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テレビのニュースやワイドショーで使用された
視聴者提供映像の数々
暴風雨の時に
窓際で 建物の屋根や車が飛ばされるのを 撮影しながら
「やばい やばい、、、」
実際に窓に飛来物が飛んできた映像もあり
中には亡くなった女性もいらした。
やばいのは、あの暴風の中 窓際に立っている大阪人たちだと思いました。
お店の経営者側はもちろん、宅配を頼む側は「もし事故に遭ったら?」とどこまで想像しただろう?「うちに食料がない」ということなのかもしれない。ただ台風の場合は、事前に警戒が呼びかけられている。誰かを巻き込まないためにも、各家庭での備蓄が欠かせないはず。 出展
台風21号、「宅配ピザ」ドライバーを吹き飛ばす…佐々木弁護士「普通はやらせない」非常に強い台風21号が9月4日、西日本を直撃して、猛威をふるった。インターネット上では、ビルの看板が飛ばされたり、トラックが横転したりする様子を映した動画が次々と投稿されている。その中には、宅配ピザのドライバーが吹き飛ばされているものがあり、「こんな日に配達させるなんて」と批判の声があがっている。 |
要談「大阪府・ 関西」
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関西、沖縄、青森、岩手、宮城、福島、茨城、千葉をのぞく情報
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関空ばかり報道されますが
その地元
大阪府南部 泉南(せんなん)市からの訴え
大阪泉南市、広範囲でこんなことなってます。 総理大臣閣下の今日の動静は 総裁選活動で新潟へ
ドローンを見て笑顔で記念撮影です。
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富田林市警察署から、逮捕された犯人が逃走中で
私の暮らす地域でも、ひったくりを起こしたかもしれないと報道されていて
気が気でないのですが
富田林、羽曳野、松原、平野という逃走経路は
河内音頭でも有名な、熊太郎 弥五郎の「河内十人斬り」事件を彷彿とさせます。
河内十人斬り事件は、明治に実際に発生した非常に猟奇的残忍な殺人事件で
発生した地名から、河内十人斬り、水分騒動とも言われます。
河内音頭など、当時の任侠や世の中の出来事を音頭にして
識字率が低く、文字を読めなかった庶民の多くは、音頭からそういうニュースを知ることがありました。
「河内十人斬り」もその一つで、今も河内音頭の代表的な歌として歌われています。
来週はうちの町会でも盆踊りが開催されます。
河内十人斬りも吟詠されることでしょう。
事件の経緯は以下の動画 字幕で知ることができます。
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承前
アメリカ軍による広島 長崎への原子爆弾の核攻撃直前。
福島 富山 東京 山口や滋賀 和歌山など関西を含む全国33都市44の地点で
49発もの5トン爆弾による爆撃がなされて、畑仕事をしていた福島市の14歳の中学生をはじめ
400人以上の人々が犠牲になりました。
同年7月20日朝、アメリカ軍テニアン基地で極秘の訓練を重ねてきた
第五〇九混成群団に出撃命令が下ります。
富山、長岡、福島、郡山地区への精密爆撃実戦命令が発せられ
この日が、実戦部隊による原爆核攻撃作戦のスタートでもありました。
そしてその6日後、73年前の今日のこの時間、午前9時26分
大阪市上空に、B(ボーイング)29が、それまでの空襲で見られた
集団の編隊飛行ではなく、僚機を伴いほぼ単独で飛来。
そして大型爆弾を一発のみ投下して、去っていきました。
それから、46年後の1991年、日米開戦50年のこの年。
全国49発の5トン爆弾は、原爆攻撃の訓練として投下された
模擬原子爆弾と分かり、場所が不明だった大阪の爆撃地点が
大阪市東住吉区田辺(旧田辺本町 現北田辺 田辺 東田辺 南田辺)であると突き止められました。
愛知県春日井市の教師らによる市民グループ「春日井の戦争を記録する会」が
国会図書館の資料を調べ、戦時中の米国側の文書には
