エクセルシア Season 12

大震災 原発災害 東北を忘れない

要談「大阪府・ 関西」

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あしかけ三年、実質一年ぶりに、岡山と兵庫の友人ファミリーと年始を過ごし
3日には、岡山ファミリーと畑に行き、食べるインスリン「キクイモ」を収穫してきました。
畑主さんが鍬で芋を掘り起こしてくれて、新年早々から働かせてしまい
どんどん出てくる お芋さんを袋につめていきます。
昨年の夏以降、雨が降らず、種をまいた野菜も育ちが悪く
今回はキクイモだけの収穫ではありましたが
それでも、どんだけ食費が助かるかと思うと、ありがたいです(笑)
しかも、釣ってきた「太刀魚」も沢山おすそわけしてもらい
今週はかなり助かってます・・・ありがたや、畑。


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転載元  NPO法人 CPAO(しーぱお)(大阪子どもの貧困アクショングループ)様


つながるおおさか いま・むかし
 ――福祉・社会事業の先進地・大阪の歴史を知ろう
第12回 夜間中学の希望のあかり(上)

 ――また ひとつ 字が書けて こころがうれしい*

(*金益見『やる気とか 元気がでる えんぴつポスター』より)

CPAOがあるのは、大阪の生野区。在日コリアンのかたが多い地域です。

戦争や生活上の困難のために、学校で学ぶ機会を逸したかたがたも多いです。また、外国から新しく日本に来られたかたもいます。その方々に、日本語の読み書きや算数、社会などを学ぶ場を提供するのが、夜間中学・夜間学級、また識字教室です。

全国8都府県に、公立の夜間中学は31校あるのですが、そのうち11校が大阪にあります。また、大阪には公立ではない、自主夜間学級、識字教室も40以上あります。

CPAOのご近所には、東生野中学の夜間学級(公立)があります。

(公立ではありませんが、同じくCPAOのご近所。北巽小学校では、週一度、水曜日19時から、ボランティアによる「北巽識字・日本語交流教室」が開かれています)

大阪の夜間中学の歴史を語るとき、高野雅夫さんは忘れてはならない存在です。

「旧満州」で生まれ、戦争で父親を亡くし、日本へ引き揚げの途中母とはぐれ、孤児になってしまったのです。九州で「コジキの親方」に拾われ、九州から東京と放浪します。盗みもしました。

そんな彼を、上野の「バタヤ」(廃品回収業)の在日コリアンのお爺さんが、引き取って養ってくれたのです。17歳の時でした。そのお爺さんからはじめて「文字」を学びました。 「タカノマサオ」という自分の名前の文字も教わりました。

そのバタヤのお爺さんが持っていた本の中に、荒川区立第九中学校夜間学級の塚原雄太先生の本(『夜間中学生』知性社)がありました。

「この先生のところに行きたい!」

高野さんはそう決めました。そして、1963年、22歳で、九中に入学するのです。

夜間中学では、文字だけではなく、「憲法」や「人権」も学びました。まさに、そこは、生きることの尊厳を回復する「学びの場」でした。

戦後長く、戦災や貧困で、 何万、何十万という多くの人たちが、字の読み書きを始めとする教育を受ける機会を奪われたままでした。 大阪市立生野第二中学校に、 先生たちがボランティアで、 文字の読み書きを教える夜間学級を開きました。 心ある教員が自主的に作った夜間学級は、全国に広がり、90校近くになりました。

ところが、1966年11月、当時の行政管理庁(現・総務省)は「夜間中学早期廃止勧告」を出します。昼間の中学校に行け、というのです。

せっかく、先生たちの真心で出来た夜間学級が、どんどん廃校になっていきました。

このとき、廃止反対運動に立ち上がったのが高野さんです。

高野さんは叫びました。

「文字は我々にとって生きるための空気である」

「全国に埋もれている義務教育未修了者の皆さん。ぜひ、自ら名乗り出てください」

「あなた達一人ひとりこそが僕らの闘いにとって唯一の生き証人なのだ」

彼は、釜ヶ崎に来て、そこに住みながら、釜ヶ崎の仲間たちと、夜間中学廃止反対運動、さらには、夜間中学創設運動を繰り広げたのです。大阪府教委、大阪大阪市教委、教職員組合などを毎日回りました。議会でも採り上げられ、世論も盛り上がってきました。釜ヶ崎の仲間と数十万枚のビラを配ったとうかがっています。

