エクセルシア Season 12

大震災 原発災害 東北を忘れない

要談「福島県 全般」

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2011年から、福島県をとりまく界隈の騒ぎは、セシウムやらベクレルの問題よりも、差別の問題ということを痛感してきた。
福島県は地震と津波の被災地でもある。
何度も書いてきように、「つなみてんでんこ」の伝承には、家族や大切な人を助けられなかった人、亡くした人、一緒に逃げていた人の手を離した人など、自分を責め続ける人に対して、その自分を責めることを少しでも減らす側面もあると思っています。
サイバーギルトという言葉があるが、そうした災害、また死別、離別、困窮などなど
当事者の重荷を軽くする「文化」が育つところに、社会の成熟があると思う。
津波常襲地には、同苦と共感と協働の文化がある。
そうしたことが分からないのが、福島を三陸を東北を上から差別して気づかない私たち。
東日本大震災は、有史以来 例のない大規模な災害であるのに、それすら少数派に追い込んでいる。

「避難」「賠償」「除染」「原発」「放射線」「子供たち」のステレオタイプ6点セット

ネットでは依然として、福島で検索するとネガティブなキーワードが並びます。
最近では、国立の某科学博物館関係者が「原発で作業員が4000人死んでる」という話を流し、復興関係のNPO職員が「福島では子どもが死にまくってる」と発信していました。書店の福島・原発コーナーには数々の陰謀論の本。
先日、師匠の上野千鶴子(東京大学名誉教授)に「ダメな読者を扱ってると文章のクオリティが落ちるからやめなさい」と言われました。だが、まともな読者だけをちゃんと導けば真っ当な議論ができる時代じゃなくなってるんじゃないか。

権威ある文系の学者が、知識もなく放射線について書いて、それが弱者のためとか、経済一辺倒社会への反省とか思ってるらしい。たとえば福島で先天性障害児が大量に生まれてるとか、離婚が急増してるとかの事実はまったくないのに、そんなうわさをまじめに信じてる人もいる。

専門家の本は難しい。デマゴーグはわかりやすいから、主婦とかがどんどんはまっていっちゃうわけです。
何も理解しようとしていない。理解する努力をはしょって、善意だけを押し付け、悦に入ろうとするのは、単なる自己愛に見える。


──震災4年目の3・11、メディアの報道に変化は感じましたか?

むしろだいぶパターン化してきた気がします。「避難」「賠償」「除染」「原発」「放射線」「子供たち」のステレオタイプ6点セットにまつわる話をしておけばいい、みたいな。廃炉に30年以上かかるのも、除染の遅れもみな震災直後からの定型句。こうして同じパターンで福島を語り続けることで、みんなの無関心を引き起こし、忘却へとつながっていく。

──帰村後に直面する厳しい現実を描写した内容が今年は多かった気がしますが、現在進行形の問題とはまだ乖離しているのでしょうか。

NHKや一部新聞はしっかり細かく取材報道をしてると思いますが、それが一般の人に伝わりきってるかどうかが問題です。「福島の人口流出が危機的だ」という誤ったイメージと、減少率は震災前のペース、いわば「平常運転」に戻っているという現実とのギャップや、まるで県内全域が荒野と化してるかのような通り一遍の見方は今も続いてるんじゃないか。大多数の人が取り残される状況が年々悪化してるのかなと。

何となく複雑だなとしか伝わってない。情報の受け手側もリテラシー、基層的知識がないと、なかなか生産的な議論にはならないですよね。

データで示せる道具・武器を用意しなければ

──この本は人口、農業、漁業・林業、2次・3次産業、雇用・労働、家族・子供という順で実際のデータを挙げ、福島への誤解・妄想を正していく構成になってます。

ネットでは依然として、福島で検索するとネガティブなキーワードが並びます。最近では、国立の某科学博物館関係者が「原発で作業員が4000人死んでる」という話を流し、復興関係のNPO職員が「福島では子どもが死にまくってる」と発信していました。書店の福島・原発コーナーには数々の陰謀論の本。

先日、師匠の上野千鶴子(東京大学名誉教授)に「ダメな読者を扱ってると文章のクオリティが落ちるからやめなさい」と言われました。だが、まともな読者だけをちゃんと導けば真っ当な議論ができる時代じゃなくなってるんじゃないか。

権威ある文系の学者が、知識もなく放射線について書いて、それが弱者のためとか、経済一辺倒社会への反省とか思ってるらしい。たとえば福島で先天性障害児が大量に生まれてるとか、離婚が急増してるとかの事実はまったくないのに、そんなうわさをまじめに信じてる人もいる。

そして、そんなデタラメを投げ付けられたとき、福島で生きる人間には反論する材料がなかったんです。データで示せる道具・武器を用意しなければと、強く感じたんです。

──県の外に福島の真の姿を知らせるのみならず、内に向けても書かれた本だったんですね。

そうですね。今までだと、本物の専門家の本か、専門家と称するデマゴーグの本か二極化していた。専門家の本は難しい。デマゴーグはわかりやすいから、主婦とかがどんどんはまっていっちゃうわけです。そこで中立の立場で複雑な状況をわかりやすく伝える必要があると思った。


この本に掲載したデータは基礎的なものばかり。あえて誰でも入手でき誰でも検証できる、じいちゃんばあちゃんでも議論に加われる踏み台を作りたかった。いいかげんなデマに福島の人が嫌な思いをしたり、エセ医者の言うことに扇動されて誤った選択をする状況を変えたい。最初に挙げた福島6点セットはもちろん重要なことなんだけど、それを言っとけば一応考えた雰囲気になるのはやめましょう、ということです。

──福島の問題は全国各地方の問題に共通する、と強調する狙いは?