B29第五〇九混成群団が一万ポンド(5トン)爆弾を使い、全国で原爆投下訓練を行っていた事実を発見。
(愛知県春日井市は大戦中、名古屋空襲と同時に爆撃を受けていましたが、敗戦の前日、春日井だけが爆撃を受けており、しかも原爆と同じ5トン爆弾による爆撃で、空白の空襲の謎を突きとめていきました)
そこに大阪については、「7.26 大阪府大阪市市街地」とだけ記されて詳細は不明でした。
それを受けて、原爆投下訓練の実態を調査していた関西大学の教授が大阪での本格的な調査を開始。
1945年7月26日の投下
①午前8時〜10時ごろの時間
②一機が大型爆弾一発だけを落とし、観測などが目的の数機を伴っている。
③通常の爆撃よりも高い高度を保っている
などをもとに調べ
対戦中の大阪府警察局の公式記録や、1945年10月に大阪市がまとめた大阪市戦災概観から
大阪市東住吉区田辺本町の空襲が、警戒警報が発令され、 僚機を伴ったB29が大型爆弾一発だけを落として引き返したことが判明。
これらの状況や一発だけにしては被害が大きいことから、原爆投下訓練と判明しました。
原子爆弾投下訓練は、長崎への核攻撃に使用された
プルトニウム型原子爆弾 ファットマンと同形状で同じ重さの爆弾を使い
爆撃機から原子爆弾が投下された後に
その威力に爆撃機が巻き込まれないように150度の急旋回を行い離脱する
原爆から身を守る退避行動訓練でした。
訓練用の模擬原爆は色と形からパンプキンと呼ばれ
これらの訓練をパンプキン計画と称して
原爆からの退避行動訓練
一万メートルの高高度での単独飛行
白昼の核攻撃実戦訓練
そしてピンポイント攻撃訓練の四つの意味がありました。
アメリカ軍は、原子爆弾による核攻撃に際して
ここまで周到な準備、訓練を重ねていたとは、あまりにも惨たらしい。
人間の犠牲の上にさらに広島 長崎への核攻撃へつなげた、悪魔の実験です。
戦争は平凡な人間を、残虐な野獣へと、悪魔へと変えてしまうものだと
あらためて痛感させられます。
今、見過ごしそうな小さな慰霊碑は
大阪市東住吉区田辺の爆心地近く、田辺小学校の北側 26号線を挟んだ向かい側に建っています。
決して見過ごしてはいけない碑、見過ごしてはいけない史実です。
※内容は過去の新聞報道をもとにしています。
また、それらは現地の碑の横にも掲示されています。
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大阪市内の下町の路地の入り口に、小さな碑があります。
その碑には『模擬原子爆弾投下跡地』と刻まれています。
広島、長崎への原子爆弾による核攻撃訓練用の模擬爆弾が、大阪市内で投下されました。
大阪府内では唯一大阪市東住吉区田辺に、長崎に使用されたプルトニウム型原爆
ファットマンに形状が似ていて、パンプキンと呼ばれる5トン爆弾が
通常の爆薬を充填されてB(ボーイング)29によって
生活を営む人間の上に落とされましたが
模擬原子爆弾は、1945年7月20日から8月14日にかけて
北は福島をはじめ、新潟、富山、茨城、静岡、東京、山口、滋賀、和歌山など、全国44地点に49発もの爆弾攻撃があり
400人以上の方が犠牲となりました。
戦後に大阪市が発表した資料によると
大阪田辺では、7人が亡くなり、73人が重軽傷、485戸の家屋が全半壊焼失し
1645人が罹災されたとあります。
爆弾投下当時から長い間、1トン爆弾が落とされたといわれていましたが
愛知県の戦争を記録する市民グループによる調査によって
様々な資料や状況から、田辺に落とされた爆弾が、模擬原爆であると突き止められますが
それは戦後46年後の1991年のことでした。
そして、その模擬原爆によって犠牲となった方の御子息によって
模擬原爆投下跡地確定から10年後の2001年に現地に慰霊碑が建立され
証言集も編纂され、慰霊祭が執り行われました。
大阪に落とされた、この模擬原爆 パンプキン爆弾に広島 長崎規模の核が搭載されていたら
この田辺を爆心地として広島、長崎の被害状況から大阪市 堺市(旧堺市規模)でほぼ家屋が全壊し
10万人以上が一瞬で亡くなっていたであろうといわれています。
※過去の新聞報道を参照
続く
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