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宮城県の異常なまでの、防潮堤推し・・・
宮城がすすめてきた選択と集中が、復興を遅くしているのではないか。
岩手は、共同、連帯で漁港の復興をやってきました。
これからはローカルとサードウェーブ
出典 朝日新聞さま
いったい何を守るためなのか。 |
要談「石巻市 雄勝町」
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宮城県雄勝半島 船越地区に建設中だった復興造船所がこのほど完成したとの報道がありました。
これは、雄勝町にある遠山工業と、シミズモータースの2社が設立した新会社
「マリン遠山合同会社」がホタテや銀鮭などの養殖業の盛んな雄勝に、新しい工場を建設することとなり、今年の1月に着工されたもの。
津波の被害を受けた二社は、2011年からそれぞれの異なる得意分野を活かして
地元の漁船の修理などを請け負い、新工場の建設を目指してきました。
国の補助を受けて、海のそばなので、錆びないように木材を使用した新工場が完成。
集落復興の起爆剤にと意気込んでおられる。
船越には、今年chiさんとアニキと、久しぶりにおじゃましました。
その時に写した、新工場とその周辺の写真です。
船越湾の風景が大好きです。
東日本大震災で被災した石巻市の造船会社2社が、国などの補助金を受けて共同で建設を進めてきた工場が完成し、落成式が行われました。 |
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ブロ友さんが、かつて撮影された船越の写真をお借りして、船越の今と大震災前を見てみます。
2011年3月11日に船越地区に襲来した大津波は、16mとも17mとも、場所によっては20mを超えていたとも。
地震が発生し、写真の神社まで高齢の方を含む10名以上が登りましたが
想像以上の大津波が見え「ここもあぶねえぞ」とさらにかけあがりました。
やがて山の下は「ガレキ」だらけになり、身動きが取れず、ほこらの中で震えながら救援を待ってました。
その時、反対側の高台では、若い人たちが声をかけ、物資を届けることを志願し、5人で一本の綱を持って列をなして山の尾根沿いにほこらを目指しました。ロウソクの火だけを頼りにして。
震災直後、毎朝、浜を歩いた。誰かのご遺体があがらないか、ご住職があがらないか、本家のおばあさんがあがらないか、誰かの大切なアルバムや位牌があがらないか、浜を歩いた。
ガレキだらけの時は、浜に出るまでが大変だった。釘を踏み抜いて足に大けがを負ったが、それでも歩き探し続け、今でも日課になっている。
半壊状態の家につばめがやってきた。こんな何にもねぐなった家に、つばめは帰ってきてくれた。
つばめのために、窓を開け放ち、子育てを見守った。
船越の方々の証言から。
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ブロ友さんと大川小学校にお参りに行かせていただき
今までと違う感覚の中、なぜか立ち去るのが惜しい気持ちでしたが
次に雄勝に向いました。雄勝は2年ぶり。
雄勝町中心部から、半島をクネクネと・・・前を走るダンプには「船越」の文字。
このダンプに着いていけば船越に着くと思ったら、途中であらぬ方向に・・・
表示板の方向に車を走らせると、すぐそこは天王山でした。
2年前は船越小学校も残ってましたが、小学校も解体され、集落も盛り土で他の被災地域と同じ景色に。
この船越湾の海の景色が好きなんです。
この奥に船越小学校がありましたが、そこまで津波が到達
竜泉院様は仮本堂のまま
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雄勝の船越です。
船越小も無くなり 盛り土だらけに |