福島6点セットを持ち出すと、あそこは特殊で異常で危機的で、自分とは関係ない話だという認識が植え付けられてしまう。いやそうではなく、これはあなたの地元で起きている問題と同じなんですよ、と普遍性を押し出す必要があった。

やはり現場で観察していると、地方に共通の問題がそこにある。多くの人が、原発20キロメートルの町に戻った人は放射線を恐れて暮らしてるのだろうと想像するようだけど、地元で聞くのは、工事関係の新住民が増えて治安や交通事故が心配だ、病院が遠くて大変だ、後継ぎがいねえんだという話ですね。

NHKの番組で学生を被災地に連れていくんですけど、番組側はどうにかして地元の人と原発の話をさせようとする。わかりやすいですよね。でもおばあちゃんの口から出るのは、震災後も前もずっと商売を続けてきて、人が増えて売り上げは上がったけど、休みが取れなくなってね、みたいな日常の中で語る言葉。こっちのほうがよほど真実ですよね。そこを無理やり特殊化しようとする。こういう点にもあらがっていかねばと思っています。

──「福島を理解してるふり、寄り添ってるふりはただの迷惑」と突き放しておられます。開沼さんが挙げる「福島へのありがた迷惑12箇条」の第1条は、「勝手に『福島は危険だ』ということにする」。

憐憫(れんびん)の情、かわいそうだという思いはしばしば“上から目線”になり、問題をむしろ悪化させる。何となくの当てずっぽうな支援を押し付けるだけでは、現にそこに生きている人たちのニーズを満たせないし、むしろありがた迷惑になってしまう可能性がある。

外で遊べないらしい子供たちのために毎年幼稚園に積み木を贈るとか、もちろん善意だろうけど、子供を外で遊ばせられるよう、どれだけ地元が努力してきたか。そこからどれだけ時間が経過したか、何も理解しようとしていない。理解する努力をはしょって、善意だけを押し付け、悦に入ろうとするのは、単なる自己愛に見える。

前のめりの正義感は滑ってしまう

──「滑った善意」が「的を射た善意」にまで悪影響を与えるとも。

私が福島を救ってやるみたいな前のめりの正義感は滑ります。地元の人はそんなこと望んでないし、当人も「アレ、思ってたのと違う」と戸惑いながらどんどんズレていく。で、相手の気持ちを酌み取れる、的を射た善意で動ける人ほど「ありがた迷惑になりはしないか」と気を回し、引いてしまったりする。そこに空白地帯が生まれ、問題が放置される。


純粋な気持ちで同情したり、ずっと忘れてはいけないと心に誓うのはそれはそれで結構。問題は、じゃあ具体的にどうするか。それは福島の産品を「買う」、福島に「行く」、ハードルは上がるけど福島で「働く」ってことじゃないの、って話です。


http://tk.ismcdn.jp/mwimgs/8/b/400/img_8bde24e77de3f09307b8752a3c00e2ee164021.jpg
開沼博(かいぬま・ひろし)●1984年福島県いわき市生まれ。東京大学大学院博士課程在籍。福島原発事故独立検証委員会ワーキンググループメンバー、復興庁東日本大震災生活復興プロジェクト委員歴任。著書に『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』『フクシマの正義「日本の変わらなさ」との闘い』『漂白される社会』等。

言葉の使い方一つにしても、とても共感します。
広島、長崎から何も学ばなかった私たち
福島への差別の問題に向き合い、語らずに、反核も反原発の未来は無いでしょう。

http://mainichi.jp/feature/interview/news/20150331mog00m040008000c.html

◇いま、福島を知るために

 気鋭の社会学者、開沼博さん(31)=福島大特任研究員=が福島問題を書き下ろした「はじめての福島学」(イースト・プレス)を出版した。「福島」を巡る食や産業、人口問題といったさまざまな社会問題を、公開されているデータを基にまとめた「福島問題の基礎知識」とも呼べる1冊だ。大きな反響を集めた「『フクシマ』論 原子力ムラはなぜ生まれたのか」(青土社)から4年。開沼さんはなぜ、データを一から整理したのか。福島を知るために何が必要なのか。福島の語り方をもう一度、考え直すためにできることとは。ロングインタビューでお届けする。【聞き手・石戸諭/デジタル報道センター】

 ◇福島の「基礎知識」を整理する

 −−想定読者よりも「仮想敵」が明確な本だと思いました。どのような問題意識でまとめたのですか。

 開沼さん 一つは、福島を語る際についてまわる「ステレオタイプ」の相対化です。このステレオタイプを「はじめての福島学」の中では「俗流フクシマ論」と呼んでいます。これが仮想敵ですね。ステレオタイプは目の前の問題が複雑で理解できない時ほど強化されます。そもそも、問題が単純なら、私たちは問題をそのまま理解できるからです。

 複雑な問題が目の前に現れると、問題を必死に理解しようとして単純化されたイメージをもとにステレオタイプなものの見方をする人が出てくる。しかし、こうした見方は現実とずれたものになりがちです。ステレオタイプ化される過程で、「見る人が見たいように加工される」からです。福島の問題が、多くの誤解をもとに理解されている現状を洗い出し、その上で必要な認識の上書きを目指しました。

 もう一つは帯にも書いていますが、福島のことを「難しい・面倒くさい」と感じている人が、「難しくない・面倒くさくない」と考えなおす糸口を提示することです。

 東日本大震災、原発事故からの4年。福島を語るハードルは日に日に高くなってきました。理由の一つは福島の問題が政治対立に使われてきたことにあります。原発にせよ放射線にせよ、何か福島に関する話に触れようとすると、「原発推進か、反対か」「福島を安全と思っているのか、危険と思っているのか」と踏み絵を踏まされるような、あるいはそう逡巡(しゅんじゅん)させるような状況があった。また、科学の問題として難しいと感じる人は多いでしょう。放射線やエネルギー問題の知識がないと語れないような気にさせられる。もちろん、そんなことはありません。


「はじめての福島学」を出版した開沼博・福島大特任研究員=東京都千代田区で2015年3月9日、内藤絵美撮影
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 今回は、「難しい・面倒くさい」と感じてもらわないようにギリギリのラインで書きました。だから「学問」としては甘いという批判、「これが足りない」「あれが足りない」とツッコミは受けるでしょう。しかし、そこまで厳密に語ることにどれだけの意味があるのか。専門家同士なら必要でしょうが、震災が明らかにしたのは専門家も一歩外に出れば「専門外」の人に向けて理解できるように語る必要がある、さもなければ努力の中で積み重ねてきた学問への信頼もあっけなく崩れるということです。

 この本は公表されている福島にまつわるデータをもとに、1冊読めば、そこで起こっていることを網羅的に理解できるようにまとめてあります。いわば「教科書」です。とりあえず、みんなで議論の土台となる教科書を読んだ上で、福島の語り方を考えなおしてみようと問いたかった。


 ◇「もし福島が100人の町だったら……」避難者は何人?

