エクセルシア Season 12

大震災 原発災害 東北を忘れない

要談「石巻市 雄勝町」

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宮城県の異常なまでの、防潮堤推し・・・
宮城がすすめてきた選択と集中が、復興を遅くしているのではないか。
岩手は、共同、連帯で漁港の復興をやってきました。
これからはローカルとサードウェーブ


出典 朝日新聞さま
いったい何を守るためなのか。

 硯(すずり)の生産やホタテ養殖で知られた宮城県石巻市雄勝(おがつ)町。津波で壊滅した町中心部にいま、130億円をかけて高さ9・7メートル、延長3・5キロの防潮堤を築く計画が進む。津波をかぶったまちの跡は、災害危険区域に指定され、もう人は住まない。高台の集団移転地が完成し、町外で仮住まいを続ける人が戻っても、中心部に住むのは震災前の620世帯から約80世帯にまで減る。
更地にぽつんと立つ仮設商店街の一室で昨年12月25日、防潮堤計画をめぐり、宮城県と「持続可能な雄勝をつくる住民の会」の話し合いが持たれた。「景観を破壊する」と建設に反対する住民。道路や再建された水産加工場など、保全すべき施設があると主張する県。平行線が続いた。

 「海と陸が切り離された雄勝では、観光客も呼べない。10年以内に町は衰退する」。硯職人の3代目、高橋頼雄さん(48)は語気を強める。自宅を流されながら、この5年近く、町のホタテ祭りなどを引っ張ってきた。「何とかこの地で皆でやっていけないかと、考えてきたんです」

 県の担当者は「まちづくりの様々な会合で説明し、住民合意はなされたと判断した」という。だが決議などをとったわけではない。住民の会事務局の徳水博志さん(62)は「いま一度、地域住民を集めて採決すべきだ」と反論した。

 地元の市役所も、壁のような防潮堤を望んだわけではなかった。

 石巻市雄勝総合支所は震災の年、住民団体の議論もふまえ、海沿いを走る県道や国道を20メートルの高さまで移し、道沿いに山をきりひらいて住宅地をつくる復興案をまとめた。それなら防潮堤は、もとの4メートル程度に復旧すればいい。

 ところが県は、数十年から百数十年に一度の津波に対応する「L(レベル)1」の高さにこだわった。「道路移転は必要ない。費用もかかる」との考えが示され、9・7メートルの計画が動きだしたという。「防潮堤の上げ下げを議論していても、まちづくりは進まない。のまざるを得なかった」と三浦裕総合支所長は振り返る。

 県は2018年春の防潮堤完成を目標に、年度内の着工をめざす。工事が始まれば、硯職人の高橋さんは雄勝を離れるつもりだ。




宮城県雄勝半島 船越地区に建設中だった復興造船所がこのほど完成したとの報道がありました。
これは、雄勝町にある遠山工業と、シミズモータースの2社が設立した新会社
「マリン遠山合同会社」がホタテや銀鮭などの養殖業の盛んな雄勝に、新しい工場を建設することとなり、今年の1月に着工されたもの。
津波の被害を受けた二社は、2011年からそれぞれの異なる得意分野を活かして
地元の漁船の修理などを請け負い、新工場の建設を目指してきました。
国の補助を受けて、海のそばなので、錆びないように木材を使用した新工場が完成。
集落復興の起爆剤にと意気込んでおられる。

船越には、今年chiさんとアニキと、久しぶりにおじゃましました。
その時に写した、新工場とその周辺の写真です。
船越湾の風景が大好きです。

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東日本大震災で被災した石巻市の造船会社2社が、国などの補助金を受けて共同で建設を進めてきた工場が完成し、落成式が行われました。
完成した工場は、震災で工場が被災した石巻市雄勝町の造船会社2社が共同で建設を進めてきたものです。
落成式で、工場の代表を務める三浦順さんは、「皆さんの支援を受けて、これからも造船会社として仕事ができることに喜びを感じています」とあいさつしました。
このあと、出席者が鏡開きをして工場の完成を祝いました。
新しい工場は、隣接する事務所を含め、300平方メートルの大きさで、国や石巻市からの補助金を受けておよそ1億8000万円かけて建設されました。
沿岸部に建てられていることから内部はさびやすい鉄骨ではなく木材を使っているのが特徴です。
工場を建設した2社は、これまで仮設の工場で、営業を続けてきましたが、今後は共同で、船の修理などに新たな工場を利用していくということです。
石巻市内では、このほか、造船会社で作る3つのグループが、それぞれ同じ補助金を利用して、工場などを建設する準備を進めているということです。

ブロ友さんが、かつて撮影された船越の写真をお借りして、船越の今と大震災前を見てみます。

2011年3月11日に船越地区に襲来した大津波は、16mとも17mとも、場所によっては20mを超えていたとも。
地震が発生し、写真の神社まで高齢の方を含む10名以上が登りましたが
想像以上の大津波が見え「ここもあぶねえぞ」とさらにかけあがりました。
やがて山の下は「ガレキ」だらけになり、身動きが取れず、ほこらの中で震えながら救援を待ってました。
その時、反対側の高台では、若い人たちが声をかけ、物資を届けることを志願し、5人で一本の綱を持って列をなして山の尾根沿いにほこらを目指しました。ロウソクの火だけを頼りにして。

震災直後、毎朝、浜を歩いた。誰かのご遺体があがらないか、ご住職があがらないか、本家のおばあさんがあがらないか、誰かの大切なアルバムや位牌があがらないか、浜を歩いた。
ガレキだらけの時は、浜に出るまでが大変だった。釘を踏み抜いて足に大けがを負ったが、それでも歩き探し続け、今でも日課になっている。

半壊状態の家につばめがやってきた。こんな何にもねぐなった家に、つばめは帰ってきてくれた。
つばめのために、窓を開け放ち、子育てを見守った。

船越の方々の証言から。





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ブロ友さんと大川小学校にお参りに行かせていただき
今までと違う感覚の中、なぜか立ち去るのが惜しい気持ちでしたが
次に雄勝に向いました。雄勝は2年ぶり。
雄勝町中心部から、半島をクネクネと・・・前を走るダンプには「船越」の文字。
このダンプに着いていけば船越に着くと思ったら、途中であらぬ方向に・・・
表示板の方向に車を走らせると、すぐそこは天王山でした。

2年前は船越小学校も残ってましたが、小学校も解体され、集落も盛り土で他の被災地域と同じ景色に。
この船越湾の海の景色が好きなんです。


この奥に船越小学校がありましたが、そこまで津波が到達
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竜泉院様は仮本堂のまま
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ふなごす

雄勝の船越です。
船越小も無くなり 盛り土だらけに

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