ちょうど、日本各地の炭鉱町や、いわゆる「被差別部落」で、識字の権利を求める運動が起こっていました。高野さんの行動は、この運動と共振を始めたのです。

そして、大阪市立天王寺中学校に夜間学級が出来たのです(1969年6月5日)。今までは、夜間中学があったものの、行政からは無視されていましたが、ここで、始めて行政が正式に認可したのです。学びの場を待ちに待っていた生徒が、89人きました。

  

さてさて、夜間中学って、どんなところか。山田洋次監督の「学校」でも描かれていますが、今まで、何度か見学に行って、その都度、心が震える感動をいただいています。ほんとの「教育」って、こういうことなんだなぁと。

 80歳を越えた男性が、ノートびっしりと漢字の練習をしていました。まだ、10代の中国からきた女の子が、70代のハルモニと肩を並べて、日本語の敬語を学んでいました。働いている飲食店で、お客さんに、丁寧に応対したいのですが、「敬語はとてもむずかしい」と。

授業がとても面白かったんです。

ある夜、僕が参加したのは、20人ほどの生徒さんのいる国語の授業でした。教材は芥川龍之介の「蜘蛛の糸」です。

音読や新しい漢字の読み方・書き方は、通常の授業ですが、そこからが面白かった。先生(高野雅夫さんとともに、大阪の夜間中学をもり立ててこられた白井善吾さんです!)が「作者は、あくたがわ・りゅうのすけ、漢字の読み方難しいやろ」というと……。

 80代の女性が「この人の子ども、作曲家やで」。同年配の男性が「カンヌ映画祭で賞獲った映画や」。別の女性が「そうや、そうや、京マチ子と長谷川一夫や」

――その通りです。芥川龍之介の息子さんは、芥川也寸志さんで、映画は『地獄門』、第7回カンヌ国際映画祭で、最高賞の「パルム・ドール」とっています。

あとで、白井さんが言ってました。

「にぎやかでしょう。でも、気がつきましたか、会話はあるけど、私語はない」

そうなんです!

今まで、文字の読み書きが出来なくても、人生の様々な経験がある。それが持ち寄られて、一つの授業がみんなの手によって完成して行く。時として、先生と生徒の立場が逆転する。そんな瞬間に立ち会ったのです。言い知れぬ感動に満たされました。

ここ数年、廃止や統合などの、様々な逆風もありました。しかし、公立夜間中学は大阪府内11ヶ所、全国、他の追従を許しません。なかには、最近まで、昼間の中学生より、夜間中学に通う生徒さんのほうが多かったところもあるんですよ。

今、多様な就学の機会を保証するなど、夜間中学の役割が再評価され、公立夜間中学を各都道府県に少なくとも1校開設するという方針を、文部科学省も示しています。

夜間中学の灯が、多くの人たちにとって、また日本社会にとっての、希望の灯として、永続することを強く願ってやみません。

第13回 夜間中学の希望のあかり(下)

 ――「代書」から「えんぴつポスター」まで

上方落語屈指の爆笑ネタに「代書」があります。

「代書屋さん」は、今で言う行政書士、司法書士。舞台となる時代は演者によって若干アレンジされていますが、大正から昭和初期がこの落語の背景です。まさに、この連載の石井十次の大阪事業、クボタ創業者、久保田権四郎の徳風小学校のころです。

当時は、社会情勢や家庭の事情で学校に行けない子ども、長じて、文字の読み書きができない大人がたくさんいました。

このような文字の読み書きができない人に代わって、読み書きをする職業が「代書屋さん」です。

この落語を作ったのは、「人間国宝」桂米朝さんの師匠、四代目桂米團治さん(今、米朝さんの息子さんが、この名跡を継いで五代目米團治となっています)。

四代目米團治さんは、本名・中濱賢三。実際に「中濱代書事務所」を経営していました。場所は、今の東成区役所のあたりです。2009年、その場所に「四代目桂米團治顕彰碑」ができています。

「代書」は、この実体験がもとになった落語で、四代目米團治さんから、米朝さんに受け継がれ、桂枝雀さんに伝わり、「我が米朝一門の財産」(桂米二『上方落語 十八番でございます』)となり、米朝一門以外にも、三代目桂春團治さんの十八番ともなりました。