 開沼さん タイトルの「福島」を漢字にしているのはイメージの中の「フクシマ」と現実の「福島」の違いを考えてほしいからです。震災・原発事故から4年がたちましたが、福島のイメージはどうなっているか。原発事故で多くの食品は汚染され、子供たちはマスクを着けて外で遊べず、人口流出が続いている……といったステレオタイプなものだとすれば、全て現実の福島とは違います。

 本の中でもまとめましたが、ステレオタイプに描くのに便利な「福島6点セット(避難・賠償・除染・原発・放射能・子供たち)」から語る福島は、福島を「フクシマ」にするためのスティグマ=負の烙印(らくいん)=につながりやすい。本当に問題は6点セットだけなのでしょうか。

 例えば人口流出で考えてみましょう。「3・11以後、福島では、原発事故の影響で、放射能におびえ苦しみ、逃れようとする人々ばかりで大量の人口が流出している」などという前提で多くの報道や研究が福島を描いてきました。2014年3月に、3・11以後の人口流出の割合がどのくらいか、全国で意識調査をしたら、平均して「福島の人口の24%が県外に流出している」というイメージがあることがわかった。しかし、実際には震災後の福島県の人口減少は約2・5%。福島県が100人の町だったら、避難を選んで県外に暮らす人は2人か3人です。

 講演で会場に質問すると、普通に「40%くらい避難したでしょ」「60%は超える」なんて声を今でも聞きます。福島の現実は10倍くらい誤解されている。間違った人の中には「それは、避難者が少ないことを強調して、被害を過小評価しようとしているのか」などと因縁をつけてくる人もいますが、当然、そんなことはありません。

 ここで語るべき本当の問題は、福島で起きている問題は「あなたの隣でも起こっている」普遍的な問題だということです。まず、人口減少の幅で言えば、ここ5年、10年の単位で見た時に、福島よりも減少率が高い県はいくつもある。既に福島の人口減少率は震災前の水準に回復しています。秋田とか高知とかのように、福島よりも人口減少率が高く、すぐに抜本的な対応を必要とする県はいくらでもあります。これは「秋田・高知がやばい」と言っているわけではなくて、日本全体で対処していくべき難問だということです。福島だけが取りたてて「人口減少している」イメージがあって「ヤバい」と思っていた方は、日本全体の人口流出・人口減少の問題に自覚的になるべきです。

 3・11後の福島では、急激な少子高齢化が起きています。子供を産む人は震災前と同じくらいいますが、老齢人口は増え続けている。さらに地域間格差も顕著になっている。いわき市や郡山市など都市部は人口が集中し、20年ぶりに地価が高騰している。「福島6点セット」で問題を捉えようとすると、こうした根本的な問題が「無かったこと」になってしまいます。厄介なのが、福島に思い入れが強い外部の人ほど、この「問題の隠蔽(いんぺい)構造」に加担してしまうことです。

 本の中では、福島の問題を語る上で最低限押さえておきたい「25の数字」を提示しています。自分の中にあるイメージ上の「フクシマの人」に憑依(ひょうい)されたかのように「子供たちを守れ」などと語る人たちが、どれだけ数字を分かっているのか。最低限の前提を理解することもなく「復興が遅れている」「風化が進んでいる」などと安易に語りたがる人がいますが、風化しているのはそう言ってしまう「あなた」なのではないか。「理解の復興」が遅れることで、現実に福島で暮らす人がさらに傷つき、追い込まれるという事態も起きているわけです。


 ◇問題は「科学」だけではない 中間層に語ること

 −−数字が届かないという現実もありますね。例えば、福島県産の食べ物を避けるという人に、いくら数字で説明しても態度は変わらないという人は少なくありません。

 開沼さん 「分からない」という人には2種類いるでしょう。「分かりたくない人」と「無関心な人」です。「分かりたくない人」とは、初めから強い思い込みがあって、その思い込みから外れる事実を提示されてもそれを受け入れられない人です。社会心理学では「確証バイアス」と言いますが、自分にとって都合のいい確証・証拠ばかり集めようとする偏見のことですね。

 福島産を絶対に避けるという層は一定数いますが、あくまで一定数です。放射線のリスク認知に関しては、どんな種類の調査でも「安全」「危険」の両極にいる人の割合は大きくは変わりません。放射線なり福島県産が「かなり気になる」と答える人は2割前後、逆に「全く気にしない」という人も2割前後です(消費者庁のデータ)。

 科学的なデータをそろえることはもちろん重要ですが、人は科学的な事実だけで行動を決めるわけではありません。例えば、食べるという行動についてこの本の中では「イスラム教徒に豚肉を勧める」という例えで説明しました。豚肉に栄養があると効用を説きながらイスラム教徒をいくら説得してもしょうがない。科学的な説明をしても届かない人には届きません。

 福島産を食べる人の中には科学的に十分に納得して食べている人もいるでしょう。逆に「食べない」という人にとって、問題は科学だけではないのでしょう。科学的な説明以外のコミュニケーションや話法が必要になってきます。この点は自分も含めた社会科学者にも努力が足りなかった。科学で扱えない部分を科学の中でいかに扱っていくのか。これまで以上に科学者自身が考えないといけないと問題だと思っています。

