エクセルシア Season 12

大震災 原発災害 東北を忘れない

要談「南相馬市」

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今回は大学生をはじめ20代の方が多く占め、岡山県、広島県からわざわざ大阪に来て、それから参加された方
京都弁をしゃべらはるアメリカご出身の女性、さらには、福岡県からも、一度大阪の集合場所に来て一緒にバスに乗って参加された若者が二人。
本当に頭がさがります。

その半数がボランティアは初めての方々、その参加にいたる経緯では
周囲の無理解の中参加した人、逆に関東の人から大阪は無関心が過ぎるのではないか
と言われた人、
ずっと何かしたいと思い続けて、FBで東北の事を発信される友達の姿に決心した人、
ボランティアをやってみたい、被災した地域に実際に足を運びたい
自分に何ができるのか
その他、参加者の同じ数だけの動機があり、それに模範解答は無いと思います。

育った環境も、住んでる場所も違う、それまで見ず知らずの人達が、
いわば見ず知らずの人のために、一所懸命になって汗を流している姿が
なにより印象的だった、それを子供たちに伝えたい
と語る、教育者をめざす実直な青年の言葉が全てのような気がします。

でも、ボランティアの主役はどこまでも、被災された方。
すべての作業が終わった時に、誰からかお礼を言われる訳でもないけど
みんなそんなことを望んで来ているわけもなく、被災された方のことを思っておられました。
「俺たちはやったあ!」という自己満足の人はいませんでした。
そして、「楽しかった」という感想が多かったのも、良かったと感じました。
一緒に参加させていただいて、多くのことを学ばせていただきました。

復旧、復興が進んでいないと、自分もよく嘆き節を書いてしまいますが
こうした活動で、たとえ微力でも確実に復興へ一歩前進しています。
さらに持続的な支援が必要なので、こうしたこと書かせてもらってます。
 
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南相馬 1年半

東日本大震災が発生し、東京電力の原子力発電所で
建屋の最初の爆発事故から1年半。
福島県南相馬市へのボランティアバスに参加させていただいた時は
ちょうど、発災から555日でした。

前回と同じ小高区(おだかく)の、村上海岸近く

そして今回の作業は、側溝の “土” 出し。
約300mの私道の両脇の側溝に、津波で運ばれた土をかき出すのですが
今まで、側溝の作業といえば「泥出し」と表現してきました。
しかし、今回は泥とは言えない状態で、親指と中指で環を作ったほどの
大きさの石が沢山詰まったその土は、スコップではなかなか崩れないほどの堅さで、
掘り起こすのに大きな労力が必要なほどでした。
そこにも、この1年半という時の経過を感じました。

津波で被災した地域には、夏草が生い茂り、その合間に見られる
車や津波の残存物で、そこが被災した場所であることを認識するほどの
南相馬の現状があります。
地域によっては、広い範囲に海水が今年の春まで溜まったままで
田畑は塩分によって使えなくなり、夏草さえ生えない状態や、

窓もカーテンも閉め切られた家々が建ち並び、その町には誰も人がいません。

走らなくなった常磐線の線路にも、雑草が生い茂って、線路を隠していました。

 
心が痛む光景です。

作業二日目に、休憩をしていると、一階が津波の被害を受けている家屋の前に
二台の車が停まりました。
ネクタイにカバンを持った人と、おそらく家の持ち主とご家族であろう
方々が車から数人降りて、家の様子や中を見て話をされていました。

茨城県、宮城県や岩手県など他県の被災された地域も、まだまだこれからですが
福島県沿岸は、さらにこれからです。
風化が叫ばれるのには、あまりにも早すぎます。

 
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災害ボランティアで、三週間ぶりに、南相馬市に来ました。

前回の作業場所とほど近い所です。
社会人向けの日程でしたが、大半が大学生で、私が、まさかの最年長ということが発覚

夜は暑気払いも企画と

南相馬の今 ― 4

2012年8月の福島県南相馬市小高(おだか)区
旧警戒区域
 
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ボランティアバスの中からの撮影 中央の縦に走ってるのは、常磐線の線路なんです。雑草で分かりません。
 
 
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原町区 原町火力発電所横の海岸
 
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小高区内 1年半手つかずのため、津波被害を受けた場所に津波残存物が残ってますが
雑草が生い茂り、一見被災したとは思わない風景になっています。
 
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小高区 ボランティア作業場所付近から海を望む 浪江町方向

南相馬の今 ― 3

南相馬市 小高区の活動場所は、
テニスコートほどの敷地に、広い庭があり太平洋を望む高台に建てられた、一軒のお宅。

高校生から70歳までの男女45人で、二日間、作業にあたりました。


電動草刈り機での雑草除去、瓦礫の分別、不要な物と再利用する物の分別
津波をかぶった倉庫の整理など。
津波に流された車や、破壊された家屋に囲まれながらの作業は
昨年を思い出します。
まさに、昨年の春、夏に岩手で行った作業でした。
福島沿岸は、これからなんです。

いわゆる瓦礫だからと、なんでもかんでも一緒にかき出して、
土袋に詰め込むのでなく、
ガラス、大小の木材、プラスチック、ゴム、土、枝、陶器、金属、瓦・・・すべて分別して、大小の土嚢に詰めていきました。
ボラセンからの指示ではないのですが
それは、被災者の二度手間を無くすためであり、ボランティアを自己満足にしない為でした。

倉庫には業務用の大型冷蔵庫が二台、大人8人で持ち上げるほどの重さ。
冷凍食品や冷凍の餌が入っていて、蓋が開いてしまい、1年半の歳月を思わせる
匂いが広がりましたが、誰一人不快な顔をしませんでした。

広い庭は土で覆われており、庭だから違和感が無いと思っていたら
その半分は車を停めるためにコンクリートとのこと。
津波によって庭一面が土で覆われたと家主さんは話します。

ボランティアとして、3月11日の状態にして
作業を終える事が大事とのことから
その土もすべて取り除きました。
これもボラセンの指示に無かったことです。

この間、本来ここに住んで、生活されるべき家主さんが
冷たい麦茶や、ペットボトルの飲み物や
手洗い用の水を、キンキンに冷やして差し入れをしてくださいました。
本来、甘えてはならない所でしょうが、各自持参した飲み水などはぬるくなってるので、本当にありがたく、また至極美味しいんです。

家主のご家族は、現在、別の県に住まわれ、もともと漁師さんでしたが
今は別のお仕事とのこと。
「仕事しないと、生活しでいげねえがんな」
「まだ、ここへ戻って漁師をしたい」と、しみじみ語っておられました。

「1年半経って、やっと家の整理が出来ました。ありがとうございます。
これがら、また、がんばっていきます」
と、緊張した面持ちで言葉少なに語られました。

私が「また来ますね」と言うと、ニコッと笑って
「ここを別荘と思って、いづでも来てください」とご主人。

最後は全員に手を振り続けて、見送ってくださいましたが
すこし寂しそうな表情にも感じました。

 
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左に見える瓦屋根の家は、撮影した場所より後方から、
津波によってこの場所に流されたとのこと。
津波は海の方向からだけでなく、道を登って海の反対側からも襲ってきたと。
 
 
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