文字の読み書きが出来ない人が、次々と訪れてきます。ある意味、苛酷な境遇にいる人たちなんですが、この人たちがとてもバイタリティがある。そのエネルギーに、エリート然、真面目面(まじめづら)をした代書屋さんが翻弄されるという、とても痛快、そしてやさしいまなざしを持った落語です。

最初の人は、この連載ですでに紹介した「長町スラム」の住民です。「生年月日、ゆうて(言って)くれまへんか」と代書屋さんから言われ、大声で「せいねんがっぴ」とおっしゃる人です。

この人の「職歴」は、下駄の裏に付ける減りドメのゴムの露店販売、また「ガタロ(河太郎)」等々。

当時の都市の、象徴的な底辺労働です。件(くだん)の代書屋さん、始めて耳にする職業なので、目を回して、汗をかきながら「履物付属品を販売す」「河川に埋没したる廃品を回収し、生計を立つ」と。「お役人言葉」に直して行きます。

この一人目だけで、40分50分となるので、春團治さんにしても、枝雀さんにしても、ここで終わっていますが、実は、まだ何人か来ます。

そのうち一人が、朝鮮半島、より精確には済州(チェジュ)島出身です。

故郷に住む妹さんが、紡績女工として働きに来るので、「渡航証明」に必要な書類を代書して欲しいというのです。その時、少し故郷の言葉が口をついて出てくるのですが、これが済州島方言なんです(杉原達『越境する民』p.15〜19)。

済州島といえば、日本の植民地時代、東洋一の軍事基地(日本の)があり、多くの日本人が流入し、経済バランスが壊れ、住民が暮らして行けなくなったのです。済州島からは、大阪へ、多くの人たちがやってきました。

四代目米團治さんが住んでいたのは東成区。生野区と並んで、韓・朝鮮半島出身者が多いところです。東成区、生野区の、平野川旧河道右岸一帯は「猪飼野(いかいの)」と呼ばれ、平野川、西ノ川、猫間川に挟まれた低湿地で、家が建ち並ぶ今からは想像できませんが、養鶏場、養豚場、そして牛舎がたくさんありました。住環境として、決してよいとは言えません。したがって家賃も安かった。

多くの朝鮮半島出身者が、ここに住むことを余儀なくされたわけです。米團治さんは、この人たちの面倒をよくみて、表彰されたといいます。なにげないセリフに、済州島方言を入れ込んだところに、米團治さんの、生活を共にしたかかわりがみえて見ます。

故郷を捨てざるを得なかった人々、「在日」を生きてきた人々、また、戦争や病気など、さまざまの理由で学校に行けず、日本語の読み書きができない人たちがいます。大阪に11校ある「夜間中学」は、そのかたがたに、学習の場を提供してきました。

ある夜間中学に見学に行った時、80歳を越えた男性が語ってくれた言葉が、今でも忘れられません。

「文字が読まれへんときは、見るもの全部が冷たい壁やった。一人ぼっちでさみしかった。それが、少しづつ字が読めるようになったら、少しづつ、字があいさつしてくれるようになった。今は、文字が笑うてる」

70代の女性です。

「子どもが学校からもらってくる連絡のプリントが読めなくて、心がちぎれるほどつらかった。子どもが不憫やった。今は、孫のもらってくるプリント、全部読めるねん。うれしいわー」

学校にいけず、文字が読めない、ということは、こういうことが、日常生活のいろんな場面で横たわること。

文字を読むということは、「人としての尊厳を取り戻す」ことなんです。

みなさん、「えんぴつポスター」って、ご存知ですか?

鉛筆の形を模した紙に、夜間中学生さんたちが、短文を書くんです。これ面白いですよ、読んで元気がでます。神奈川の川崎でも、大阪府内のあちこちでも、夜間中学に行ったら、まっさきに、壁などに貼られている「えんぴつポスター」を見ることにしてるんです。

CPAOの近くの、東生野夜間中学校のえんぴつポスターは、神戸学院大学講師の金益見さんによって、まとめられ、文藝春秋社から『やる気とか 元気がでる えんぴつポスター』というタイトルの単行本として発刊されています。

この本が出たとき、東生野夜間中学校は、在籍164人、7クラス。在日コリアンが85%以上。平均年齢67歳。最高齢85歳、(2013年4月10日、初版発刊時)でした。