 一方で、両者の間にいる6割前後は「無関心」かもしれないが、「分かってくれる可能性がある人」です。本書はこの「中間層」に向けて書いています。今回は福島にまつわる数字を網羅的にまとめて見せるという方針を取りました。というのは、中間層のニーズは「どの本、どの学者の話を信じればいいのか分からない」「本やインターネット上の情報も膨大でどこから触れればいいのか」というところにあるからです。そこへの私なりの回答として「とりあえず、客観的な数字を見ておけば一定の信頼をおけるでしょう。まず、この一冊を読めば福島の問題を網羅的に学べます」と提示したのがこの本です。

 放射線に関する本はこの1〜2年で多くの良書が出ました(※巻末にリストが付いている)。しかし、それらの多くは自然科学的・理系的なアプローチが中心のものです。産業面や生活にまつわるさまざまな数字などを、社会科学的なアプローチから読み解いた本はまだまだ少ないのが現状です。福島にまつわる数字を体系的に整理し、今の社会を読み解くきっかけを作りたかった。

 ◇福島県産食品 本当の問題は「放射線」より「価格の下落」

 開沼さん 食の問題で言えば、福島県の農産物、水産物に関する放射線の検査体制は確立されています。米の全袋検査でも放射性セシウムの量に関する法定基準値(※日本は1キロあたり100ベクレル。EUは1250ベクレル、米国は1200ベクレル)を超えるものは2014年産米からはゼロです。当初懸念された内部被ばくに関してもホールボディーカウンター(WBC)による調査が進んでいます。詳細は本にも書いていますが、現在までのところ、食や内部被ばくの影響は非常に低いレベルに抑えられています。これは喜ばしいことです。

 こういう話は少なくとも福島県の生産者団体・メディア関係者の間では常識で、県内でも多く報道されている。しかし、一歩県外に出ると知られていない。普通に「法定基準値超えがいっぱい出ているイメージ」で語られることも多い。

 ただ、だからと言って「問題がなかった/福島の農漁業は安心だ」なんて言うつもりは毛頭ありません。この本は「問題がない」という本ではなく、「皆さんが問題だと思っていること以上に重大な問題がここにあるよ」ということをデータから示している本です。

 今の−−そして今後も長く続くであろう−−福島産農産物・水産物の本当の問題は価格下落です。3・11直後のような「安全か危険か」という問題ではありません。3・11以後、福島の農地が耕作放棄だらけになっているというイメージを持っている人がいますが、本書の中で細かく数字を挙げて検証している通り、そんなことはない。生産はしているが、市場価格が大幅に下がっている。

 市場の中で安く買われることになった問題は良い面もあれば悪い面もあります。良い面は作ったら作っただけ買ってもらえること。何らかの形で流通経路には乗る。しかし、価格が下落したことで潜在的に「そろそろ農業をやめようかな」と思っていた人の背中を押してしまう側面もある。そこをどうするか。農業や農地は単なる産業ではなく、地域にとってはコミュニケーションの場でもあったのです。やめればいい、で済む問題でもない。では、何ができるのか。そんなところまで迫っていく前提をつくる必要があります。

 福島の農業の問題が「汚染された土地をどうするか」で止まっている方がいるなら、それは「2011年当初の問題です」と言わないといけない。現実は進んでいます。「どうやって作物の価格を上げるのか」「どうやって生産者の高齢化や収入の不安定化を解消するのか」という議題設定が必要でしょう。


 ◇オープンデータで福島を語る理由

 −−2011年に出版した「『フクシマ』論 原子力ムラはなぜ生まれたのか」は中央−地方の関係を社会学や批評理論の枠組みを使って捉え直すという視点でした。今回の本とはアプローチが違います。4年間でどのような意識の変化があったのでしょうか?

 開沼さん 「『フクシマ』論」はご指摘の通り、学術的な理論枠組みを使った学術書です。方法論にしても文献、歴史資料を読み込み、フィールドワークやインタビュー調査を重ねるといった質的研究と呼ばれる、いわば「言葉」を中心としたものです。こうした本には必ず出る批判があります。「ここに表れている声は現地の一部の人だけのものではないのか。偏っているのではないか」と。あるいは「Aという考えの人もいるが、一方でBという考えの人もいる。Bを切り捨てるのか」という人もいる。特に震災後、福島の問題については「外から、上から目線」で勝手なことをセンセーショナルに騒ぎ立てる傾向が強くありました。

 そこで、実際にデータを示しながら、どの程度「偏っている」のか、Aという立場とBという立場がどのくらいいるのかを示して議論しよう、と。福島の漁業や農業、あるいは育児、教育の現場でひどい言葉を浴びせられた人々にとって、本書の中で示したデータは、議論の場で相手に現実を示す武器になるでしょう。

 さらに、今回のデータは誰でも手に入れることができるものを使いました。震災後、「外から、上から目線」の人たちの中には都合が悪くなると、すぐに「福島の問題は分からない」「情報公開が足りない」と、自分の不勉強を棚に上げて言い募る人がいました。本書の中にあるデータの9割はインターネットで3分以内に発見できる、誰でも確認や検証可能なものです。「分からない」というなら考えてほしい。「情報隠蔽だ」と言っているならまず調べてから言ってほしい。そのメッセージを込めました。

 ここで意識しているのは、3・11後に再び注目を集めることになった故・高木仁三郎さん(脱原発運動の理論的支柱となった科学者)が唱えた「市民科学」的な科学のあり方です。端的に言えば、データを出しつつ、一般の人でも科学的なプロセスを踏めるようにする。その上で議論の土台を提供するという方法です。自然科学のみならず社会科学でもできる。市民科学的な議論の場を再構築しなければならない。

 3・11後、「市民がたちあがること」を重視するような議論のうち浅薄なものでは、科学的なプロセスを踏まずに「民主主義」や「資本主義」を持ち出して「文明を反省し……」と大ざっぱな根性論的態度を示すだけで、何かを言った気になる人がいました。これでは話になりません。

 そういう意識で、これまで私がなじんできた「質的研究」ではなく、統計などの数値データを主に扱う「量的研究」を方法論として使ったわけです。残念だったのは、もっと短くまとめて、もっと手軽に誰でも手に取れる本にできなかったこと。元々、新書1冊でまとめたいと思っていました。「福島を理解する10の数字」みたいなコンセプトですね。しかし、書き出してみるとゲラ段階で500ページ。必死に削りましたが、到底、新書ではまとまりませんでした。


