エクセルシア Season 12

大震災 原発災害 東北を忘れない

要談「南三陸町」

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南三陸町志津川 防災対策庁舎
ここに来て、観光バスが停まっていないのを見たことがありません。
地元の某ホテルも見学バスを出しているようですが、解体が決まりました。
ご遺族にとっては、2年半以上も残されて大変苦しいお気持ちだったのかもしれません。
あるテレビ番組で、ここで妹さんさを亡くされた方が、「(防災庁舎を)なんの為に残すの?我々を苦しめる為?」と仰ってました。
 
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南米チリから寄贈されたモアイが復活して、はじめて志津川を訪れました。
4月にうかがった時にはなかったこのモアイ像
よくテレビなんかで見るモアイの印象と違いますが
なぜか親近感が湧きました。小中学一緒だったクラスメイトにそっくりな子がいました。いつもこんな表情だった。
でも、大阪弁でいう「しゅっとした」顔してます。
そして、モアイってよく見りゃあ、幼児体型なんですね(^^;
二枚目の写真は、このモアイの視線の先です。
 
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4月に南三陸町志津川にある、「南三陸サンサン商店街」のあるお店で伺ったお話し。
夜の7時ころ、ほとんどのお店が閉まっている中、閉店時刻を大幅に超えて晩くまでお話しくださいました。
その一部です。電気と生活の在り方を問われる忘れがたいお話でした。
 
『海の近くの松原を見渡せる場所に、お店がありました。
3月11日、地震の後津波が来ると確信して、従業員を全員避難させ、私たちも高齢の両親がいる高台へ逃げました。
直接津波は見なかったけど、病院の屋上に逃げた人が、ベッドごと流される人を見て、助けられず見ているだけだったと嘆いていました。
翌日の朝、町に降りてお店まで行くのに、普段は30分で行けるところを4時間以上かかりました。
時折、動かなくなった方々や、毛布などが被せられた人々を見ました。
 
高台にある家は大丈夫でした、家の近くにいた人を招き入れ、家族を入れて15人で共同生活を始めました。
物資は避難所優先だから、内陸の町まで買いに行ったこともありました。
電気、水道は止まったままでしたが、ガスはプロパンだったので、水さえあれば調理はできました。
庭にあった人感センサーで点くLEDランプを工夫して、広間の天井からつって
小さいほのかな明かりの下で約3ヵ月過ごしました。
手作りのオセロゲームやトランプに興じたり、手作りでなんでも作った。
2か月目に水がでました。お風呂の順番もジャンケンで決めましたが、結局勝った人が女性に順番を譲ったり
本当にみんな親切で、、何もない生活で大変だったけど、人生の最初で最後の経験
今思えば、良い経験だったと思える、あまりにも犠牲は大きいかったが。
3ヶ月目に電気が点いた。電気の無い中あらゆる工夫をしていたのが身について、電子レンジが使えるのも忘れて、数日間なんでも鍋で温めていました。
そして、小さいLEDのランプの下で15人が寄り添って生活していましたが
電気が点いた日から、みんなそれぞれの部屋に分かれてしまいました。』
 
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南三陸の今 ― 4

まだまだ手つかずの場所や、いわゆるガレキや津波残存物が残っています。
次への一歩と言っても、壊れたままの建物などを見なければいけないのは
心情的に負担を感じられるのではないかと察します。
2600人以上の方が、まだ見つかっていないことも同じだと思います。
 
遠くから見ると、観音さんに見えますが
近くに行けば木でした。
地元の方はこれを大切に保存されているようです。
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南三陸は初めてでしたので、事前に南三陸を支援されている方から情報をいただき
お二人の方と繋げていただきました。
 
南三陸に着いたのが3時半でしたので、そこからわざわざ車で志津川一帯を案内いただきました。
金髪にポニーテール、最初はどんな方だろうとかまえてしまいましたが
これがめちゃくちゃ優しい方で、とてもよくしていただきました。
 
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有名になってしまった、防災対策庁舎
一階部から上を見上げました、その上まで津波が襲いました。
今は観光スポットになってしまってます。
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夜は復興商店街「南三陸サンサン商店街」へ
時刻は7時前、ほとんどのお店は閉店、わずかに開いているお店を探していたら
なぜか一軒気になるお店がありました。
でも、同行者さんは別の店がいいと、でも自分はこっちにしたいと言って
入ったお店が「松原」さん。
3月11日までは、海にほど近い場所で大きな料亭を営んでいました。
海岸には松原があったので、この屋号がつけられました。
 