この本のなかから、いくつかを引用します。それが、1番、雄弁に、「夜間中学」や「夜間中学生」のことを語ってくれると思いますから。

言い回しや、句読点など、そのまま引用しています。

「まぶしくて見えなかった字が今 体の中で光っている」

「また ひとつ 字が書けて こころがうれしい」

「わかいときべんきょうできなかった

いま

夜間中学で

べんきょうして

ちょっとずつよめてきた

うれしいなあ うれしいなあ」

「人間としてこのよに生まれ、できないものはないとおもい84さいで入学しました。

 うれしです。」

「病院で自分の名前が書けて

ほんとうにうれしい」

「学校で勉強すると嬉しいことは、自分で履歴書を書いて、面接を受けてお仕事ができたことです。」

「何度も 何度も 文字に助けられ 私は生きています」

「学校にきて学ぶのは字だけでなく 人になれることもわかりました

百才まで’学びたいと思うようになりました」

「娘の小学校の卒業文集を

読むことができて

空を飛ぶような気持ちで

最高に嬉しかった。学校は

宝がたくさんつまっています。」

今まで生きてきた証し、今生きている証しが、「えんぴつポスター」の短文には満ちあふれています。

このように、生き抜いてこられた方々が「尊厳」を取り戻す場として、夜間中学校は寄り添ってきたのです。

全国には「義務教育未修了者」が12万8000人(2010年度国勢調査)。文科省は、公立夜間中学校を、各都道府県に少なくとも一ヶ所開設を呼びかけていますが、まだまだ、足りません。文科省の調査によると、全国には307カ所の自主夜間中学(2014年5月1日現在)が、ボランティアの手によって運営されています。

夜間中学校の希望の灯が、全国に広まって行くことを、心の底から願っています。

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週に一度のペースで、自分の時間を作るリズムが続いています。
今日は久しぶりに畑に行って、いろいろと削ぎ落として、リフレッシュしてきました。
そして、今日はある障がい者グループホームの方々と、いも掘りでした。

ガイドヘルパーさんなど総勢10人で、紅あずま、鳴門金時を収穫しました。
当初、掘れども掘れども、なかなか「おいもさん」が出てこず。
ツルの周辺からシャベル(大阪では大きい方をシャベル、小さい方をスコップと呼ぶ)で土を掘るんですが、精々食べるには小さすぎるサイズのものばかり。

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ちょっと不安になってきましたが、次第に大きさも、形も良い「おいもさん」が顔をだしはじめ、参加者さんも喜びながら、いもを掘り出し、袋につめていきます。
シャベルを入れる場所が悪いと、おいもさんを真っ二つ・・・それが何度が続き
みんなで大笑いしながら、なんやかんや、にぎにぎしく、楽しいいも掘り大会になり
あっという間に時間が過ぎていきました。

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約一時間ほどで、下の写真のように、大収穫。
みなさんで分け合って、帰路につかれました。
私も紅あずま、金時の他、安納いも、そして人参、柿を収穫。

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久々に、土をいじり、美味しい空気を吸い、そしてグループホームの皆さんと
おもいきり笑いながら、良い時間を過ごせました。
本当は、もう一泊して、明日は畑からすぐの河内長野の災害ボランティアに
参加を考えていましたが、仕事があるので、叶いませんでしたが
年内にもう一度、畑に来れたらなあと思います。
でも、どうなることやら。
ちなみに、私は自生している柿の木から実をとって食べるのは、初体験です。



秋宙sora


吹くからに

秋の草木の 

しをるれば

むべ山風を

嵐といふらむ


あべのハルカス
の下から

2週続いたて嵐がやってきましたが
久しぶりに晴れ日が続いてます。
でもまた週末に太平洋を超えて
『荒らし』がやってきますね。
それを理由に国会もほとんど開かないとか。
そして野党の質問時間短縮と
政府が国会に口出し三権分立も破壊。
安倍政権の本領が発揮されています。




『裁判所、監獄、病院、精神病院、労働医学、大学
マスコミ・情報機関、これらすべての制度を通して
また様々に違った外見を採って、抑圧が行使される
そしてその抑圧の起源には政治的抑圧がある。』
ミシェル・フーコー「二十の監獄での調査」への序文

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数年前まで全国共通と思ってましたが
大阪だけに存在するんです。
何か分かりますか?
逆光ですんません。
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