 ◇「福島の声」 政治利用に警戒したい

 −−「少数の声」を政治に利用しようという動きに対する敏感さ、という点は「『フクシマ』論」と「福島学」に通底するものがあると思いました。

 開沼さん そこは理論的に一貫している側面ですね。「外から、上から目線」という言葉を使いましたが、「福島の人が苦しんでいるんだ」と大騒ぎする「私」が実は遠いところから、高いところから自らの政治的主張に「福島の人」を利用しようとするだけだったりする。その構図は警戒しています。こうした「利用」が実は本当に問題を抱えている周縁にいる人を切り離し、ステレオタイプを作り出す問題の構図であり、イメージを固定化させている。

 福島について何かを語ってきた文化人、人文・社会科学者の中には本の中で挙げた数字を知らない人も少なくないのではないでしょうか。福島に関心があると言いながら、地名をちゃんと読めない人もいました。彼らが現実の福島からかけ離れたイメージ上の「フクシマ」を作り上げてきた側面もあります。彼らは弱者や社会的少数者に憑依されたかのようにして代弁者になろうとしたり、自身の政治的主張のために利用したりして、さまざまな形で発信を続けました。

 私は被災者への大規模な聞き取り調査を進めていますが、実情は簡単に代弁できるほど単純ではありません。

 この辺の考えはウェブでも公開している福島への「ありがた迷惑12カ条」にまとめました。これを読んで、「自分のことかも」と思うことがあれば、ぜひ直していただく。その上で、福島への関心を引き続き持っていただければうれしいですね。

 −−これまで福島との関わりが薄かったにもかかわらず、自分が当事者になりたがる人、例えば震災後、突然「福島が第二のふるさと」になったり、思い出の土地になったりする人もいました。

 開沼さん ありますね。「昔、行きました」とか、「過去に通りかかった思い出がある」とか。それで憑依されて当事者性を持っていると強弁する。勝手に同一化して当事者になりたがる人がこんなにも多いのか、と思いました。それなら、しっかり知って発言してほしい。憑依されるのは自由ですが、勝手に自分たちの理想像を押しつけることには注意すべきです。それをやると「ありがた迷惑」です。

 これは福島問題に限った話では全くなくて、他の社会問題にも通底する、極めて普遍的な話です。マイノリティーや被害者を理想化すること、政治利用することに対して、人文社会科学は警戒し、かなり批判してきたはずです。

 批判してきたはずなのですが、人文社会科学者がコミットしてきた「脱原発」運動の中に過剰に福島産(食品)を避けるように訴え、過剰に福島は住めない土地だと主張する動きがあった。それにどれだけの人が怒り傷ついたのか分かっているのか。私がそれを批判すると、「『住めない』などと過激なことを言う人は全体の中では一部に過ぎない」などと言い逃れしようとする。

 「ひどいのは全体からみたら一部」「私は違う」「一部が暴走した」という言い訳は成り立ちません。自分たちが正しいと信じる目的のために一部のあしき手段が正当化されるようなら、何でも正当化できます。一部だろうが、全部だろうが、こうした主張が出てくる体質を内包している限り「迷惑」だと思われ続けるでしょうね。残念ながら4年前からずっと同じ話を繰り返していますが、いいかげん、迷惑なことはやめたほうがいいと思います。もちろん、そういう状況を内部から改善しようという動きも出てきていることでしょう。それでもまだ部分的な動きですが。

 −−なぜ、そのような事態が起きたと思いますか?

 開沼さん これまでと同じ手法で戦えると思ったからでしょう。「弱者への配慮」をベースに主張し、自分たちがつながれると思ったのでしょう。

 福島の問題について過剰に雄弁になる人の原動力は、自らも自覚できていないような圧倒的な不安です。不安に駆られて出てくる言葉は過剰にシンプルになります。これは逆説的に問題が過剰に複雑であることを示している。先にも述べた通り、ステレオタイプが生まれるのは問題が複雑だからです。

 ステレオタイプは「空気」を形成します。そうであるがゆえにステレオタイプを相対化する必要がありました。先に述べた例で言うならば、福島産(食品)は避けたほうがいいと思う人と思わない人の間には多くの中間層がいます。空気は中間層がどちらを選択するかというのに効いてくる。空気に敏感な人たちの行動に影響を及ぼすのです。

 ◇「問題を一緒に解決する」 分断を超える方法

 −−開沼さんは経産省資源エネルギー庁の総合資源エネルギー調査会原子力小委員会の委員ですね。「国に加担するのか」という批判もあります。

 開沼さん それは内実を知らないがゆえの批判だと思います。勘違いしている人もいますが、委員の中には強硬な原発反対派もいます。そう簡単には国の意向を受け入れないさまざまな人が交じっています。

 私の役割は、福島問題と原発立地地域論の専門家として、また30年以上後のエネルギー政策のあり方を想定せざるを得ない将来世代として意見を言うことにあると考えています。一方で「中から発信して日本を変えられる」などと思うほどピュアでもありません。

 この4年間で議論の構図が固まる一方、多様な声が出ているかというとそうでもない。自分が代弁者として振る舞おうとは思いませんが、立場を問わず、「福島の声」の政治利用に対する懐疑は常に主張していこうと思っています。

 −−一方で「もっと福島から意見や感情の表明が必要だ」という考え方もあると思います。原発事故に対する感情を共有することから始める。こうした考え方はどう思いますか。

 開沼さん 素晴らしい考え方だと思いますし、私もさまざまな方法でそれを実現する回路をつくろうと努めてきました。その上で、大事なのは問題解決思考であるかどうかだと思っています。まず、自分のイデオロギーありきで、極めて少数の意見−−もちろん、少数だからといって切り捨てていいわけではありません−−を切り取って、「これが福島の声です」と自己主張し、自分たちの運動を展開する。これは自分たちの主張のため都合のいい声を拾っているだけです。これだけでは共感を広げられないし、その他にある問題も解決しない。