※3月11日以降のお話しを書きますので、思い出したり、負担に感じると思われたら、
無理に読まないでください。
松原の御主人と女将さんから伺ったお話を、箇条書きに紹介させていただきます。
 
あの日、津波警報は6m、実際にはその倍以上の高さの津波が志津川を襲った。
従業員も含めてお店の方は全員無事ではあったものの、すべて流出した。
御主人は高台にあった実家に避難していて、津波は実際に見てないが
電気が止まり、津波がひいて、翌日に町に降りようとした時に、まったく変わり果てた町の姿に声を失いつつ
何があったのか、頭が混乱したまますぐに降りて行った。
ところどころに、毛布などにくるまれたご遺体を見ながら、お店のあった場所まで2時間かけてたどり着いた。
通常は歩いても2〜30分でいける距離だった。
病院を見ると、屋上に沢山の人が取り残されているのが見え、救助されるまでに亡くなった方も。
また後日聞いたお話では、ベッドのまま流された方もおられたとのこと。
病院の屋上に逃げた方は、それを見ているしかなかったと。
 
高台で見かけなかった町会長さんの家の近くまで行ってみると、小さく包まれた毛布が見え、最初は子どもさんかと思ったけど、それが町会長さんでした。
他にも見かけない人がいるなとおもいつつ、一旦高台に登ったら、探していた女性と出会い、お互いに抱き合って泣いた。
 
高台の実家は広く、外で野宿をしていた人を数人呼んで15人で3カ月あまり一緒に暮らしました。
南三陸は都市ガスではなく、プロパンだったので、火は使えた。
電気は3カ月間止まったまま、ガーデニング用の人感センサーLEDライトを工夫して部屋の明かりに転用でき
小さく薄暗い明りの下に15人が寄り添った。
手作りのオセロや内陸に行って買ってきたトランプが、本当に楽しかった。
2ヶ月後に水道が復旧、お風呂の順番をジャンケンで決めるも、勝った人が女性を先に譲ったり
なにをやっても楽しく、電気の無い大変な生活ではあったけども、今おもえば最初で最後の良い経験だった。
 
3ヵ月して電気が点いた。今まで一つの小さい明りの下で、みんなが寄り添ったが
電気が点くと、みんなバラバラになった。
灯りが戻ったことで、それぞれの部屋に行ってしまった。
複雑な気持ちだった。
 
人間は、いざという時、非常時にその人の真価が問われ、本当の人間性が現れる。
今まで、おとなしくて何を考えているか分からない人がいた。
ある日、配給の列に並んでいて、人より多くもらおうとする人を見て、「みんなルール守れ」とその人の一言で空気が変わった。
逆の人もいる。
 
以前の5分の1の小さい仮設のお店になったが、狭くて動けない分、以前より人を多く雇わざるをえなくなった。
仮設商店街の地主さんは、5年以上貸すつもりはなく、3年数カ月後にはここも解体される。
その頃には60歳のなる、そこからまた借金をして新しい店を建てて始めるのは酷だ。
今、雇っている従業員もみんな被災者であり、彼らの生活のことも考えなければならない。
土日の午後は、本当に人でごったがえし、お客さんが入っているほうだが
飲食店以外のお店には、これほどお客さんは入らず、格差が生じている。
 
どこに行っても、いつも感じていたことですが
津波ですべて流された と話す時
皆さん、表情が笑うんですね。
「流されちゃった」と顔に笑みが出ます。
でも、復興の現状や行政の対応などの話しなると
顔が真剣になられます。
 
閉店は何時ですか?と聞くと、お客さんが帰るまで
と仰いながら、時間は9時をまわっており
他のお店が6時・7時には閉めているので、かなりオーバーして
お話をずっとしてくださいました。
そして帰り際には、その場で大きなオニギリをにぎってくださり
宿でいただきました。
この出会いにも感謝です。
ボランティアでもそうですが、行くとこちらが学び
既成概念がどんどん崩れます。
抽象的な美辞麗句、理論や理屈などは辟易してきました。
 
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