エクセルシア Season 12

大震災 原発災害 東北を忘れない

要談「石巻市 雄勝町」

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「カツどん」好きの、「ふなごすのおっ父ぅ」が今休み中なので、代わりにと言えば僭越ですが
船越のことを。
 
船越を伝えるブログで、船越小学校の解体の様子が紹介されていました。
船越で発災直後から奮闘している、地元漁師のNさんは寂しい心の内を
学校が少しずつ姿を変えてきて、校庭側から浜の方が見えてきました。
時計の針は止まったままなのに!!」
と綴ってます。
船小は創立以来139年の歴史に幕を下ろし、旧雄勝(おがつ)小学校と統合されて
新雄勝小学校として、内陸へ移設されこの4月に開校されました。
母校が失われることの寂しさ、心の原風景の一部が無くなることの虚しさはいかばかりでしょう。
日本では毎年、400校の公立学校が廃校になってるとのデータもあります。
雄勝もまた、人口流出が著しく4分の1に、さらに船越地区は避難者の帰省表明は31世帯。
こうした集落が東北太平洋沿岸部に、いくつもあります。
少子高齢社会、人口流出、一極化、独居世帯増加など
日本全体が抱える問題を、災害被災地は早く表面化してしまいます。
 
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発災直後と半年後
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雄勝病院をはじめ歌津・志津川・北上など、東日本大震災の一つの象徴というべき悲劇が
あまり知られていないことも課題です。
先日、南三陸町では、志津川病院の屋上に避難した人が
「津波でベッドにつかまったまま、流されていく人を見て、何もできなかった・・・」
と壮絶なお話も伺いました。
東日本大震災であったこと、起こったこと
今起こっていること、それらを知ること、関わることは
被災していない地域に住む私たちの町で、起こっていること
これから起こることを、知ることになると痛感しています。
決して、自然災害のことでなく、日本社会が抱えている問題です。
 
東日本大震災の発生から2年2カ月
当日の津波の映像を、あらためて動画サイトや録画番組で見ました。
あの日の、東北太平洋沿岸部の人々の
叫び声、悲鳴、絶望感、声にならない声・・・
思い出して辛くなったり、負担になる方でなければ
もう一度見て、何があったのか、悲劇性を刻むことも
今必要な時なのかもしれません。
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辰濃哲郎さんは、同じ出版社の、コーメディカル関係者たちが、震災直後にどのように動いたかについての、
ルポが、とても、目配りが効いていました。ただ、その主題の性質から、あれもこれも書かねばならないということなので、総花的ではありました。

でも、現場から離れたところでは、分からない動きが、はっきりと見えた、いいルポでした。

その辰濃さんが、とうとう、「雄勝病院」に取り組まれた。

入院患者、医師・看護師全員死亡という、今回の最大の悲劇の1つでありながら、
生き残った人(数人の職員)が極めて少なく、
しかも、それが職員(公用で、外にいた事務職員など)であったということで、
生き残ったかたがたが、「患者を助けることができなかった」そして「同僚の死」という、
思い罪責感のただなかに、いるからです。

しかも、この病院の患者のほとんどが歩くこともままならない、
高齢者でした。

それは何故か。

市立の病院が、何故、高齢者専用の入院施設となっていたのか。

もちろん、そこには、小泉ー竹中改革が主な原因としてあるわけです。

しかし、そういうことが、社会で共有されていない。

小泉構造改革が、東北にどんなダメージを与えたのかということが、
共有されていない。

そんな多重の壁に覆われて、震災最大の悲劇の1つ、
石巻市立雄勝病院の真実は、
知られずにありました。

ほんとは、一番、社会が知るべきものが、もっとも知られないでいることの矛盾。

世界に貢献した雄勝

雄勝(おがつ)と聞けば、「雄勝石」 「漁港」などが浮かびますが
その名を冠した「雄勝石」は世界規模で有名です。
 
大変きめ細かい硬質粘板岩を産し、日本で使われる硯の90%以上が雄勝石。
経年変化に耐え
東京駅の屋根のスレートも雄勝石が使われていますが
明治、大正の洋風建築の屋根を葺いたのも、雄勝のスレートでした。
雄勝は大変繁栄した町でしたが、現在は平成の大合併で石巻市の一部になりました。
 
そして、この雄勝の石は、もうひとつ重要なことに使われました。
石盤(石板)です。
私の世代でもすでに石盤はなじみが薄いですが
古い映画などに出てくる学校の黒板は、深い緑ではなく真黒でした。
 
石盤は日本の戦前でも、黒板やノート代わりに使われたものです。
アメリカやヨーロッパでも紙のノートが登場するまで使われ
アフリカ諸国などでは、現在もノート代わりに使う地域もあるようです。
先生が黒板に書いたものを
生徒が黒い石盤に蝋石(ろうせき)やチョークで“板書”します。
この石盤の世界の多くのシェアを担っていたのが、雄勝石でした。
 
今は黒板もホイワトボードや電子黒板に代わっていくようですが
雄勝は世界の子どもたちに、大きく貢献しています。
 
雄勝の人々にとっては、逆に暮らしの一部であり、珍しいものではなく
かつては家々の屋根には、ほとんど雄勝石のスレートが使われましたが
最近は赤い瓦などが好まれるようになったと伺ってます。
 
大震災後では、大津波の被害を受けた家屋から流出した雄勝石のスレートを
洗浄、加工してアクセサリーなどに生まれ変わり
被災された方々の一助になっています。
東北(太平洋)沿岸部では、被災した後の人口流出が止まらず
小さい集落は深刻な状況にあります。
その中で、前を向いておられる方たち。
 
我が家の雄勝石は、船越レディース作のストラップ。
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撮影許可をいただいた写真から
発災直後の船越の様子と
大震災以前の様子(カツどんどんさんのブログから)
 
 
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京都の烏丸御池(からすまおいけ)で開催されていた
「船越のこと展」に、21日参加させていただきました。
船越とは、宮城県石巻市雄勝町にある船越地区のことで
東日本大震災では、巨大津波によって甚大な被害を受けた集落の一つ。
発災直後から船越地区の支援に尽力している、京都のグループが
これまで関わってきた現地の人々のことを中心に、船越のこれまでと
今と、これからを多くの人に知ってほしいという、企画でした。
昨年、また今年に入ってからこうした展示会などに、何度か足を運びましたが、
こうして紹介したいと思ったのは、久しぶりです。
時宜を得た、必要な情報が伝えられた良い展示会と感じたからです。
私の家から片道2時間ほどですが、一部屋の会場なのに3時間も滞在して
貴重なお話し、大切なお話を沢山伺えました。
スタッフさんの中では、展示方法などに注文が相次いだようでしたが
美辞麗句もなく、支援する側の主観的な熱さもなく、
また写真も、ねらった構図のものもなく、私にとっては自然に船越のことを知れる
本当によい企画でした。
会場は京町家を利用した趣のある、ええギャラリーどした。
まずは会場の雰囲気から。
 
 
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