 この本で福島の問題は「6点セット」の問題ではなく、「地方が普遍的に抱える問題」であるとあえて強調しています。繰り返しになりますが、福島で今起きている問題はどこでも起きる可能性があるからです。原発事故が起きたことで浮かびあがったのは地方の人口減少・少子高齢化であり、医療・福祉体制の崩壊であり、決して持続可能ではない特定の産業に頼ってきた構造が衰退していくという問題です。残念ながら、福島では原発事故で、それらの問題が起きる時間が他の地域より早まった。その問題を一緒に解決しよう、考えようという姿勢が福島の問題を考えることなのだ、という主張です。

 だから、一緒に考えられる問題であり、あなたの足元と地続きの問題なのだ。

 本書の要点をまとめれば、そう言い表すことができる。原発事故は重大ですが、そこから引き起こされた問題は特殊なものばかりではない。そのことに気づかなければ前に進んでいかない。それが5年目の現実です。

 弱者や少数意見を「外から、上から」代弁するのではなく、もう少し幅を広げてみる。「一緒に解決できる問題って何だろう」「自分にできることって何だろう」と考えることが最後は当事者の内外を超えた共感と問題解決への思考を広げていく道です。「福島の人のために何かできることはないですか」なんて問いに、多くの人は答えようがない。「福島の人」って、200万人ほどいる中で、そもそも誰ですかという話で。そんなの何とでも答えられる。そうではなく、「○○○」という問題を解決したいから意見を聞かせてほしいと投げかける。これなら共感する人は声を上げてくれるでしょう。

 そのためにも必要なのは福島の現状を正確に認識することです。ばらばらになっている「情報」の波にのみ込まれて迷わないように、「情報」を自らに血肉化した「知識」にアップデートするためには体系的な整理が必要です。これまでのような唱えるお題目が先にあり、事例がついてくる。そういうモードはやめたいですね。

 ◇リベラルは保守層の動きから学べ

 −−旧来のリベラル的な言説の弱点は「不安」や「恐怖」を強調するやり方に力を入れすぎた点にあるということでしょうか。どういうアップデートが必要だと思いますか?

 開沼さん まさにそうですね。3・11以後の状況ではリベラル的な言説にありがちな不安に訴えるやり方はいつまでたっても主流になることはないでしょう。

 福島や他の被災地では、地域産業の活性化や高齢者支援、子ども・若者を主体にした地域づくりなどさまざまなテーマで面白いプロジェクトが進んできています。中心にいる人たちと言葉を交わしながら、政治的な志向を見ていくと、その多くが、いわゆるリベラル層ではなく、保守層であることにも気づきます。リベラル層はそこに学ぶことが多いのではないでしょうか。彼らの特徴は行動が先にあることです。何かを批判している暇があれば、まず自分たちが動く。

 彼らは地元の有力者や若者、人を集められそうな人に片っ端から声を掛けて組織を作ってお金を集めます。先祖から受け継いできたものを軸にまとまり、地元の上下関係を大事にしながら、地元の再生の象徴になりそうなものを作る。それを見るたびに、昭和の土建国家の時代はこのメカニズムがものすごいスピードで回転して、日本の風景を変えていたのだなと思います。いまだに存在する地方の自民党、保守層の強さはこれなのだと、改めて見せつけられた思いがしました。

 こうした動きは地元に必要なことを考えて動いているゆえの強さがあり、思想やイデオロギーと関係なく誰も反対できません。さらに、4年間やってきた人たちが生み出してきた成果は確実に地元に残っています。

 一方で、ご指摘のリベラル的な言説として「私たちは文明を反省しなければならない」とか「社会を変えるには人々が声を上げ、新たな民主主義を立ち上げるべきだ」といった言葉がはやったわけですが、4年たって福島にどんな結果が残ったのでしょうか。口だけの動きが地元・現場で受け入れられるわけがないですね。むしろ、そういった大ざっぱな答えありきの大所高所からの「論」が、本来向き合うべき問題を隠蔽し、分断を深めてきた。もう少し小さな語り方であり、動き方を身につける必要があるのではないでしょうか。

 この本は都市部在住の知識層もターゲットにしています。皆さん、震災直後や震災1年後にご自身で話していたことや発信したことを覚えているのでしょうか。2015年に福島はどうなるはずだったのか。福島は今どうなっているか。もう一度、問い直してほしいと思っています。

 −−信頼を勝ち得るためには動きが必要だと。

 開沼さん 私は「買う・行く・働く」という言葉で説明しています。今できることはそれに尽きます。働くはハードルが高いかもしれませんが、ボランティアなど少しの時間を作るだけでいい。ご自身のお仕事の中で身につけた技術がなにか役に立つと思います。


 ◇退屈だった「福島」が、「面白くなってきた」の問題か
−−この本は「極端に振れない、振れたくない人たちのため」の本だと思いました。こうして問題を整理した上で、どう次の仕事につなげたいと思っているのかをお聞かせください。

 開沼さん 「はじめての福島学」ではその名の通り、福島の問題を学問的に捉え続けていくための一つの枠組みをつくりました。これを端緒にさらにさまざまな知見と実践を続けていきたいと思います。

 「極端に振れない、振れたくない人たちのため」の本は他の分野でも求められています。その点で、私は核、原子力と日本社会の関わりに興味があります。表象のされ方や歴史的な反復の仕方といった問題を整理してみたい。あとは、避難の問題です。これは今回、扱いきれなかったと思い残す点です。難問ですが、福島から避難した人たちの語りも継続的に集めて、体系的に整理したいと思っています。

 この本はいろんなプロジェクトに派生するための第一歩です。「今の福島を知っておきたい」という善意を持っている人もまだいると思います。その善意に期待しています。福島関連の本も、現状の出版市場の中では全く売れなくなってきていますが、「はじめての福島学」については、お陰様で、重版がかかりました。

