が移住を決めた理由で共通するのが、南相馬市民の温かさ。交流会で使用した公園の掃除を近隣住民が買って出てくれたり、ボランティアの会議に夜食を差し入れてくれたり。武藤さんは「放射能と向き合いながら暮らす彼らにできるだけ長く寄り添っていきたい」と話す。 とても共感しますし、本物だなあと思いました。ゆるゆるいくって姿勢も共感。 周りの無理解などもあったでしょうけど、そこに暮らす人、そこに生きるしかない方々の顔が見える支援。 たぶん支援なんて言葉も使われないでしょうね。伴走してはる方々。仲間に入りたい。邪魔でしょうけど。 |



