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これも、ちょっと前ですが
うちと、実家のちょうど間に気になるお店が何軒があり
その一つに先日親友と行ってきました。
親友はプレミアムフライデーを利用して早退。
私は休日で、両親のことはこの日の午後はお任せして
まだお日さんが照ってる時間帯の開店と同時に入りました。
このお店は、八重山のある島の出身のご夫妻が営んでおられる
沖縄、八重山の料理居酒屋。
大阪で沖縄といえば、大阪市大正区
でも、大正区まで行かんでも、こんな近くで沖縄を堪能できるなんて
しかも、美味しい・・・
最初は女子力向上で料理を撮影してましたが
途中で食べることと、話しに夢中になり、撮影を忘れてしまいました。
最初に出てきた数皿を
まずは、この一杯でしょ!
沖縄といえばオリオンビール
そして、大好きな海ぶどうと島らっきょう
言わずとも知れた これと これ
テビチ(チマグ)とラフティ(角煮) 豚三昧 ここまで・・・
あと、これも大好きなフーイリチー(車麩のチャンプルー)
スーチカ(豚の塩漬け) 紅芋コロッケなどをたいらけました・・・
気がつけば、まわりは女子ばかり・・・
女子に人気のお店でした(笑)
くわっちーさびたん
また来月にも行く予定です。
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要談「琉球 沖縄県」
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戦争の教訓、沖縄戦でもはっきり分かること
それは、軍隊はいざという時に
国民、住民を守らないこと
巻き込むということ
犠牲にするということ。
沖縄ではないですが
大正生まれの私の伯母(故人)は、戦時中は女学生。
そして、動員によって、軍需工場で風船爆弾製造に従事させられていました。
その時に、軍人は10代の伯母たち女学生に
「いざとなったらこれを飲め」と青酸カリを配布されていました。
伯母は、お国のため なんてちっとも思ったことは無いし
死なされてたまるか、と思っていたと、子どもころに母を通じて聞き
伯母からも直接聞いていました。
安保法制の時も、与党の議員や政府、首相らは
国民の生命と財産を守るため
と何度も連呼していましたが
戦争の教訓を思えば、そんな言葉は信用できません。
その人たちは、戦地に行かないし
その人たちの子どもも戦地に行かない。
本当のいざという時、命にかえても守るものがある、と犠牲を強いて
死んだら「英霊」と奉られて美談にされる、というのが歴史の教訓というものでしょう。
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沖縄戦時、日本の食料調達ため 琉球朝日放送 慰霊の日レポート3 安東丸
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再掲載
琉球処分とは何だったのか?
薩摩が琉球侵略した時代。そして明治政府による「併合」。
日本による皇民化政策・教育の徹底により、琉球の言葉や習俗、
伝統文化までも奪われ、日本に同化させられていった沖縄。
明朝時代の薩摩の侵略、清朝時代の日本併合の時。
明、清は琉球を冊封・朝貢国としながら日本の侵略から見捨てたこと。
また、日本国政府も強制的に琉球國を併合して沖縄県としながらも、清に領土を分割し身売りしようとしたこと。
そして、太平洋戦争時に本土防衛の盾にして沖縄県を「捨て石」にした事。
さらに、戦後日本の独立の為に沖縄をアメリカに「身売り」した日本政府。
アメリカも自らの覇権の為、沖縄を太平洋の要石とし、極東地域戦略から沖縄本島を軍事要塞化するも、
沖縄人は自ら政治、経済を行えない
ようするに自らを統治する能力がないとして自治権を奪い取り
27年もの間、軍および米国民政府が絶対的な権力を持ち、「銃剣とブルドーザーによる土地略奪」 住民弾圧、人権抑圧、人種差別をしてきた。
沖縄の施政権が日本国に返還された後も、日本とアメリカ両政府は不平等条約である
地位協定を改正しようともしない。
では、琉球処分とは一体何だったのか?
『琉球・沖縄住民の意思を無視して日本、中国、アメリカという大国の論理、
身勝手な都合によって、琉球・沖縄の命運が決められた』ということだと思うのです。 1952年4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効してから、28日で63年となった。太平洋戦争に敗れ、連合国軍の占領下にあった日本は7年ぶりに独立を回復したが、沖縄や奄美などは切り離された。基地の重圧が固定化する源流となったこの日は「屈辱の日」と呼ばれる。 |
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第二次世界大戦末期、本土防衛の捨て石とされ、住民を戦闘に巻き込んだ沖縄戦
から72年 那覇市から西へ約四十キロ、慶良間諸島の東端に位置する渡嘉敷島。 中央にある村役場に近い山裾に、その穴は残っている。 1945年3月23日から、同諸島を取り囲んだ数百の艦艇が空襲と艦砲射撃を始めた。 26日には座間味島に、27日には渡嘉敷島に米軍が上陸。 逃げ場を失った島の人々は山の中に集められ、軍の手りゅう弾を使い、肉親の間で手にかけていった。
本土決戦を覚悟した日本軍部が時間稼ぎのために沖縄を捨て石としたとされる戦闘。県民の四人に一人が亡くなった「鉄の暴風」の中で、悲惨さを象徴する集団自決である。
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