 元々、私は福島が退屈で仕方ないと思い、東京に出てきた。地方出身者にありがちなパターンです。「『フクシマ』論」を書いた後は福島の話はやめようとも思っていました。でも、あれだけ退屈だと思っていた福島を、今は語弊はあるかもしれませんが「面白いところ」だと思っています。震災、原発事故という危機の後、自分たちの世代でも地域のネットワークに入り込める余地が出てきた。

 だからこそ、今後を見届けたい。先日、上野千鶴子さんとの対談で「当事者とは、当事者『である』ものではなく、当事者『になる』ものだ」と言われました。「はじめての福島学」を通して、少しでも多くの人に、これ
ら離れることのできない「当事者になる」体験をしてもらえればうれしいです。


1)勝手に「福島は危険だ」ということにする

2)勝手に「福島の人は怯え苦しんでる」ことにする

3)勝手にチェルノブイリやら広島、長崎、沖縄に重ね合わせて「同じ未来が待っている」的な適当な予言してドヤ顔

4)怪しいソースから聞きかじった浅知恵で、「チェルノブイリではこうだった」「こういう食べ物はだめだ」と忠告・説教してくる

5)多少福島行ったことあるとか知り合いがいるとか程度の聞きかじりで、「福島はこうなんです」と説教を始める

6)勝手に福島を犠牲者として憐憫の情を向けて、悦に入る

7)「福島に住み続けざるを得ない人々」とか「なぜあなたは福島に住み続けるのか」とか言っちゃう

8)シンポジウムの質疑などで身の上話や「オレの愚想・教養」大披露を始める

9)「福島の人は立ち上がるべきだ」とウエメセ意識高い系説教

10)外から乗り込んできて福島を脱原発運動の象徴、神聖な場所にしようとする

11)外から乗り込んでくることもなく福島を被爆回避運動の象徴、神聖な場所にしようとする

12)原発、放射線で「こっちの味方か? 敵か?」と踏み絵質問して、隙をみせればドヤ顔で説教

はじめての福島学 から

4年間書いてきたことの集約という感じ
最近はEM菌除染とか・・・
まことしやかなお説教 ご立派なご説法は もうええねん ということですね。
前項のリンク先です。

今年は、ときどきはブログを書こうとと考えています。
ところで、原発事故から4年目の3.11に合わせて、娘の春野といっしょに絵本『ふくしまからきた子 そつぎょう』を制作しました。原発事故から一年目の2012年には『ふくしまからきた子』をやはり春野といっしょに作りましたが、今回はその続編です。一作目は、とにかく子どもが大人といっしょに原発事故とは何かを考えるきっかけになる本をつくろうと思い、福島から広島の親戚を頼って母子避難した家庭を設定し、その子どもを主人公に描きました。あの本は「ぼくのことを書いた本です」と言ってくれた少年もいて、一作目は一作目で、間違ったことは書いていないと自負しています。
一作目の出版後も、福島へは度々足を運び、その後の人々の生活や、さまざまな動きを見てくるなかで、福島に住むことを選択して生き抜いてきた人々の姿を描かなければという思いが次第に強くなりました。当初は、子どもを抱える人々は避難したくてもできない人が多いのだと思っていたのですが、足を運ぶうちに、原発事故や、放射能に関しての知識を膨大に持ち、あらゆる条件を考えた上で、福島で生きることを選んでいる人がたくさんいることがわかってきました。その方々はもちろん、子どもの健康に関しても十分な調査と対策をしたうえで判断していました。保育者たちも、学校の先生たちも、どうしたら子どもたちが安全に暮らせるかという研究は、本当に驚くほどのものでした。そういう人々の努力もあり、居住不可能な地域は別にして、現状では子どもたちは十分安全に生活できる環境が整っています。
もちろん、原発の問題は生活環境が改善されてきたからといって、汚染水の問題も、汚染ゴミの問題も何も解決していません。その状態で原発再稼働へかじを切った政府の方針は許されるものではないと考えていますが、福島の状況をしっかり知った上で、脱原発の動きを広げなければならないと思います。実を言うと、「福島」と一言で括ることの怖さを、福島に通うなかで何回も感じました。相馬などの海岸線では放射線の問題よりも、津波の被害の後遺症が今でもたくさん残っていますし、会津地方などは、放射線の影響はありません。原発事故が起こった周辺地域と、福島や郡山や伊達市の状況もまったくちがいます。
取材した方々から聞いたことの中で印象的だったのは、支援してくださるのはありがたいが、かわいそうだと思うのではなくはなく、実際に現地に来て、実際の生活を見てくださる方がうれしいんだ、という言葉でした。
今回の本が、今の福島と原発とは何なのかを考えることにつながればうれしいと思います。娘の春野が、この本を描いた時の思いをブログに載せています。興味があれば読んでください。

私達は、もっと、福島に暮らす人々の声から学ぶべきなのではないのでしょうか。
ある被災地の小学校の校長先生がおっしゃった言葉をご紹介します。
「物の支援も保養の支援もお金の支援もたくさんいただき、本当にありがたい。けれども、私たちののぞむ一番の支援は、子どもたちに会いに来ていただく支援です」と。


こんにちは。絵本作家の松本春野です。

私は震災後の福島を題材にした絵本を描いています。
福島は、いまだに、汚染水の問題や、核廃棄物の問題など、解決していないことはたくさんあります。
問題が山積みのところばかりが取り沙汰される福島について、今日は、どうしてもお伝えしたいことがあります。聞いてください

私は、2012年の2月に『ふくしまからきた子』という絵本で、福島県から母親の実家のある広島に母子避難する子どもの絵本を作りました。そして、2015年の今年、2月に『ふくしまからきた子 そつぎょう』という続編の絵本を出しました。
続編では、その避難した主人公が、福島に戻る物語です。

取材の中でたびたび訪れた福島県の学校では、子どもたちと一緒に給食を食べたり、休み時間は一輪車や逆上がりをしたり、いきいきした子どもたちと接してきました。

3.11からもうすぐ4年。
福島を訪れるたび、目の前の子どもたちを一番に考え、見えない放射能について学び、測り、慎重な対策を重ね、暮らしを立て直してきた大人たちの姿に心を打たれました。
そして、その背中を見て立派に成長してきた子どもたちをこの目でしっかり見てきました。
私が取材してきた、福島県に暮らす人々は、精神も状況も2011年のままではありませんでした。
あるお母さんの言葉がわすれられません。
「福島県民とわかると、悲しい顔をしている方が、喜ばれるんです」
たしかにつらいことはたくさんあったし、いまだに続く困難もあります。けれども、あの震災から、必死で学び、考え、測り、対策し続ける日々の中、一歩ずつ前に進むたびに、彼女たちは歓声を上げ、手を叩いて喜び合ってきたということを、たくさん語ってくれました。

また、同じように脱原発を望んでいるのに「放射能のこと以上に、県外の反原発運動の動きに心折られることが多い」という言葉も、たくさんもらいました。東京に住む私は、その言葉を重く受け止めています。

放射能と向き合うことを強いられた福島の人たちは、私達よりはるかに、放射能について知っています。膨大なデータを持っています。国で出してきたデータを、自分たちの暮らしを守るため、再チェックする機能も充実させてきました。小さい子どもを預かる保育園のチェックなどは、びっくりするくらい細かい注意を払っています。

地道に、確実に集められたデータと実践の積み重ねから、福島で暮らすこと、福島のものを食べることを、自主的に選択しているということを、もっと知ってもらいたいし、応援してもらいたいと、取材すればするほど思うようになりました。
しょうがなく住んでいるのではなく、選択して住んでいる人々が大勢います。それは、自主避難の生活を選んだ人たちと同じで、また、私が東京で生まれ、暮らし続けている選択と変わりません。お互いに尊重されなくてはならない生き方の選択です。

私達は、もっと、福島に暮らす人々の声から学ぶべきなのではないのでしょうか。
ある被災地の小学校の校長先生がおっしゃった言葉をご紹介します。
「物の支援も保養の支援もお金の支援もたくさんいただき、本当にありがたい。けれども、私たちののぞむ一番の支援は、子どもたちに会いに来ていただく支援です」と。

福島県への子どもの支援で、県外からのメジャーなものが保養です。
けれども、保養は、参加できない子どもはいつまでも参加できないままという現実が有ります。障害がある子ども、アレルギーがある子ども、低年齢だと、親が働いていて、同伴できない子ども。
また、保養の声がかかるたびに、「福島で暮らすことを否定されている気持ちになる」という親御さんも多数いました。
3.11から4年経とうとしている今、今度は私達が、福島へ出向き、現地の暮らしを知る中で、福島の方たちが困っていることを補う、そんな支援の段階に来ているのかもしれません。

原発が憎い気持ちは変わりません。見えない放射能が引き起こす人間関係の分断、補償の難しさ、風評被害、処理や対策へ、気が遠くなるほどの手間と費用がかかることを4年経っても痛感するからです。
多くの家族がいまだ分断されています。生活が戻らないままです。差別に苦しんでいます。
処理の仕方もわからない核廃棄物は貯まる一方。すぐには、難しいのかもしれませんが、原発に頼らない電力にシフトしていってほしいという思いは、取材をしていく中では、募る一方でした。福島県に暮らす人々の生活の改善を応援し、共に喜び、一緒に進んでいく脱原発運動がひろがっていったら、と心から願っています。
私自身、自分の言葉で、絵本で、声を上げていくことをやめないでいきたいです。









「運動」に目を向ける方々は、時としてこの災害の復興からなにかを奪ってはいないでしょうか。 
「忘れるな」「風化させてはいけない」という言葉も、使われ方によっては、私には痛みと恐ろしさを突きつける言葉、癒えない傷を負わせ続ける言葉だと思えることが度々あるのです。

昨日で「いちから聞きたい放射線のほんとう いま知っておきたい22の話」を出版して1年になりました。 

福島や放射線のことを扱う作品を作るには相当の覚悟が要ります。 
匿名でRTとか批判(批判ならまだいいかな)をするのとはわけが違います。 
本ではしれっと質問していますが、放射線やリスク学の専門家の講演会や勉強会に通い、私なりにたくさん勉強しました。 
いわゆる「風当たり」もとても考えました。しかし、放射線のわかりやすい本がなかった頃ですし、今やらなくちゃいけないことなんじゃないかという思いは一層強くなり、覚悟を決めて取りかかりました。 

結果、よく「(ネットで)変なのに絡まれない?」と訊かれたりしましたが、そういう嫌な思いはしませんでした。いろいろな方に出会えて、いいことが多かったかな。読んでいただければわかると思いますが、一般的な考え方はこうですよ、ということしか書いてないので菊池さんのワイルドな舌鋒を期待(?)した方は「ええええ、こういう本になったの?」っていうびっくりの仕方だったみたいですね。 
オピニオン本にはしたくなかったし、私的な話はまえがきと、最後の章の私の文章にとどめました。 

最近「ふくしまからきた子 そつぎょう」という絵本が出版されました。 
その絵本作家、松本春野さんの「3.8 NO NUKES DAY 反原発統一行動」でのスピーチを読みました。 
http://www.harunomatsumoto.com/blog/2015/03/38-no-nukes-day.html ;

その後の彼女のツイートなどを読み、一年前の覚悟が蘇ってきました。 
と思っていたら、今日、松本さんが私達の本をツイートでオススメしてくださっていました。 
嬉しい事です。 

共著者で松本春野さんのお父さま・松本猛さんのブログも拝見しました。 

「『福島』と一言で括ることの怖さを、福島に通うなかで何回も感じました」 
http://urx.nu/irQT ;

福島に何度も通った方ならではの視点です。 
松本さんの書かれている通り、津波と地震の被害で被害を受けた方がたくさんらっしゃいます。 
「運動」に目を向ける方々は、時としてこの災害の復興からなにかを奪ってはいないでしょうか。 
「忘れるな」「風化させてはいけない」という言葉も、使われ方によっては、私には痛みと恐ろしさを突きつける言葉、癒えない傷を負わせ続ける言葉だと思えることが度々あるのです。



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